「いらっしゃい。よく来てくれたわね」
出迎えた洋子は、ぎこちない二人の空気にすぐに気付いた。
揃って訪ねてきたくせに、二人の間は不自然に離れていた。
「これ、おみやげ。今日子の作ったケーキ」
製作者本人を差し置いて、提げていた紙袋を押し付けた珪は、ズカズカと部屋に上がりこんでおきながら、玄関に置いてきてしまった今日子のことが気になって仕方がないらしく、
「早く来いよ」
ぶっきらぼうに呼びかける。
今日子はといえば、顔を上げたくても上げられないといった様で、俯いたまま、洋子と、奥から顔を出した森山に挨拶を繰り返し、靴を脱ぐことも出来ないでいる。
こういう時、どうしたの?とか、何かあったの?などと尋ねないのが、洋子の良いところだった。
「まぁ、ケーキ。何を作ってきてくれたの?」
「あのぅ、チョコレートケーキを」
「へぇ、うれしいな。僕の好物なんだ」
調子のいい森山に、そんなコト、今初めて聞いたわよとツッコむのは後にして、お茶の仕度、手伝ってくれる?と、今日子を招き入れた。
キッチンでお茶を淹れる準備をしながら、取りとめのないお喋りをするうちに、今日子は自分を取り戻し始めた。
真夏のような陽射しの中を歩いてきたせいなのか、上気した頬はそのままだったけれど、洋子の軽口に笑顔で答えを返せるようになった。
対して珪の方はといえば、仏頂面のまま、森山の話に愛想のない対応でいる。
ほんとに、あの子には再教育が必要だわと、洋子は厳しい評価を下したが、今回ばかりは情状酌量の余地があった。
傷つけたことを少しでも償いたくて、精一杯気遣ってみた筈が、やさしくなぐさめられ、癒されたのは自分の方だった。
あまつさえ、
(この左手が勝手に)
断りもなく今日子に触れ、引き寄せていた。
触れたのは髪だけで、ちょっと、だいぶ、近くに引き寄せたけど、あれは感謝の表現で、やましい下心なんかじゃない。
頭の中でぐるぐる繰り返す言い訳と、手に残る柔らかな髪の感触が、珪の良心を責め立てていた。
森山の為のアイスティーと、3人分のアイスコーヒーを淹れ、チョコレートケーキを切り分ける。
テーブルに着いた洋子は、珪の気持ちが落ち着くまでを、今日子の手作りケーキの話題で持たせた。
何らかの原因で感情的になっているらしい珪に話をさせても、ろくな口のきき方はするまいと踏んだからだ。
「ところで、葉月君。何か、困ったことが起きたようだけど、よかったら、僕たちも相談に乗るよ」
もういいだろうという頃に森山が口火を切ると、ちょっとの間、珪は何のことだったかと、記憶を探るような表情になった。
呆れた洋子は、だが、瞬時に珪が表情を改めたのを見て、只事ではないと感じた。
「実はこの前の火曜日に、相手役のモデルの代役を、今日子にやってもらったんです」
はばたきウォッチャーの広告の1ページだった筈のそれは、クライアントから表紙に使うことを決定事項として申し渡された。
「ちょっと、それって」
隣りの森山をちらと盗み見ると、まるで驚く様子がない。
知っていたのね、と察した。
「おまけに、今月末から、市内の各所でポスターとして掲示したいと言ってきてる」
「・・・なんなの、それ」
凍りついてしまったように声も出ない今日子の代わりに、洋子が追求を始めた。
「今月末って、今日はもう13日なのよ。そんな無茶な話、通りっこないでしょ」
「もともと予定していたポスターの被写体は俺だし、撮ったのも同じ横嶋さんだから、差し替えってことで押し切ったらしい」
「でも、それに掛かる経費はどうするのよ」
「そんなこと、俺は知らない」
どうでもいいとばかりに、珪は言い捨てた。
「それよりも」
膝の上で、両手をきつく組み合わせ、俯いてしまっている隣りの今日子に向き直った。
「おまえはどうしたい?イヤなら、そう言え」
今日子は、答えなかった。
口を挟もうとした洋子を、森山が制する。
突然の話に驚き、慌てはしても、女の子なら喜んでしまうかもしれないこの話を、今日子は断るものと、珪は決めてかかっている。
「断りには俺が行く。おまえに、イヤな思いはさせない」
勇み足かもしれない珪の判断は、誤ってはいなかった。ただ、
「ありがとう、珪。そんな風に言ってくれて、すごくうれしい。でも、」
顔を上げた今日子は、心を決めていた。
「この話は断れない。もう決まったことなんでしょう?」
詰まってしまった一瞬の間が、答えだった。
「珪、昨日、言ってたよね。猶予は今日一日しかないって。ほんとは連絡としてきたことなのに、珪が止めてくれてるんだよ ね」
フゥと、珪は息を吐いた。
「こんな時だけ、勘がいいのな。おまえ」
「ちょっとは見直した?」
ふふ、と微笑う。
そして静かな、心の内の動揺を、ちらとも見せない表情で珪を見た。
「珪は、いいの?」
声からも、感情を読み取らせなかった。
「あの写真、珪はポスターになっても構わない?」
けれど洋子には、答えを待つ今日子の緊張が、痛いほど伝わってきた。
「俺は・・・別に、仕事だから」
罵倒を飲み込んだのは、今日子の反応の方が気がかりだったからだ。
「・・・そう」
スッと、目を伏せながら正面に向き直る。
「だったら・・・わたしもいいよ」
サラッと頬にかかった髪が、横顔を珪から隠した。
痛みを堪えているその表情を、隣りのボケナスに見せてやればいいのにと、洋子は苛立った。
「これからのこと、わたし、よくわからないから、珪にお願いしてもいい?」
「・・・わかった。おまえが、それでいいなら」
珪はジーンズのポケットから、携帯を取り出した。
「それじゃあ、使用する写真だけど、」
「いいのっ!」
その声は、洋子には
『やめて!』
と聞こえた。
開こうとした携帯を、自分の手ごと押さえつけられて、珪は驚いたようだった。
「珪に全部任せるから。ここで見せないで。その・・・すごく恥ずかしいんだもの」
すぐに手を離し、とってつけたように笑いながら言ったが、その表情はぎこちなかった。
「わかった」
あっさり了承し、携帯をしまった。
「それにほら、珪の写真を見せてほしいな。スタジオで撮ってるとこは何回も見てるけど、出来上がりはどんな風になるの?」
話題を変えようとするその問いかけには、森山が応えた。
「じゃあ、僕の自信作を披露しようか」
席を立とうとするのを、
「待ってください、森山さん」
珪が止めた。
「なぁ、どうしても、見たいか?」
そんな聞き方は卑怯だと、洋子は思った。
今日子が、この棘だらけの従弟の心を、自らも傷つきながら、優しい心で包もうとしているのがわかってきていた。
果たして、今日子は、ほんの少し、隠し切れなかった寂しさを滲ませて、首を左右に振った。
先週の日曜に出会った時、そして月曜日にショッピングモールで再会した時、その無防備さを他人事ながら案じてしまったほど、素直に感情を表わしていた今日子の、この変り様。
原因を作ったに違いない珪に、洋子は厳しい視線を向けた。
その珪は、今日子の存在以外、忘れてしまったかのように、自分の中から言葉を取り出そうと必死でいた。
「見るなら、これから撮るものにしてほしい」
「珪?」
予想外の言葉であるのは、今日子だけでなく、洋子も同様だった。
「前の俺じゃなく、これからのを。もっと、ちゃんとやるから。それを見てくれないか?」
「だったら、その写真は僕が撮ろう」
ずっと珪を撮ってきたカメラマンを前にしての失礼な発言を、森山は全く意に介することなく受けて続けた。
「これから、そうだな、今年一杯ぐらい掛けて、じっくり今の君を撮りたい。それを一冊にまとめて見てもらうというのは、どうかな?」
実質的な写真集出版の提案だった。
思いもかけない展開に、これがどれほど待たれてきたものであるかを知る今日子は、驚きを隠せないでいる。
「お願いします」
形を改めて礼をした珪のこの一言で、『葉月珪 写真集』の刊行は決定したのだった。
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