(なんて、都合のいい)
式の間中、今日子は自分の思考の中に、どっぷりと嵌っていた。
卒業の感傷に浸れなくても、それどころではない。
逢いたい誰かは、いつの間にか、珪にすり替わっていた。
そんな都合のいい話がある訳ないのだから、単なる自分の願望に決まっている。
口に出したことはなかったけれど、まだ、珪への想いを自覚しなかった頃から、あの深い緑の瞳を、この世で一番きれいなもののように思っていた。
この心にある想いは、何もかもが珪へとつながってしまう。
自分の全部が珪を求めている。
どうして、こんなに好きになってしまったんだろう。
気持ちを抑えていたなんて、とんでもないウソつきだ。
式が終わり、教室へ戻って、最後のHRをする。
もちろん、このまま帰ってしまうなんてことはなく、あちこちで記念写真の撮影大会が始まる。
待ち構えていた手芸部の後輩たちに連れ出され、カメラに向かう。
こんな気持ちを抱えて卒業式を迎えるなんて、3年前は思ってなかった。
入学式の日、教会の前で会った珪に、心の全部を奪われるなんて、思っていなかった。
そんな感傷にとらわれていたせいか、あの教会に行きたくなった。
後輩や、クラブの友達に別れを告げて、その足で教会へと向かう。
あの場所から、すべて始まった。
ぶつかって転んだ自分に、手を差し伸べてくれた人の、きれいな緑の瞳に状況も忘れて見惚れた。
名前を教えてくれたその人は、同じクラスで、仲良くなりたくて、何度も一緒に遊びに出掛けて、そうして、恋した。
この人の傍に居られるだけでいいと、自分をごまかし続けている間も、どんどん好きになっていた。
「扉、開いてる・・・」
いつも閉まって、鍵の掛かっている教会の扉が、細く隙間を持って、開いていた。
中を覗き込んだのは、誰かいるのかと思ったからだ。
「あっ」
正面の奥に、ステンドグラスがあった。
色鮮やかなガラスから射しこむ光。
旅立つ王子と、待っている姫の絵。
扉に掛けたままの手を引くと、少し開いたが、それ以上は、動かない。
ステンドグラスに気を取られていた今日子は、扉はそのままに、中へ滑り込んだ。
ひんやりとした空気。
高い天井。
正面奥のステンドグラスを見上げながら、通路を歩く。
これが、初めてではないと感じた。
3年間、ずっと閉じられていた扉の向こう側で、こみ上げてくるのは懐かしさだった。
やっと、還って来れた。
そんな気がした。
祭壇の前に辿り着くと、そうすることが当たり前のように、右側の椅子の上を見た。
「絵本・・・」
“Die legende fur Madchen”
どうして、こんなに嬉しいんだろう。
タイトルを読むことも出来ないこの本を見つけたことが、どうしてこんなにも嬉しいのか。
両手を伸ばして、取り上げた。
中を開くと、美しい絵に、外国の文字が添えられている。
「むかし、むかし、一人の王子が旅をしていました」
読めない文字のお話がわかる。
次のページを繰った。
どの絵にも、覚えがあった。
再会の約束をする王子と姫の絵。
「遠い国へ旅立つ日、悲しみに打ちひしがれる姫に、王子はこう告げました」
やっぱり、このお話を知っている。
『私は、旅立たなければなりません』
自分の声が、頭の中で誰かの声に変わった。
『でも、どうか悲しまないでください。私の心はあなたのもの。
たとえ世界の果てからでも、いつか、必ず迎えに参ります』
「夢じゃ、ない」
この場所で、この教会で、お話を聞かせてもらった。
絵本をめくる手は、自分と同じように小さいのに、そのコは色んなことを沢山知っていた。
だから、質問ばかりしていた。
ねぇ、けいくん、と。
「珪だったんだ。夢じゃなかったんだ」
でも、
『王子は、かならず姫を迎えにくる』
きっと、もう憶えてない。
『だから、もう泣くなよ』
だって、わたしは約束を忘れてしまったから。
『約束、な?』
この場所で、珪を待っていなかったから。
だから、
「きっと、もう憶えてない」
ギィと、扉の開く音がした。
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