「あのさ、姉ちゃん。ちょっと、ひどくないか?」
あの後、すぐに車に戻った。
「俺様、渾身のクラブハウスサンドだってのに」
風邪を引かせないうちに帰らなきゃなと、
「中身がボロボロ、皿に落ちてんだよ。さっきから」
このツリーを、おまえに見せることが出来てよかったと、
「それじゃ、ただのトーストじゃん」
おまけ、ありがとなと、やさしく微笑ってくれた珪と一緒に。
「おーい、聞いてんのか?」
「尽、うるさい」
「うわっ、すっげぇ、むかつく」
朝食のテーブルで、クラブハウスサンドの成れの果てを、モタモタと口に運ぶ今日子の虚ろな目はシュガーポットに当てられたまま。
父の観察するような視線も、弟のやかましく文句を言う声も、今日子の意識を素通りしていく。
「今日子」
「なぁに」
母の呼びかけに、口先だけで応える。
「御飯の後、買い物に行くから、済んだら仕度してね」
「うん・・・わかった」
「げっ、母さん、マジで言ってんの?こんなの連れてったって、荷物持ちにもなんねーぜ」
俺も一緒に行ってやるという尽の申し出は、女同士の買い物だからと却下された。
そんなやりとりも耳に入っていない様子で、コーヒーを飲み終えると、今日子は席を立った。
すべてが気に入らないという顔で、尽はブチブチ文句を言いながら、皿を下げた。
「奨、車、使うわよ」
マグカップを手に、ソファの方へ移動した夫に了解を求める。
「奨?」
「あ、ああ」
考え込む夫の様を見て、なんて似た者親子なんだろうと、おかしくなった。
心を隠すのが下手で、無防備に気持ちを顕わにして、その上、お人好しで。
だから危なっかしくて、放っておけなくなる。
目が、離せなくなる。
昨夜遅く、今日子を送ってきた葉月珪は、玄関先で、きちんと挨拶をして帰って行った。
秋に今日子の見舞いに来た彼と、奨がどんな話をしたのか、ゆりは詳しく聞いていない。
ただ、あれ以来、葉月珪の名が話題に上がる度、奨は考えに沈むようになった。
以前のあからさまな敵視は消え、たまに顔を合わせた時など、短い会話も交わしている。
けれど、このまますんなり受け入れるには、多くの葛藤がある、といったところなのだろう。
共に暮らしてきた時間の積み重ねの中で、夫の思考は大体、読めるようになっていたが、娘は子供といえど、そこは女。
本気で隠したい心の内は、窺い知ることは出来ない。
(でも、ま、恋する乙女の思考パターンは不変よね)
茶目っ気をたっぷり持つゆりは、助手席でぼんやりしている娘を横目に、こっそりと我が企みに微笑んだ。
車を駐車場に入れ、エレベーターが混んでいたので、階段で1Fへと上がる。
と、やけに人が多く、ざわついていた。
「珪・・・」
娘の呟きに、その視線の先を追うと、葉月珪がいた。
何かの取材なのか、カメラマンを始め、数人に囲まれている。
ラフなジャケット姿なのに、昨夜のタキシードよりも硬質な印象を受けるのは、仕事中だからなのだろう。
それにしても、十重に囲まれた人垣の中から、よくもまぁ、一瞬で見つけ出したものだと感心した。
取材が終わったのか、軽く会釈をし、マネージャーらしい男に付き添われ、足早にこちらへ向かってくる。
後ろの階段から、駐車場へ下りるつもりなのだろう。
視線がこちらに流れたように感じた時、
「珪!」
驚いたことに、今日子が葉月の前に走り出た。
「・・・おまえか」
「今日もお仕事なんだね。おつかれさま」
「サンキュ」
我が娘も娘なら、平然と足を止めた葉月珪も葉月珪である。
「雑誌の取材?」
「そうなんだ」
ここでやっと保護者の存在に気付いたらしく、こんにちは、と挨拶をする。
「お母さんと買い物か?」
「そうなの」
礼儀正しいのは結構だが、悠長に立ち話をしている場合なのだろうか。
葉月珪に付いて移動してきた集団からの、二人に突き刺さるような視線を、何も感じていないのか。
「雑誌の取材って、どんなこと話すの?」
全く周りが見えなくなっている莫迦娘の問いかけに、
「・・はい。・・いいえ」
人を食った答えを返す。
「えーと、それは一体」
「コメント」
「珪・・・はいと、いいえ、だけで、記事になるの?」
「さぁ・・・読んだことないから、俺」
葉月に付き添うまだ若い青年と目が合い、すぐに互いの意思を読み取った。
この、お互いのことしか目に入らない、困った二人を引き離して、すぐこの場を去らなければいけない。
「どっちみち、ヤツら、書きたいこと書くし」
身もフタもないことを言ってのける葉月の肩を、青年が叩き、注意を促す。
「ちょっとぉ、なんであのコ、葉月クンとお話ししてる訳 !?」
「信じらんないっ、あつかましすぎ!」
反応が遅いくらいだったが、上がるべくして上がった非難の声に、ようやく娘は我に返ったようだった。
「あ、の、ごめんなさい・・・わたし」
謝っている暇があったら、逃げた方がいい。
「いらっしゃい」
娘の腕を取って、引っ張る。
「悪い。俺、行く」
スッと、横を通り過ぎた葉月珪を、まだ目で追っている娘を引きずるようにして、その場を離れた。
目指すショップに、ずいぶんと遠回りして辿り着いた時、娘の様子は一段とひどくなっていた。
何か、きっかけがあれば、泣き出すんじゃなかろうかという落ち込みぶりで、全く、自分をコントロール出来なくなっているらしい。
「今日子」
「・・・はい」
俯いたまま、返事だけはする。
「草履とバッグ。あなたのなんだから、ちゃんと見なさい」
「・・・わたしの?なんで?」
呉服屋に来て、する質問ではない。
「お正月に、わたしの振袖、着せたげる」
「お母さんの振袖って、あの桜と御所車の?」
小さい時から、虫干しで衣桁に掛ける度、“きれい”“いいなぁ”と繰り返していた着物だった。
落ち込んでいても、ちゃんと反応するあたり、女の子よねと可笑しくなる。
「今年も行くんでしょ?初詣」
名は口にせずとも、誰を指しているのか、わかったようだった。
「まだ・・・わからないもの」
俯いている娘の様は、その昔の自分の姿だった。
傍から見れば、何をグズグズ悩んでいるのかと、さぞかしイラつくだろうが、当人は至って真剣で、この世の果てに追い詰められているも、同然の心持ちでいるのだ。
「あなたは父親似だと思ってたけど、そんなとこだけ、わたしに似ちゃったのね。あら、可愛い」
どう?と、ぼんぼりのようにふっくらと丸い手提げを取って渡す。
「普段、能天気な分、一度悩み出すと、延々そこから抜け出せないのよね。中途半端に臆病だから」
「お母ーさん」
半泣きの顔で、うらめしそうに見られても、ちっともこたえない。
「しかもそういう時って、もうとっくに答えは出てるのに、それから逃げてるだけなのよ。ちがう?」
同情や慰めが何の役にも立たないことは、かつての自分が経験済みとあれば、手加減の必要はないとわかっている。
「・・・わたしの、すぐ顔に出るトコって、どっちに似たの?」
渡した手提げは気に入らないのか、棚に戻しながら訊く。
「そんなの奨に決まってるじゃない」
やっぱり、と、がっかりするところを夫が見たら、さぞかしショックを受けるだろう。
「ほら、さっさと選ばないと、お古持つハメになるわよ。だんだん、わたしが欲しくなってきちゃった」
半ば本気で、どお?と明らかに自分用のを手に取ってみせる。
「お母さんはクリスマスプレゼントにバッグ買ってもらったばっかりでしょ」
手にあるものを奪って、棚に戻してしまう。
「あれは、着物には合わせられないわよ」
まじめくさって言うと、すっかり本気にし、30分待って!と真剣に選び始めた。
好きな人には、いつだって一番綺麗な自分を見せたい。
恋する想いが強ければ、尚のこと。
「わたしも、お正月は着物にしようかな」
帰ったら、自分と奨の着物も出さなきゃと、楽しそうにゆりは笑った。
今日子が留守電に気付いたのは、母の振袖を大事に抱えて、部屋に戻った時だった。
着信から、二時間は経っていた。
家に帰って、部屋でコートを脱いですぐ、両親の部屋で着物を合わせていた。
汚したら大変と、触れるのも躊躇われた着物に袖を通したら、急に大人になれたような気がして、うれしかった。
「珪?わたし。連絡遅くなって、ごめんね」
待っていたようにすぐに出た珪に、大丈夫だったか?あの後、と性急に訊かれた。
「うん。大丈夫。その、ごめんなさい。お仕事中なのに、話しかけたりして」
『もう終わってたから・・・気にするな』
買い物、ちゃんと出来たか?と訊ねてくれる声が心配そうで、バカな真似をしたわたしが悪いのに、珪は優しすぎると思った。
『なぁ、ちょっと早いけど、元旦の初詣、一緒に行かないか?』
たわいのない短いお喋りの後、切り出されたのは、今、一番欲しかった誘い。
「行く」
考える間もなく、口が勝手に答えていた。
「合格祈願、しに行かなくちゃ」
後から付け加えた言い訳に、珪は笑ったようだった。
『神様より、氷室の方が頼み甲斐があるんじゃないか?』
「言えてるかも」
来週の月曜から3日間、年明け4日から3日間。氷室の特別講習が行われることになっていた。
『おまえ、明日の予定は?』
「午前中はお部屋の掃除して、午後は図書館に行こうと思ってる」
『だったら、家に来いよ。俺、勉強見てやるから』
「珪が?」
『なんだよ、不服なのか?』
「だって、珪の教え方ってスパルタなんだもの。氷室先生より厳しい先生がいるなんて、思わなかった」
珪のおかげで、期末前に一週間休んでしまった遅れは充分すぎるほど取り戻せた。
とはいえ、授業中寝っぱなしでも、トップの成績を取れる葉月珪の頭脳と同じ理解力、応用力を前提に進められたその補習は、結構ハードな代物だったのだ。
『じゃあ、別にいい』
ムスッとしている顔が目に見えるようで、可笑しかった。
「手加減してくれるなら、行く」
『・・・しょうがないな』
約束をして電話を切った後、ベッドサイドに置いてあるスノードームを取り上げ、顔の高さで返して雪を降らせた。
“もうとっくに答えは出てるのに、それから逃げてるだけ”
母の言葉は、今日子の逃げ道を断った。
“行くな !! ”
強く求める声に、足を止めてしまったのは、シンデレラではなく、自分。
王子の、珪の腕に包まれて、涙を零したのも。
いつもいつも、好かれたくて、たまらなかった。
特別に想われたくて、誰より近くに居たくて。
仲良しでいいというウソで自分を偽って、その実、珪の心を求め続けていた。
やっていることが、ちぐはぐで、メチャクチャになるのも、道理だったのだ。
「でも、ごまかされる珪も珪よね」
覚悟を決めれば、こんな文句も口を突いて出る。
「ごめんね、珪。仲良しでいたいって言ったのは、わたしなのに」
降り止まぬ雪のように、心に積もっていくこの想いから、目を逸らすことはもうやめよう。
手を返して、何度も雪を降らせる。
尽が、夕食の支度を手伝えと呼びに来るまで、今日子は雪を降らせ続けていた。
- Fin -
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