「今日子、まだ戻ってないの?」
野球部の皆との、大撮影大会から戻ってきた綾瀬は、顔触れを見て言った。
「鈴鹿もまだやな」
「琴も来ないわ」
学園演劇の主要メンバーが、教室には残っていた。
『せっかくだから、皆で飯食って帰ろうぜ』
楠本の誘いに、集まったのだ。
「どうしましょうか。3人を探しに行きますか?」
守村が言うのに、姫条が、うーん、と腕を組んだ。
「それも野暮って気はするが、今日ばかりは放って帰るんも、愛想ないしなぁ」
「俺、」
ずっと無言で、苛々した空気を辺りに振りまいていた葉月が立ち上がった。
「探してくる」
足早に教室を出て行く。
「えーっと、殿下はなんで、あんなに御機嫌斜めなの?」
綾瀬の問いかけに、全員が、さぁ、と答えた。
(冗談じゃない)
待っても、待っても、今日子は帰ってこない。
探しても、見つからない。
いつか、何かに取り上げられる。
そんな不安が現実になってしまったようで、珪は堪らなかった。
今日、伝えられなかったら、きっと、永久に失ってしまう。
自分を追い詰める考えばかりが浮かび、珪の不安を煽っていく。
とうとう、敷地の奥の教会の前まで来た。
ここに、今日子を連れて来る筈だったのに。
通り過ぎようとした珪は、朝よりも、扉が開いていることに気付いた。
(中に、誰か入ったのか?)
まさかな、と思いながら、扉が壊れていることも忘れ、両手で開いた。
ステンドグラスの光の下、祭壇の前に誰か居る。
「・・・今日子」
中に、足を踏み入れる。
動かなかった扉は、約束の場所で二人を引き合わせて、再び閉じられた。
「け、い・・・」
「ここに・・・いたのか」
歩み寄って行くと、今日子は椅子の上に置いた筈の絵本を胸に、抱いていた。
「・・・泣いてるのか?」
「・・・だって、わたし・・・」
自分を見上げて、ぽろぽろと涙をこぼしている今日子は、約束を交わしたあの日と、少しも変わっていないように見えた。
だから、わかった。
思い出したのだと。
「“姫、私はこの深い森を抜けてやってまいりました。
再びめぐり会うために・・・あなたを迎えに来たのです”」
王子が姫のもとに還りついた時、告げた言葉だった。
「その本のつづき、教えてやるって、約束したろ?」
うんと頷いて、また涙をこぼす。
「泣くなよ」
「うん・・・」
絵本を抱いたまま、両手で目を押さえる。
あの日と同じだった。
こうやって、一生懸命、涙を止めようとしてくれた。
「・・・珪、いつ、思い出したの?」
やさしい声は震えていた。
「入学式の日、教会の前で、おまえを見つけた時」
よほど思いがけなかったのか、涙のたまった瞳が大きく見開かれた。
「すぐわかった。おまえ、あの頃とちっとも変わってなかったから」
「そう・・・かな?」
再会の日を思い出そうとしているのか、遠くを見る瞳になる。
「ああ・・・あの頃と同じ、幸せそうな笑顔だった。まるで、この教会だけ時間が止まってるみたいだった」
失くした筈なのに、再び、この場所で与えられた。
「じゃあ・・・どうして、今まで?」
当然の問いかけだった。
「言い出せなかったんだ・・・俺は、あの頃の俺とは、違ったから」
少しも変わらない今日子に比べて、笑うことも出来なくなってしまった自分。
「このまま黙っているほうが、いいんじゃないかと思った」
そんなのはイヤだというように、今日子は強く頭かぶりを振った。
そう、いつだって、今日子はそのままの自分を受け止めてくれた。
「でもおまえは、やっぱり、あの頃のままで、笑ったり、怒ったりしながら、どんどん、俺の中に入ってきた」
“葉月くん”
無愛想な自分に、変わらない笑顔をくれた。
「あの頃のまま、俺が欲しくても手に入れられなかったものを、みんな持っていて・・・それを少しずつ、俺に分けてくれた」
“お誕生日、おめでとう!珪くん”
特別な日をくれて、
“俺、おまえ待ってるの、キライじゃないから”
待つことの楽しさを、もう一度くれた。
「でも、おまえと会うと、俺・・・どうしても上手く言えなくて・・・」
“珪”
名前を呼んでくれるやさしい声、大好きな笑顔を
「言葉にしてしまったら、また、おまえが俺の前から消えてしまうような気がして・・・」
失うことが、ずっと、こわかった。
「だけど、このままじゃ・・・このまま卒業してしまったら、永久におまえを失うことになる」
きっと、今までのように取り上げられてしまう。
失くしてしまう。
「俺・・・もう、おまえを離したくない。だから・・・」
離せない、失うことは出来ない。
「今日子、迎えに来たんだ」
長く、本当に長く、待たせてしまったけれど。
「わたし・・・」
黙って、告白を聞いていてくれた今日子が、震える唇を開く。
鼓動が早まり、自分のすべてが答えを待った。
「わたしも、珪を・・・」
こぼれる涙が伝えるのは、拒絶ではなかった。
「わたしも、心の中で、珪が来てくれること、知ってたような気がする・・・」
その笑顔は、涙で濡れていたけれど、充分だった。
「・・・今のこの気持ち、きっと俺、上手く言えないから」
この世で最も愛しい人に、受け入れてもらえたことの喜びを、
「きっと、言葉じゃ伝えられないから」
表わす言葉など知らない。
「これ・・・おまえに」
ポケットから、クローバーのリングを取り出す。
「きれい・・・」
ぽろっと、また涙をこぼしたけれど、いつものあの、大好きな笑顔を見せてくれた。
「わたしの、ために?」
「ああ」
王子が姫に捧げるように、今日子の前に片膝を付き、その手を取った。
最初から、その指にあるべきだったとでもいうように、クローバーのリングは今日子の左手の薬指にぴたりと嵌った。
「クリスマスに渡そうと思ったけど、間に合わなくて・・・」
「ううん・・・これ、クローバーだね」
「ああ」
デザインをクローバーに決めたのは、お話を思い出したからだった。
「旅から戻った王子は、何も持っていなかったけど・・・クローバーの指輪を姫に渡して、誓うんだ・・・
“あなたは、私の心の幸い”」
喜びのすべてを与えてくれるこの存在こそが、自分にとっての祝福そのもの。
「“ふたりは今、永遠に結ばれたのです”」
「永遠に・・・」
誓うように、繰り返してくれた今日子に、
「永遠に」
自分もまた、繰り返す。
求め続けてきた今日子と瞳を合わせた時、心を満たし、あふれた想いが、言葉というカタチになった。
「愛してる」
初めて、想いをちゃんと、言葉にすることが出来たと思った。
「俺たちの永遠を、ここから始めよう」
「・・・け、い・・・珪・・・」
名前を呼ぶ声は求めるようで、珪は立ち上がると同時に今日子を引き寄せ、抱きしめていた。
「珪・・・珪・・・」
名前を呼び続ける今日子を、固く抱きしめる。
「泣くなよ・・・ずっと、一緒にいよう。もう、離さない」
「・・・珪・・・」
泣きじゃくる今日子を抱きしめ、ステンドグラスを見上げる。
王子は、必ず姫のもとに還りつき、約束は果たされる。
そうして二人は、互いを永遠に得るのだから。
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