パーティーがお開きになる頃、今日子が気付いた時には、綾瀬の姿は消えていた。
一緒に帰る約束をしていた訳ではないが、このまま何も言わずに行くのもと思い、辺りを探してみた。
「お疲れ」
「あ、珪」
ツリーの下で、声を掛けられた。
「ね、美咲、見なかった?」
「綾瀬なら、氷室を追って行った」
「あ・・・そう。なんだ、そっか」
「おかしなヤツだな。なに、ニヤニヤしてるんだ?」
「なんでもなーい」
新しいドレスは、伊達ではなかったのだ。
「じゃあ、わたしたちも、一緒に帰ろう、珪」
3年目のクリスマスに、勇気を奮った綾瀬に触発され、素直に願いを口にしていた。
「なぁ、おまえ、これから少し、時間あるか?」
「今日は遅くなるって、言ってあるから大丈夫。でも、どうして?」
お茶に誘ってくれるのかなと、淡い期待を込めて訊いた。
「これから・・・海、行かないか?」
「・・・う、み?」
予想外の誘いに、すぐには単語がイメージを伴なってこなかった。
「でも、夜だよ?」
夜の海で、散歩でもするのだろうか。
「知ってる。・・・来いよ」
強引な誘いを不思議に思いながら、預けてあったコートを受け取り、外へ出る。
大通りに出たところで、運良くタクシーを捕まえられた。
車中での珪は静かで、今日子もつられて無口になってしまった。
パーティーのこと、急に引き出されたワルツのこと。
話すことは沢山あるのに、どうしてか言葉が出てこない。
海岸まで来ると、臨海公園が対岸に見える所で珪は車を停めてもらい、15分ほど待っていてくれるよう、頼んだ。
「どこに行くの?珪」
「すぐそこ」
言葉どおり、車からさほど離れていない近くの遊歩道で足を止める。
階段を下りれば浜に出られるのだが、そのつもりはないらしい。
「これ、着てろ」
コートを脱いで、肩に着せ掛けられて、今日子は慌てた。
「ダメ。珪が寒いでしょう」
「俺は大丈夫だから」
コートを返そうとする手を押し止とどめられる。
「また、おまえに風邪引かせたくないんだ。寒いだろうけど、すぐだから・・・少しだけ、付き合ってくれ」
「・・・だったら、だったらね、珪」
いつ渡そうかと迷っていたプレゼントの包みを取り出す。
わざと簡単にしてもらったラッピングのリボンを解き、マフラーを取り出した。
「これ、して」
背伸びして、ふわっと珪の首に掛けた。
「・・・・・」
カシミヤのマフラーに手を添えて、驚いた様子の珪に、追い被せるように言った。
「一輪挿しのおまけ」
用意してきた言い訳の、どれでもなかった。
「・・・おまけ?」
「そう。おまけ」
咄嗟に出たとはいえ、もうちょっと、他に言い様はなかったのだろうか。
「あ、ねぇ、夜の海って、思ったより明るいんだね」
恥ずかしくて、珪の気を逸らしたくて、無理矢理、話題を変えた。
「今夜は、月が出てるしな」
言われて夜空を仰ぐと、金貨のような月があった。
星の明かりを消すほどの、冴え冴えとした光。
「ほんとだ、きれいな月・・・・・珪、ここへはよく来るの?」
考えもなく問いかけて、また変なコトを言ってしまったと思った。
夜の海に来ることなど、そうある筈はないのにと。
それなのに。
「ときどき」
思わず見上げた珪は、やさしいけれど、寂しい瞳で自分を見つめていた。
(あ、この瞳)
以前、よく見た瞳だった。
見つからない何かを探しているような、届かない何かを求めているような瞳。
「遠くに、街の灯りが見えるだろ?」
「うん・・・」
深い緑の寂しい瞳が、街側のきらめく灯りの方へ向けられた。
「あの灯りの一つ一つに人が住んでいて、みんなそれぞれ笑ったり、怒ったりして暮らしてる」
月明かりの届かない、冷えた横貌。
「夜、目が覚めて、世界中で自分が一人きりになったような気がする時、ここに来てそう考えると、少し安心するんだ」
手を伸ばして、抱きしめたい衝動に駆られた。
独りではないと、傍にいると、伝えたい強い気持ちに心が震えた時、
「そろそろだ」
孤独の影は拭ったように消え、向き直った珪の顔に、楽しげな表情が浮かんだ。
「臨海公園の方、見てろよ」
促すように肩を抱かれ、一緒に、観覧車やタワーの灯りが煌く対岸へと目を向けた。
「わぁ・・・」
観覧車に、黄金色の光が灯り、クリスマスツリーが浮かび上がった。
白銀のようなライトを下からも浴びて、眩しいくらいに輝いている。
「きれい・・・」
「すごいだろ」
得意気な響きを声に感じた。
「ここから見ると、海の上に浮かんでるように見える」
「ほんとだ・・・」
なんて綺麗なんだろう、そう感じている気持ちを共有したくて、珪を見上げた。
(あ・・・)
半身に、観覧車からの光を浴びて、珪の髪が透けるように黄金色に輝いていた。
『けいくんて、王子さまみたい』
手を伸ばして触れた、柔らかな髪。
『ほら、髪がキラキラ。いいなぁ、わたしも、けいくんみたいだったら、いいのに』
(なに?・・・これ)
ある筈のない記憶。
けれど、鮮明に響いたのは、確かに自分の声だった。
「俺、去年見つけて、おまえに見せてやろうと思って」
ひゅるんと、声の記憶を追いかけようとした意識が引き戻された。
「去年て、去年のクリスマス?」
「ああ。おまえに黙ってるの、けっこう苦労したんだ」
「・・・もしかして、一年間、言うの我慢してたの?」
「ヘンか?」
子供のように、きょとんとした表情になって訊く。
「だって・・・珪」
笑ったのは、心を抑え込む為だった。
「ヘンだよ、珪・・・だって」
けれど、固く結んでいた筈の封印が解ける。
「ハハ・・・そうだな」
楽しそうに声を立てて微笑う珪への想いが、
「少し、ヘンかもな」
止めようもないほど溢れて、身の内のすべてを満たす。
「でも俺、おまえがそうやって笑うの見ていられるなら、それでいいんだ」
もう、閉じ込めることは出来ない。
「メリークリスマス」
このやさしい瞳を求めて、想う心を封じることは、きっと出来ない。
「俺、おまえがいてくれてよかった」
(どうしよう)
こんなにも
珪を
好きだった
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