「あ、お帰り、姉ちゃん。どうだった?試験」
出迎えた尽に、たぶん大丈夫と答え、リビングのソファに倒れ込む。
「疲れたぁ・・・」
「うわ、なんかの抜け殻みてぇ」
憎まれ口をきく尽を、叱る気力もない。
今日が、受験だった。
試験会場を出た後、待ち合わせのファミレスで、同じ学部を受験した珪、綾瀬、楠本、志筑と答え合わせをした。
結果は、
『よし!これで春から、みんな一緒のキャンパスライフ決定だな』
上機嫌で楠本が断じたように、よほど何か大きなミスをしていない限り、望みは果たせそうだった。
「なんか飲む?」
「今はいい」
もそもそとクッションを引き寄せ、丸くなる。
「制服、シワんなるぜ」
そうだねと口の中で答えながら、目を瞑る。
緊張が解けたのか、そのまま眠ってしまったらしく、次に目を開けた時、尽は居なくて、身体に毛布が掛けられていた。
目をこすりながら、起き上がる。
時計を見ると、眠っていたのは一時間ぐらいだった。
カーテンを透す光は弱く、リビングは薄暗くなり始めている。
「終わったんだよね。試験」
制服の上から、胸元に隠れているムーンストーンの上に手を当てる。
受験は、確かな手応えを得て終わった。
今日子の前に、大きな課題を残して。
抱き枕にしていたクッションを、ポテッと、ソファの上に置き、自身も座り直して向かい合う形になる。
「珪、話があるの」
どうやら、クッションを想い人に見立てているらしい。
「わたし、珪のことが」
ここで、大きく息を吸う。
「す」
後が、続かない。
「す、」
クッションを、両手で掴んで引き寄せる。
「す」
沈黙は、1分続いた。
「言えないっ」
クッションを、ギュウッと端に押しやって、そのままうずくまる。
「ダメ、やっぱり言えない・・・もう、ほんとに何やってんだか・・・わたし、ダメ過ぎ!」
「駄目だったのか!試験っ」
突然、リビングのガラス扉を開けて入ってきた父に、飛び上がって驚く。
「驚かさないでよ!」
「それは、こっちの台詞だ!」
薄暗いリビングで、クッションを掴んでじっと見ていたかと思うと、急にうずくまり、挙句、ダメ過ぎだと苦悩する声が聞こえては試験に失敗したとしか思えない。
「どうなんだ、名前書くの、忘れたのか?」
中学の頃の失敗を持ち出してくる父に、
「ちゃんと書きました!もう、何年前の話よ。試験も、たぶん大丈夫!」
自棄になって強く言う。
「じゃあ、何やってたんだ」
パチンとスイッチを入れたので、急に部屋の中が明るくなった。
薄暗がりに慣れた目に眩しい。
「それは、その、予行演習っていうか、」
言う必要のないことを言いかけ、慌てて口を閉ざす。
「わたし、着替えてくる」
尽の忠告どおり、クシャクシャになってしまったスカートの裾をのばすようにして立ち上がる。
そそくさと父の横をすり抜けて、階段を駆け上がった。
部屋に入って、ベッドサイドに置いてあるスノードームを取り上げる。
「うん。頑張ろ!」
翌日の木曜日は、卒業式の予行演習の為、登校した。
今日と、明日の金曜日、それに来週28日の月曜日が登校日で、3月の1日が卒業式だった。
学園への坂道を登るのも、あとたった3日なのだと思うと、不思議な感じがした。
講堂で式の予行演習をしていても、卒業するのだという実感が湧かない。
クラブの後輩が、土曜の送別会の連絡にわざわざ教室まで来てくれて、そういえば自分は送られる側の人間だったと、改めて思う。
周りを見回してみれば、皆、すっかりお別れムード一色で、受験で頭が一杯になっているうちに、卒業の感傷から取り残されてしまった自分に気付く。
では、にわかに感傷的になれるかというと、大勝負を控えた身では、何もかもこれからという高揚感の方が勝ってしまっている。
それでもやっぱり、皆と一緒に卒業の感傷に浸りたくて、お昼の後、一人で校内をふらふらしてみた。
カメラを持ってきて、皆で記念撮影しようかなぁと、ぼんやり歩く今日子の耳に、その言葉は飛び込んできた。
「好きなんだ」
校舎の角を曲がろうとしていた足が、地面に縫い付いたように止まる。
「俺と、付き合ってくれないか」
大変な場面に行き合ってしまった。
他人の告白を立ち聞きなどしては、絶対にいけない。
息を殺し、そおっと、足を引いた。
「ごめんなさい」
一刻も早く、この場から去ろうとする今日子の耳に、よく知った声が聞こえた。
「・・・やっぱり、ダメか」
「ほんとに、ごめんなさい」
「いいさ・・・ダメなのは、わかってた。それでも、伝えたかったんだ。俺の方こそ、ごめんな、綾瀬」
固まっている場合ではなかった。
たぶん、すぐに、二人、もしくは一人がこちらへ来る。
足音を立てないように、後ずさり、それから全速力で逃げ出した。
「どうしたの?」
息を切らして教室に飛び込んできた今日子を、有沢が不思議そうな表情で迎えた。
教室には、もう数人しか残ってはおらず、珪も仕事でとっくに帰っている。
「なんでもないっ」
ブンブンと首を横に振る今日子を見て、有沢は察した。
「美咲?」
「わたしっ、何も見てないからっ」
見ましたと、白状しているに等しい。
一つ息をついて、有沢は今日子を廊下に連れ出した。
「今ね、美咲、告白ラッシュに遭ってるのよ」
「えっと・・・何?それ」
明晰な有沢に隠し事をしようとしてもムダと、すぐに今日子は諦めた。
「フリーでしょ、美咲。去年から、ちょこちょこ申し込みはされてたんだけど、今年に入ってからは、ダメもとの記念告白まで加わっちゃって」
才色兼備を地で行く綾瀬は、もとから人気は高かったが、はっきりしたモノの言いぶりや、負けず嫌いの気性の強さが同世代の男子には手に負えず、遠巻きに憧れの視線を送るしかないでいた。
その綾瀬が変わったと、言われ出したのが去年の秋。
特に学園演劇の準備を通して、負けず嫌いは裏を返せば一途な一生懸命さに、意外にうっかり者な一面も、はば学一の高嶺の花を親しみやすく思わせた。
優しくなったという評判は、出来るだけ感情をコントロールし、何か言ってしまう前に一旦ストップをかけるようにした、当人の努力の賜物だった。
「受験前は、さすがに控えてたみたいだけど、また、再開したのね。来週、卒業だから無理もないけど」
そんなことになってたなんて、ちっとも知らなかったと、自分のぼんやりぶりに落ち込む。
美咲にはいつも相談するばかりで、友達として、自分は全然役に立っていない。
「下手なこと言うより、知らないふりしてた方がいいわ」
今日子の考えていることを、見透かしたように有沢は言った。
「他人が口を挟むようなことじゃないでしょ。美咲にしては、けっこう参ってるみたいだけど」
なぐさめようにも、何と言えばいいのか、言葉を見つけられないのは有沢も同じだった。
「今まで友達だと思って気安くしてた相手を振るのは、美咲も、つらいわよね」
その言葉は、今日子の胸に深く突き刺さった。
「疲れてるみたいだな」
心配そうな珪に、今日子は必死で笑ってみせた。
「なんか、試験が済んで、気が抜けちゃったみたい」
「明日行けば、休みだから。ゆっくり、身体休めろ」
「うん。そうする」
せっかく早く仕事が終わったのに、こうやって自分を送る為に、珪はアルカードで待っていてくれた。
珪の優しさに甘えてきた自分を、こんな時、思い知る。
「なぁ、明日、休んだ方がいいんじゃないか?卒業式の練習なんか、一度すれば沢山だろ」
「大丈夫。それに、あと少しだから、皆に会いたいし」
はば学の制服で珪と一緒に居られる時間を、少しでも長く感じていたかった。
有沢の言葉は、今日子が都合よく、記憶の隅に追いやっていたことを、再び強く、認識させた。
『わたしは、珪のことが好き』
今更、口にするようなことではなかった。
自分の恋を、珪はとっくに知っている。
そして、拒絶された。
背中を向けられた。
珪の中から閉め出され、居場所を失った。
それがつらくて、どうしても耐えられなくて、仲良しでいさせて欲しいと願った。
そんな勝手な願いに珪が応えてくれたからこそ、今、自分は隣りを歩いていられる。
なのに、この場所ではイヤだと言おうとしている。
仲良しのままでは、いたくないと言おうとしている。
「おまえ、予約したんだってな」
「え?」
「写真集。森山さんがちゃんとおまえの分、用意してあったんだぞ」
森山仁の手による葉月珪の写真集は、3月の初旬に発売されることになっていた。
宣伝も行き届き、前評判は上々で、予約注文は増えるばかりだという。
「珪の最初の写真集だから、本屋さんに並んでるのを買いに行きたくて」
「ヘンなヤツ」
「あ、ひどい」
ふざけて、腕を叩くフリをすると、
「だってそうだろ?あれは、おまえに見せる為に撮ったんだ。だから、あの本はおまえのものだ」
珪の言葉が心の中に沁みこんでいく。
こんな風に、珪は優しかったから、いつの間にか、どこかで期待していた。
もしかしたら、珪の特別になれるかも知れないと。
この想いを知っていて、何も言わない珪の沈黙こそが答えなのに。
「・・・すごく、楽しみ。早く発売日にならないかな」
「見たいなら、持って来る」
「だーめ。言ったでしょ。本屋さんで平積みになってるのを買いに行くの」
「ヘンなヤツ」
「ヘンだっていいもん」
これ以上を欲張って、この幸せな居場所を、優しい眼差しをくれるこの人を、失う覚悟が本当にあるのか?
イヤっ!という心の叫び。
目を瞑って、また、逃げ出そうとしている弱い自分を、今日子は感じていた。
→ Next
小説の頁のTOPへ / この頁のtop
|