『いつか、おれ、お話のつづきしてやる』
ああ、まただと、思った。
『王子は、かならず姫を迎えにくる』
小さい時から、繰り返し見てきた夢。
『・・・・・こと、ずっと待ってる。だから、迎えにきてね。かならず、きてね』
眠っている間は、またこの夢を見ていると思うのに、目が覚めてみると、その記憶は淡雪のように溶けて消えてしまう。
残っているのは、たまらない寂しさと悲しさ。
『約束する。だから、もう泣くなよ・・・約束、な?』
『約束だよ』
『約束だ』
繰り返し、約束を交わしたそのコの、駆けて行く背中がどんどん遠くなって、見えなくなる。
こらえきれず、うずくまって泣いた。
もうこれきり、ゼッタイに泣いたりしない、約束を守ると、何度も心に誓いながら。
それなのに、約束を守れなかった証のように、目覚めるといつも、泣いていた。
「わたし・・・覚えてる?」
濡れた冷たい頬をぬぐい、今日子は身体を起こした。
暖かい布団に守られていない半身を冷気が包む。
風が窓を打ちつける音がする。
まだ、夜中だった。
再び横になり、枕に頭をつけると、冷たく湿っている。
夢を見ながら、どれだけ泣いていたのか。
「消えてない・・・あの夢。わたし、覚えてる」
どこか、きれいな絵が架かっている処で、約束をした。
この場所で、ずっと待っていると。
必ず迎えにくると言ったそのコは、帰ってきたら、いつも読んでくれた絵本のお話の続きを聞かせてくれると約束してくれた。だから、泣くなと。
「・・・どうして?」
眠りから覚醒しても、消えずにあった夢の記憶は、別れがついさっき、あったことのように生々しかった。
「夢、だよね。これ」
小さな子供の自分。
約束を交わした誰か。
もっと思い出したくて、夢の記憶を急いで辿った。
『ごめん。おれ、もう行かなきゃ』
お話の中の王子さまみたいに寂しそうな表情で、そのコは言った。
『じゃあ、つづきはまた、あした?』
そう言うと、悲しそうに首を振る。
『じゃあ、あさって?』
首を振って、もう、しばらくここには来られないと言う。
そのコが行ってしまう場所はとても遠かったから、行ってほしくなくて、ずっとここに居て欲しくて、沢山泣いて引き止めた。行かせまいとしがみついて泣く自分を、そのコは優しくなぐさめてくれた。
そのコだって悲しくて、寂しかった筈なのに。
泣いてばかりいる自分を、叱りつけたくなる。
ちゃんと約束を守らなきゃダメだと。
きれいな絵のあるその場所へ、自分は還らなきゃいけない。
だって、そのコは約束してくれたから。
「・・・日子」
誰かが呼んでる。
「・・・今日子」
イヤ。
まだ、目覚めたくない。
だって、思い出してない。
「・・・今日子ってば」
そのコの顔も、
「起きて」
そのコの名前も。
「明日香今日子!」
「はいっ」
頭上で響いた厳しい声に飛び起きた。
「・・・明日香?」
ぼんやりした頭で見上げると、氷室がたじろいだように自分を見下ろしている。
先生が動揺するとこなんて初めて見た、こんな表情もするんだと思う。
「・・・今日子?どうしたの?」
横を向くと、綾瀬がやはり、びっくりした表情で自分を見ていて、それが氷室とそっくりに見えた。
やっぱり、先生と美咲って、似てるなぁと思う。
「なんで、泣いてるの?」
「え?」
まばたきをしたら、溜まっていた涙がポロポロとこぼれ落ちた。
また泣いてたのかと、手の甲でごしごしと目を擦る。
先生や美咲にこんなところを見られて、ほんとにみっともない。
(え?・・・先生?)
ぼんやりしていた頭の焦点が、バチッと一気に合った。
ここは、布団の中でもなければ、もちろん、自分の部屋でもなかった。
綾瀬の、クラス中の視線が自分に集まっている。
その中の珪と目が合った時、
「えええっっ!!!!」
叫んで、立ち上がっていた。
「ほんとに、びっくりした」
(ええ、ええ、そうでしょうとも)
学校からの坂道を共に下る、珪の顔が恥ずかしくて見れない。
もう、明日の式には出ないで、このまま卒業してしまいたかった。
朝まで切れ切れの記憶を一生懸命追いかけたのに、カケラさえ、見つけることが出来なかった。
がっかりして、寝不足のまま、いつもよりかなり早く、学校へ行った。
大抵一番乗りで来ている有沢に驚かれ、お喋りをしているうちに眠くなって、朝のHRまで寝ようと机に突っ伏した。
隣りの席の綾瀬は、何度も起こしてくれたのに、氷室にフルネームで叱責されるまで目覚めなかった。
それはいいが、いや良くはないが、ここまでなら笑い話で済む。
問題は見つけた夢の記憶を追っていた自分が、例によって泣いていて、その泣き顔を氷室には勿論、クラス中の皆に見られてしまったことだ。
「なぁ、なんで泣いてたんだ?」
その質問は、皆にされた。
寝ぼけていたと言っても、疑わしそうな顔をされるばかりだったが、本当のことなのだから仕方がない。
『悩みがあるなら、いつでも来なさい。卒業しても、君は私の生徒なのだから』
呼び出された職員室で、氷室のくれた言葉は他の時なら嬉しかったろうが、今はこのまま、先生の記憶から自分を抹消して欲しかった。
明日、卒業だというのに、最後の最後で、これ以上ないくらいの赤っ恥だった。
「・・・俺じゃ、ダメか?」
ズキズキと、良心が痛む。
「おまえの悩み、聞いてやることも、俺には出来ないか?」
顔を見なくても、声で、本気で心配してくれているのがわかる。
「悩みとかじゃなくてね」
恥ずかしいなどと、言っている場合ではない。
「夢を見ただけなの」
「夢?」
本格的に聞く体勢になって、珪が足を止める。
こんな道の真ん中で。
やむなく今日子は、帰り道にある喫茶店に珪を誘った。
「ちっちゃい時から、よく見てた夢なんだけど」
学校の帰りに紅茶専門店のこの店に寄るのが好きで、それが珪となら尚のこと楽しくて、3年間のいい想い出だったのに。
(この制服で来る最後かも知れない日に、なんでこんなコトになってるんだろ)
「今までは、目が覚めたら夢の内容は消えてっちゃうのに、昨夜はちゃんと、覚えてて」
「覚えてないのに、どうしてその夢だって、わかるんだ?」
「それは、その・・・」
珪に問い詰める気はないのだろうが、氷室よりも追求が厳しい。
「泣いてるから・・・」
出来れば知られたくないことだが、これを打ち明けないことには釈明にならない。
「あの夢を見ると、いつも泣いてるから、ああ、また、ってわかって。だから、教室でも、その・・・」
居たたまれなくて、砂糖を落としたミルクティーを、むやみとかき混ぜる。
「悩み事があるって訳じゃないから、もう気にしないで、珪」
「どんな夢なんだ?」
話を終わらせる気のない珪の意思を感じ取って、今日子は観念した。
「小さな子供のわたしが、誰かと約束をしてる夢」
ティーカップに視線を落としたままの今日子は、珪の様子が変わったことに気付かなかった。
「その場所には、きれいな絵があって、わたしはその絵のお話が書かれてる絵本を読んでもらってて」
けれどその誰かは、父親が住んでいる外国に行かなければならず、いつか帰ってきて、お話の続きをしてくれると、必ず迎えに来ると、約束をして別れたのだと話した。
「たぶん、何かの映画か本の影響で、自分で作っちゃってる夢だと思うの」
こうやって口にしてみると、お伽話もいいところで、ますます恥ずかしくなってきた。
「ほら、思いグセって、あるでしょ。こわい夢をやだな、って思ってると、何回も見たりする。あれと同じだよね、きっと」
あはは、と笑ってごまかし、そっと珪の様子を窺うと、
(なんで、こんな、こわい顔してるの・・・)
心臓がドキドキする。
「・・・おまえにとって、つらい夢なのか、それは」
「つらい、っていうか」
寂しくて、悲しくて、枕が濡れるほど泣いてました、なんて言ったら、もっとこわい顔になりそうだった。
「ただ、逢いたい、って思うだけ」
無意識に口から零れた言葉で、どうしてこんなに夢の記憶を、カケラの一つ一つを集めようと、一生懸命になっていたのか分かった。
「わたしは、あの夢の中の誰かに逢いたいんだと思う。待ってるって、約束した場所がどこかもわからないのに・・・変だよね、そこへ行けば、きっと迎えに来てくれるような気がして」
そこまで言って、我に返った。
夢なのに、何を真面目に話しているのか。
「とにかく、夢見て寝ぼけただけだから、もう忘れて。お願い」
沈黙の後、返ってきたのは、
「・・・わかった」
短い一言。
「えっと、あ、明日って火曜日だけど、珪、お仕事あるの?」
「いや、金曜に替えてもらってる」
「そうだよね。明日は卒業式だし、その後はお休みなんだから、いつでも大丈夫だもんね」
追求を止めてくれたかわりに、黙りこくってしまった珪との間を持たそうと、ポットが空になるまで、今日子は取り留めのない話をし続けた。
「あー恥ずかしかった」
制服を着替えて、ベッドの上に転がる。
式の予行演習しかしていないのに、クタクタだった。
「でもなんで急に、色々思い出したんだろ」
呟いて、だから夢だって、と自分にツッコむ。
珪は変に思ったろうなと、夢を真に受けている自分がイヤになる。
「でも・・・きれいな処だったな」
その場所は、静かで、自分とそのコ以外は誰も居なかった。
架かっている絵から射しこむ光が、そのまま透明な絵を床に映し出していて―――
「あれ?なんで絵から、光が射しこむの?」
身体を起こして、窓を見る。
ガラスじゃあるまいし、と否定しかけて、
「ステンドグラス・・・」
珪の家のリビングにある、明かり取りのステンドグラス。
光が射しこむと、フローリングの床にその色が映るのがとてもきれいで、
『おまえ、きれいなものが好きなのか?』
不意に響いた、誰かの声。
『うん、だいすき!』
『じゃあ、いいもの、見せてやる』
そう言って、誰かはきれいな絵のある場所へ自分を連れて行ってくれた。
その絵は本当にきれいで、とても好きになって、でも、一番大好きだったのは、誰かのきれいな緑の瞳。
「・・・けい、くん?」
To be 「ここから始めよう」
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