翌日の、朝一番で今日子をつかまえ、撮影までの待ち時間をアルカードで過ごすと珪は宣言した。
だから一緒に行こうと約束を取り付け、ちょっとだけ、憂さを晴らした。
じゃあ行く時、声を掛けてね、と今日子が笑ってくれたので、かなり気分が良くなった。
けれど、肝心の放課後。
すっごいキレイなコが、校門の所で今日子を呼んでいると、クラスメイトの一人が呼びにきた。
一緒に行ってみると、
「アリス!どうしたの?」
ここで撮影でもあるのかと聞きたくなるほど、上から下までばっちり決めたアリスが立っていた。
「仕事終わったから、遊びに来たの」
「そうなんだ。お疲れさま!」
アポなしでいきなり来るか?と、不満なのは、珪だけらしい。
「ね、はば学の中、見学させて」
周りに人垣が出来始めているのに、アリスはまったく気にしていない。
「そうしてあげたいけど、今日はごめんね」
すまなさそうに、今日子は続けた。
「わたし、これからバイトなの」
「あ・・・そっか、火曜日だっけ」
がっかりしているアリスに、そうだそうだ、諦めろと、心の中で追い討ちをかける。
「じゃあ、わたしもアルカードに行く」
なんで、そうなる。
ずうずうしくないか、と思うのも珪だけらしく、今日子は、うん、おいでよ!と誘っている。
「じゃ、行こっか」
自分を見上げ、無邪気に微笑う。
不満は、口に出来なかった。
今日子とアリスの少し後ろを付いて歩く珪を、今日子は度々、振り返って、3人の会話を紡ごうとした。
けれど、アリスと珪の二人共に、仲良く会話をしようという気が全くなかった為、結果は無残なものとなった。
邪魔をするな、という気を全開で発する珪を、完全に無視するアリス。
アルカードに到着した時、今日子は軽はずみな自分の提案を心底、悔やんでいた。
(なのに、どうして並んで座るかな)
カウンター席に雁首揃えられて、どうしたものかと今日子は弱ったが、すぐに、二人の相手をする暇はなくなった。
店内の席はすべて埋まり、次々と入るオーダーを受け、コーヒーを淹れるのに忙しい。
時間が来て、席を立った珪は、がんばってね、と伝える今日子の唇の動きと、笑顔だけで我慢するより他なかった。
一体、アリスは何だって、今日子に付きまとうのだろう。
珪は不思議でならなかった。
校内見学、プロのモデルの技巧伝授、理由をつけては仕事の合間を縫って遊びに来る。
土曜日は、花椿の迎えの車に、ちゃっかり同乗していた。
女同士というのは、こうもカンタンに友情を結べるものなのか。
男が相手なら、睨みをきかせて追い払うことも出来たが、女友達相手にそんな真似も出来はしない。
運の悪いことは続くもので、この月曜は以前から仕事の予定が入っていた。
やる気ゼロで撮影所に行くと、廊下でカメラマン助手の沢木に呼び止められた。
ちょっといいかな、と控え室に引っ張って行かれる。
前の撮りが遅れているのかと、ますますやる気を失くす珪の前で、沢木は、
「ごめん!葉月君」
いきなり身体を二つに折った。
「アリスが、明日香ちゃんに迷惑掛けてるみたいで。ほんとに、ごめん」
つながりが飲み込めない珪に、沢木は申し訳なさそうに続けた。
「昨日、ウチに来た時、話を聞いてびっくりして。あ、ちゃんと注意したから、少しは控えると思うから」
「あの、沢木さん」
「妹なんだ」
予想もしない答えに驚く。
沢木はため息と共に言った。
「再婚した親の連れ子同士だから、血の繋がりはないんだけどね」
沢木が中学の時、新しい家族として引き合わされた7歳下の妹は人見知りで、慣れるまでに時間を要したが、懐いた途端、傍を離れなくなった。
「人との距離が上手く取れないっていうか、加減の仕方が下手なとこ、全然変わってないんだ」
何か、自分のことを言われているようで、居心地が悪い。
「とにかく、ほどほどにして、葉月君と明日香ちゃんの邪魔をしないように言っておいたから。ほんとにごめんね」
「いや、俺は・・・」
珪が、ビリヤードの教え方を教わったのが沢木だった。
ビリヤードを教えたい相手は、葉月珪の好きな娘だと知る沢木には、今日子が会話の中で不用意にもらした
『葉月君は、ビリヤードをするのも、教えるのも上手』
という一言で、ばれてしまった。
人のいい沢木は、からかったり、あれこれ聞いて珪を困らせるようなことはせず、代わりに、さりげなく気を利かせてくれるようになった。
気を利かせすぎて、アリスの代役に今日子を推してくれた件は裏目に出てしまったが、これは恨むのは筋違いというものだろう。
今日子を傷つけてしまったのは、珪自身の問題なのだから。
何度も詫びる沢木に、気にしてないからと見栄を張り、撮影の準備を整えた珪は、寛大な心持ちでスタジオに向かった。
沢木曰く、もともと、寂しがりやだというアリスが、今日子に懐くのはムリもないことなのだ。
(あいつは優しいからな)
この余裕は、沢木が珪を、明日香今日子の恋人として気遣ったことに、気を良くしたことから生まれていた。
だからスタジオで、撮影の済んだアリスが談笑していたスタッフの輪から離れ、珍しく声を掛けてきた時も、これから今日子の家に遊びに行くのだと自慢されても、
「そうか」
と受け流すことが出来たのだが。
珪の穏やかな反応に、意外な、という表情を浮かべたアリスだったが、たぶん初めてと言っていい当たりの良さで、
「これ、あげるわ」
さっきまでスタッフ達と見ていたミニアルバムを押し付けてきた。
何気なく開いてみて、はりぼての寛大さは消し飛んだ。
「昨日、一緒にプールに行った時のベストショット集。わたしの腕も悪くないわよねぇ。けっこうイイでしょ?今日子のビキニ姿」
ストラップレスの真紅のビキニは、白い肌に映えて似合ってはいた。
だが、しかし。
上げた視線の先で、沢木がゴメンというように、胸の前で両手を合わせている。
グルッと、周りの男性スタッフを一瞥すると、一様に目を逸らす。
沈黙と緊迫した空気の中で珪はアルバムを閉じると、アリスの手に返した。
「いらないの?」
なんて勿体ないことを!と言わんばかりのアリスに背を向ける。
「おまえ、それ持って今日子のとこ行って、怒られてこい」
「どういうイミよ!それにおまえ呼ばわりしないでくれる !?」
怒ってしまったアリスを沢木が宥めながらスタジオの外に連れ出す。
「えーと、じゃ、始めていいかな」
照明の下、足元に視線を落としたままの珪に、恐る恐る声が掛かる。
「はい」
低い声で、短い返答があった。
「じゃあ、こっちを睨むくらいのカンジで。キツイ目線頼むよ」
「・・・わかりました」
カメラマンの声に、珪は右手で髪をかき上げると、その目をカメラに向けた。
明るい照明の熱が一気に上昇し、ゆらりと陽炎が立ったように見えるのは、気のせいだろうか。
「・・・怒ってるよ・・・葉月君」
あの写真は、見なかったことに出来ないだろうかと、蒼くなる男性スタッフらをよそに、カメラマンだけが、
「いいよ!葉月君、そのカンジ!」
シャッターを切りまくっていた。
翌日。
朝のHRの後、体育の授業の為、教室を出た珪を今日子が追いかけてきた。
「あの、あのね、珪」
口をパクパクさせ、あの、と何度も繰り返す今日子の用件は分かっていた。
昨日の、アリスに見せられた写真のことだと。
「授業、遅れるぞ」
低い声で言い、背を向けて一歩踏み出したところで、はっとした。
振り返ると、今日子は俯いてしまっていた。
これだけは珪にもわかる、心弱くなった時、今日子が見せる仕草。
「・・・昼、一緒に食べないか?」
「え?」
弾かれたように顔を上げ、聞き間違いではないだろうか、というように見つめられる。
「ダメか?」
照れくさいのを我慢して、珪は訊いた。
ふわっと、笑顔になった。
「ううん。一緒がいい」
子供っぽい口調が、嬉しいという気持ちを珪に伝えてくる。
「じゃあ、そうしよう」
踵を返し、更衣室へと向かいながら、珪は自分のボンクラぶりに舌打ちする思いだった。
もう決して、身勝手な感情で今日子を打たないと決めたばかりなのに、また繰り返すところだった。
少し気遣うだけで、ああやって微笑わせることが、きっと今までも出来た筈なのだ。
「今日は午前中、ずっと起きてたね、珪」
珍しいこともあると言いたげに、クスクスと微笑う今日子を横目に、まぁな、と答える。
後で悔いることの苦さを噛み締めながら眠れるほど、神経は太くない。
購買部でパンを買い、中庭のベンチに並んで座る。
ちょうど木陰になる、いい場所だった。
「昨日、どうした?」
言外に、アリスに一言、言ってやったんだろうな、という含みを持たせる。
今日子はちょっと、恥ずかしそうな表情になった。
「ケンカしちゃった」
ピッと、ツナサンドのパッケージを破く手を止め、まじまじと今日子を見てしまった。
「だって、人の言うこと、ちっとも聞こうとしないんだもの」
言い合ううちに、売り言葉に買い言葉で、結局、アリスが怒って帰ってしまったと聞いて、珪は驚いていた。
怒られてこい、とは言ったが、お人好しの今日子では、ちょっと文句を言うのが精一杯と思っていた。
「おまえにしては、珍しいな」
「そう?」
「おまえが人と揉めるとこなんて、見たことない」
「うーん、珪が知らないだけかもよ?」
「そう、なのか?」
「アリスとは、最初から言い合いになったし」
「何のことで?」
会話の流れで訊いただけなのに、今日子は、えっ、と言葉に詰まり、
「色々、かな」
モゴモゴと誤魔化し、クリームチーズパイを食べ始めた。
「新しい水着、買ったんだな」
ぽろっと口を突いて出た言葉に、今日子がむせた。
パンと牛乳で両手が塞がっていなければ、珪は頭を抱え込みたいところだった。
これではまるで、そこにしか関心がないみたいではないか。
「買ったんじゃなくてね、借りたの。結局は、貰っちゃったんだけど」
花椿のお手伝いが終わった後、遅い昼食をホテルのレストランで取っていた時、当然のように同席していたアリスから、ひと泳ぎしていかない?と誘われた。
「水着持ってきてないって言ったら、新しいのが、もう一着あるからって」
ホテルのプールに行ってみたくて、喜んで誘いに応じ、更衣室で渡されたそれに、固まった。
「ちょっと、その、着たことないデザインだったから」
道理でな、と珪は納得した。
ヒラヒラのワンピースから、一気に、あのビキニでは突飛すぎる。色もデザインも、今日子の趣味とは違い過ぎた。
「花椿先生に見せるからって、撮ってたのに、まさかそれを・・・他の人に見せるなんて」
はっきり言って、相手が誰だろうと見せたくない。
「沢木さん、春日さん、田山さん、菅井さん、島野さん、戸田さん、川口さん」
「珪?」
今日子も知るスタッフの名前を挙げていくと、不思議そうな顔をする。
「俺がスタジオ入りした時、写真見てた人達。・・・まだ他にもいるだろうけど」
ハァ、と今日子はため息をつくと、
「今日、バイトなのに・・・」
居たたまれない様子で、ストローを指でクッと曲げた。
「すごくよかったから見せただけなのに、何が恥ずかしいのかわからない、ってアリスは言うけど、あっ、だからね」
独り言のような呟きに、慌てて付け加える。
「似合わなきゃ着せないって、じゃなくて、変だったらその場で言ってるって、あ、だから、」
「悪くはない。・・・と思う」
言い募るのを遮ると、今日子は黙ってしまった。
さわっ、と風がそよぐ。
横顔に、視線を感じていた。
「プール、楽しかったか?」
「・・・うん」
すごくきれいなプールだった、ガラス張りの天井から差し込む日差しで、水面がキラキラしててね、と話し始める。
珪は寂しかった。
今日子を囲む世界の中で、自分は他の人間よりも少しばかり多く、接点を持っているに過ぎない。
でも。
それだけじゃ、イヤなんだと言ったら。
(おまえは、どうする?)
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