明日から10月という木曜日。
昼休みを利用した部会を終え、午後の授業までの残り時間を、手芸部の部員たちはそのままお喋りで過ごしていた。
「これでなんとか、なりそうじゃない?」
文化祭までのスケジュール表を完成させて、今日子がノートパソコンを閉じると、
「どうにかね。やる気があるのは助かるんだけど」
副部長の宮野あいが応じた。
各自が製作した服をショー形式で舞台披露する。それが文化祭での恒例だったが、今年は少し違った。
2部形式にし、1部は例年どおり、2部はダンスを披露しようというのだ。
この提案は夏合宿で、2年生からなされた。
新ブランドを立ち上げる発表をした花椿吾郎が、特別顧問を務めるのは今年限りとされていた。
沢山のことを教えてもらった感謝を込めて、という発案は、話し合いの結果、全員一致で可決した。
華やかで、明るいものが大好きな花椿の好みを考慮し、その企画は練られた。
始めは部員だけで披露する筈が、宮野あいがダンスサークルの主宰だったことから、サークルメンバーの男子にも協力を依頼しようという案が上がり、企画の加速が始まった。
1年生はカジュアルな服、2年生はパーティードレス、3年生はウエディングドレスというところから、男子と組んでワルツを披露するのは2年生と決まった。
だが、やっぱりもったいないと、宮野あいにはパートナーの工藤と踊ることが求められ、メインとなる長いパートを受け持つことになった。
文化祭後に引退する3年生としては、後を受け継ぐ2年生が中心となって頑張ってくれるに越したことはない。
いつからダンス部になったのと悲鳴を上げながらも、目下、手芸は盛り上がりまくっていた。
「ところで、シンデレラの主役発表って、予定どおり明日よね」
宮野のフリに、同じクラスの栗原がそうそうと応じた。
「今年はどうなると思う?」
「王子とシンデレラでしょ。人、選ぶよね」
浅丘が答える。
文化祭の目玉となる学園演劇は、演目が発表された後、投票で主役を推薦する。
イメージが合いさえすれば、生徒、教師に関係なく投票出来るので、毎年、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。
最も多く票を集めた順に出演交渉が行われ、承諾すればそこで決定となり、10月の1日か2日には発表となる。
「もう、実行委員が打診に行ってる筈だから、そろそろ情報が流れてくるんじゃない?」
日野が言うと、
「ここだけの話、わたし、王子役に葉月君を投票しちゃったんだよね」
もういいよねぇと、松崎が告白する。
一応、発表までは誰に入れたかは公にしないのが、暗黙のルールだった。
「あ、わたしも!」
秋津がキャアと、松崎と手を打ち合わせる。
「なんたって、王子だもんね」
「他に考えられないでしょ」
「そうかなぁ、わたしは三原君の方が合うと思うけど」
浅丘の反論に、
「わたしも色様に入れた」
栗原が手を上げる。
「正統派王子は、葉月君と三原君だろうけど、あの二人が受けると思う?」
日野のもっともな意見に、
「シンデレラ次第じゃない?」
宮野が答えた時だった。
形ばかりのノックの後、家庭科室の扉を開けて、綾瀬美咲と、話題の葉月珪が入ってきた。
1、2年生から、抑えきれない悲鳴が上がる。
同じ学校にいても学年が違うと、葉月珪を間近で見る機会はそうそうない。
綾瀬の後ろにいる葉月珪に女子の視線が集中した。
「今、ちょっといい?」
一言断って、綾瀬は今日子の前に来た。
「学園演劇の実行委員として依頼します。シンデレラ役、引き受けてもらえますか?」
一拍おいて、
「王子役は葉月君です」
わぁ、っという歓声が1、2年生から上がった。
「1位は美術部の桜井彩乃ちゃんなんだけど、クラブ出展に専念したいからって、辞退したのよ。で、繰り上げで次点の今日子。といっても、数票しか差はないんだけどね」
いつもの口調に戻って続ける。
「やってくれるでしょ?」
やります!やります!という答えは、後輩たちから上がった。
「明日香先輩、OKですよね?」
来期の部長に決まっている篠宮が、傍まで来て同意を求めた。
「・・・無理よ」
小さな声で今日子は答え、篠宮は、えっ、と驚いた。
「だって、手芸部のショーがあるし、大体、わたし、部長だし、他のことやってる場合じゃ」
「いいじゃない。やりなさいよ」
気弱な返事を、宮野が遮った。
「ショーは1日目で、シンデレラは2日目でしょ。重ならないし、せっかく推薦してもらったんだから、やるべきよ」
「そうよね。毎日、クラブがある訳じゃないんだし。やりなよ、今日子」
浅丘も賛成した。
「こんな機会、めったにないもんね。ゼッタイ、やった方がいいって。そうだよね?」
日野が他の三人に同意を求める。
「まぁ・・・やることやってくれれば、別に、いいけど」
松崎が答え、秋津と栗原も反対はしないと言った。
「じゃ、決まりね」
宮野が結論づけるのに、今日子はでも、と迷う。
ここで、黙って綾瀬の後ろに立っているだけだった葉月珪が口を開いた。
「やろう。一緒に」
追い詰められた表情になって、今日子は宮野を見やった。
「やらせます」
副部長の決定に、1、2年生が歓声で応えた。
ハァ、という何度目かの今日子のため息に、珪はとうとう、我慢ならなくなった。
「おまえ、少し失礼だぞ」
綾瀬が、屋上でぼーっとしている珪の所へ出演依頼に来た時、
『やめとく』
珪は断った。
『でも、シンデレラの候補は今日子よ。珪君が王子役受けてくれれば、一緒に出演依頼に行ってもらおうと思ったんだけどな』
『行く』
すぐさま前言を撤回したというのに、今日子のこの態度は何なのか。
「そんなに、俺とやりたくないのか」
アルカードへ向かう下校の途中で、珪にしてはストレートに問いかけた。
「そうじゃなくて」
今日子は足を止めると珪を見上げた。
「ものすごーく、たいへんなことになるって、珪、わかってないでしょ」
ものすごく、に力を込めて問う。
「あれは、祭りのイベントの一つだろ?」
芝居未経験者が舞台に上がる学園演劇に、演技力を期待する者など、学内にはいない。
配役を楽しむのが一番の目的で、よほどの大根でない限り、毎年ちゃんと、盛り上がるのだ。
「やっぱり、わかってない」
また、ため息をついて歩き出す。
「美咲が実行委員で、しかも、今年の監督役は氷室先生なんだよ?」
「それが?」
今日子の王子役をやれるという事以外、珪の頭には無かった。
「完璧な状態に仕上げるまで、幕上げさせてくれないから。覚悟した方がいいよ」
「大げさだな」
「珪は、美咲のこと全然わかってない!」
ムキになる今日子に、いや、そもそも分かろうとしてないから、と心の内で答える。
「美咲も氷室先生もお芝居大好きな上に、そろって完璧主義者でしょ。わたし、お芝居なんてやったことないのに、どうしよう」
今日子の焦りに対し、珪は、何とかなるだろうと楽観していた。
「珪もよく、受けたよね。こういう目立つことって、好きじゃないのに」
「別に。たまには、いいかと思って」
自分と組むことを、ちっとも喜んでくれない今日子の反応に、珪はふてていた。
「おまえが頑張ってるの、俺はいつも見てるだけだから、一緒にやりたいと思ったんだ」
「珪・・・」
再び足を止めて、今日子は珪を見上げた。
「わかった」
決意を込めた目で、ガシッと珪の腕を掴む。
「珪がそんな風に思ってるんなら、わたしも協力する。もう、グズグズ言ったりしない。一緒にがんばろうね!珪」
「あ、ああ」
何か、違う。
ここは、熱血するところじゃないだろう。
求めるところとは、違うスイッチの入ってしまった今日子が張り切る様に、珪はこっそりとため息をもらした。
「呆れた」
同じ頃、連れ立ってアンネリーに向かう綾瀬に、有沢がきっぱりと言った。
「ドラマじゃあるまいし、そう上手くいくと思ってるの?」
リアリストな有沢の言葉に、
「わたしは単にチャンスを提供しただけ。上手くいけば、もうけもんでしょ」
『あのポスターの二人で、シンデレラ、見てみたいよね』
今日子に憧れている篠宮の前で放った一言は、絶大な効果をもたらした。
同じ台詞で友達を扇動し、篠宮は秘かに投票を呼びかけまくった。
この手の運動も名物の一つで、同じコトがいくつものグループで行われていた。
二位の三原色には三原のファンクラブが、三位の姫条まどかにも、イメージ合わなくない?との批評にもめげず、学年ごとのファンクラブが票集めに奔走していた。
その挙句、票が割れてしまうのも恒例なのだが、今回は葉月珪のイメージ勝ちだった。
「彩乃ちゃんが一位なのには焦ったけどね」
美術部所属の、はかなげな美人である桜井彩乃は、シンデレラのイメージにぴったりだった。
計画倒れを覚悟した綾瀬だったが、王子役の一位が葉月珪、シンデレラの次点が今日子であることを聞くと、桜井は微笑んで辞退した。
クラブ出展に専念したいからと理由を付けた後で、今日子に頑張ってね、って伝えて、と楽しそうに言った。
こんなところにも同好の士がと、綾瀬は意気を高めて葉月珪のもとに走ったのだ。
「で、お願いがあるんだけど。脚本書いて。志穂」
軽く、とんでもない頼みごとをする友人を、有沢は眼鏡のフレーム越しに睨んだ。
「わたし、受験で手一杯なんだけど」
「それはわかってるけど、わたし好みの脚本書けるのって、志穂だけなんだもの。ほら、前にシンデレラの話で盛り上がって、お話書いたの、読ませてくれたじゃない。あれ、脚本にして」
詩や物語を書くのが、有沢の秘かな趣味で、つい、綾瀬に見せてしまったことがあった。
「無茶言わないで」
スタスタと歩みを速める有沢に、綾瀬は追い縋った。
「配役は志穂の好きに、あて書きしていいから、試しに書いてみてよ。何でも協力するし、全然ムリなら、そう言ってくれていいから」
有沢の、困難に立ち向かう時ほど燃える気質を、ちゃっかりとつつく。
「・・・期待しないでよね」
更に歩みを早める有沢の頭の中では、物語の構成が音を立てて組み上げを始めていた。
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