□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校3年

いさよひ ― 欠けるもの 満ちるもの― 3.


「さぁ、ぜーんぶ、白状してもらいましょうか」
玄関の扉が閉まるのを見届けるやいなや、森山は文字通り、洋子に詰め寄られた。
「そうだな。君にしては、よく我慢したね」
「仁!」
「そう怒るなって」
ちっとも、こたえていない風で、リビングに戻る。
あの後、話題は写真集の打ち合わせに移ってしまい、大まかなスケジュールまで詰めてしまうと、用件は済んだとばかりに、珪は今日子を連れ帰ってしまった。
まったく、何の為に今日子を招いたのか分らないと、洋子はおかんむりだった。
「あなた一体、いつから、どこまで、知ってたの?」
この前、初対面のように振舞っていた態度に騙されたと、人聞きの悪いことを言う。
アルカードでバイトをし、頻繁に撮影所へ出入りしている今日子のことを、森山が見知っていない筈がないと気付いたようだった。
「彼女とちゃんと話したのは、この間が初めてだよ。知ってのとおり、僕は紅茶党だから、コーヒーが売りのアルカードへは滅多に行かなかったし、仕事中は殆んど何も口にしないからね」
スタジオに来ても手際良く仕事をこなし、すぐ店に戻っていく女の子のことを、アルカードのバイトの子として以上、森山は認識していなかった。
その女の子を、意識に留めて見るようになったのは、
「珪君と、森林公園の並木道を歩いているところを、偶然、見かけたことがあってね」
寄り添って歩く姿がとても自然で、強い印象を残した。
「それって、いつの話?」
森山は、勝手知ったる冷蔵庫からよく冷えた白ワインの瓶を取り出してくると、グラスを2つ、テーブルに置いた。
「去年の秋、いや、冬だったかな」
「・・・仁」
半年以上も黙っていたことに、洋子の怒りのボルテージが上がるだろうことは、想定内だった。
「君に話したら、珪君の所にすっ飛んでくのがわかってるのに、言う訳ないだろう。彼女が珪君を好きだってこと、大喜びで報告してきたのは誰だった?」
明確な指摘に、文句の集中砲火を浴びせようとした洋子の舌先が、ぐっと留められる。
キリキリとコルクの栓を抜くと、2つのグラスにワインを注いだ。
「それから彼女がスタジオに来る度、珪君の様子を観察してたんだが、さすがというか、やはりというか、彼女への気持ちがどの程度のものなのか、まったく掴めなくてね」
つまみを要求する森山に、洋子は立って冷蔵庫からチーズを取り出してきたが、パッケージを開けもせず、丸ごとバンッと森山の前に置いた。
相当、機嫌を損ねてしまったようだと、再び、自ら立ってクラッカーと皿、ナイフを取りに行った。
「あなたの観察日記の報告は、もういいわ。それより今回の一件よ。何がどうなってるの?」
我がことのように、カッカときている洋子の情の深さが森山はとても好きだったが、今それを口にしても、ふざけないでと本気にしてもらえそうになかったので、口説くのは後に回した。
「いい写真なんだよ。ほんとに。僕が撮れなかったのが、本気で悔しいくらいにね」
その割に、飄々とした表情でチーズを切り、クラッカーを添えて洋子に渡す。
感情が激している時、何か飲んだり食べたりすると、気が削がれて段々と冷静になってくる恋人のクセを承知している森山のペースに、まんまと洋子は乗せられていた。
「あれが発表されたら、相当な注目を集めるのは間違いないよ。差し替えに掛かる経費なんか、簡単に取り戻せる。立花さんは、勝算なしで動く人じゃないしね」
「立花、ですって」
ムスっとしたまま、グラスを傾けていた洋子の様子が変わった。
数年前から推し進められている、はばたき市の再開発プロジェクト。代表者は彼の父親だったが、実質的に取り仕切っているのは、辣腕で知られる息子の方だと、知らぬ者はいない。
「強運という言葉は、あの人の為にあるんだろうな」
代役に今日子を借りたいとアルカードへ連絡が入った時、コーヒー1杯でグズグズと粘っていた立花は、すぐさま動いた。
見学と称して、ちゃっかりスタジオに入り込んだのは、単なる好奇心だったのだが、
「撮影の後、社にすっ飛んで帰って緊急会議。あの行動力と決断力は、見習わないとなぁ」
「仁、ふざけてないで、まじめに話して」
アルコールで頭が冷えるのも、おかしな話だったが、聞けば聞くほど、背景で起きていることの大きさに、ワインがいい安定剤になってきていた。
「立花さんも同じ反応されたらしいけどね。スチルを見せたら、わりに簡単に賛同を得られたそうだよ」
ノートパソコンを取り出し、起動させる。
「実を言うと、早く君に見せたかった」
ファイルを開き、スクリーン一面に映し出されたそれを、洋子の方に向ける。
「ちょっと、いいだろう?」
花のように微笑(わら)う今日子を、くるむように大切そうに抱く穏やかな珪の表情に、洋子は目を奪われた。
「使われるのは、これだけどね。僕が好きなのは、こっちの方」
キーを叩いて、次に映し出したのは、安心しきったように身を寄り添わせている今日子に対し、不意を突かれたかのように心の隙間をのぞかせてしまった珪だった。
わずかに上がった眉に心の苦しさが現れ、薄く開いた口許から押さえている想いが、こぼれ落ちそうに洋子には見えた。
「葉月珪のイメージにそぐわないって理由でボツになったけどね。これが人目に晒されるのは、ちょっと可哀相だから、よかったんだろうね」
「他のも見せて頂戴」
キーを叩くごとに映し出されていく珪の表情は、もういつものモデルのそれに戻っていた。
それだけに、最初の2枚が強く心に残る。
「このスチル、二人とも、見てるのよね」
「珪君はね。彼女にも渡したと聞いてるから、見てるだろ」
「でも、おかしくなかった?今日のあの子達」
やっぱり、そっちに気がいったかと、森山は先に見せずにおいてよかったと思った。
ここに来てから帰るまでの、二人の様子を頭の中でリプレイしている洋子の表情がどんどん険しくなっていく。
「お節介は無しだよ。洋子」
キッと見返した視線を、落ち着いて受け止める。
「何か、あの子達の間に誤解が生じてるのは間違いないけどね。僕達が口を挟んじゃいけない」
互いを想う心を打明けあっているとしか思えないこの写真を、見せないでと懇願する今日子と、仕事だから何に使われようと構わないと答えた珪。
「あの子に、自分の気持ちをちゃんと説明してわかってもらうなんて芸当、出来ると思うの?」
「だけど、もう止められる筈もない話を、彼女の気持ちを優先して止めようとした。変わろうとしてるんだ。彼なりに。わかるだろう?」
キーを叩いて、洋子はもう一度、2枚目のスチルを映し出した。
「珪君もね、そろそろ、欲しいものは見てるだけじゃなく、自分で取りに行けるようにならないとね」
「・・・あの子に、出来るかしら」
想う相手に愛し返されることに、とことん自信を持てない、臆病な従弟の心を思った。
「それに、今日子ちゃんは・・・」
傷ついても、逃げ出すことなく、踏み(とど)まれるだろうか。
「信じるって言葉は、こういう時の為にあるんだろ?」
「都合のいい方便としか、思えないわ」
二人の間に生じている誤解が、互いに相手に想われていないと背を向け合ってしまったものだと、この時、森山が気付いていたならば、見守ろうなどという、悠長な提案は為されなかっただろう。
帰り道を、微妙な距離を空けて歩くその二人は、どちらも無言だった。
マネージャーの高坂に連絡をした後、珪はなんだか気が抜けてしまっていたし、今日子は、終わったことにしようと意識の外に追いやった代役の一件が、思いがけない形で甦ってきたことに、気力を奪い取られていた。
森林公園の入り口まで来たところで、今日子は珪に声を掛けた。
「珪、もうここでいい。わたし、帰るね」
珪の家へは、ここで別れた方が近い。
言い出しても不自然ではないと、心の中で言い訳した。
「色々お願いすることになっちゃいそうだけど、よろしくお願いします」
他人行儀な言い方だと思ったが、他にどう言えばいいか分からなかった。
「・・・もう少し」
呟くように、珪は言った。
「もう少し、一緒にいろよ」
その声に、心をねじ上げられた。
眩暈がするほどの息苦しさを覚える。
「都合、悪いか?」
囁くように伺う珪に、
「ううん。平気。じゃあ、公園に寄り道していこうか」
早く一人になりたかった筈なのに、口が勝手に答えていた。
珪について歩き出す自分の姿を、呆然とする思いで、今日子は他人事のように見ていた。
やっていることが、昨日から滅茶苦茶だった。
仲良しでいさせて欲しいと許しを乞いながら、どんな()で珪が自分を見るのかが怖くて、逃げた。
掛かってきた電話を恐れながら、取らずにはいられない。
買って行く筈だったお土産のチョコレートケーキを、珪が好む、クルミ入りの手作りに変更して、深夜まで開いているスーパーへと走る自分。
危ないからと付いて来てくれた尽に、なんで今頃買い忘れに気付くんだよと文句を言われ、本当にそうだよねと答えて、素直すぎると気味悪がられた。
髪に触れられただけ。
少し引き寄せられただけ。
そこに深い意味がある筈もないのに、勝手に鼓動を早めてつらくなる。
「まだ、暑いな」
時刻は夕方にさし掛かっていたが、陽射しはまだ、衰えていなかった。
「いつもの木陰に行こうよ」
芝生公園の、いつも二人で休む樹のもとへと珪を誘う。
言葉も行動も、自分の意に反して勝手をする。
「気持ちいいな」
木陰は涼しかった。
真夏とは違い、陽が遮られるだけで、だいぶ違う。
「お昼寝してもいいよ、珪」
ほらまた、と思う。
「おまえ、ここに来たら俺は昼寝するって、決めつけてるだろ」
不満そうな表情(かお)をしているのは、見なくてもわかる。
少しだけ眉を寄せて、口許をちょっと曲げている。
「いいじゃない。陽が沈む前には、起こしてあげる」
つまりは、それまで一緒にいたいのだ。
口を開くごとに、本心が顕わになる。
「そうまで言うなら寝てやる」
パタンと仰向けに寝そべって、珪はいつものように、頭の後ろで手を組んだようだった。
ずっと目を合わさないのも不自然だと思い、笑顔を作ってから、おやすみなさいと珪を見やると、もう、目をつむっていた。
ほっとして、背後の幹に寄り掛かる。
遊んでいる子供の歓声や、そこかしこで交わされているお喋りの喧騒が、どうしてか遠くに感じられた。
休日に、お昼寝する珪の隣りに居られること。
特に意識したこともなかったこのひとときに、震えるほどの幸せを感じる。
この居場所を失いたくない。
今までの、どの時よりも強く想った。
「なぁ」
確実に、1センチは、飛び上がっていたと思う。
「そんなに、驚かなくても」
「驚くよ!寝たんじゃないの?」
びっくりして、素のまま文句を言った。
「言い忘れてた」
「なぁに?」
ほんとに今日は、驚かされてばかりだった。
「ケーキ、旨かった」
唐突すぎる言葉に、表情を作るのも忘れて目を合わせてしまった。
「また、食べたい」
何か、望みを口にする時、いつも少し視線を斜めにそらす珪が、まっすぐに自分を見ている。
「じゃあ、」
うれしさが、胸いっぱいに広がる。
「また作ってあげる」
自然と、顔が笑ってしまう。
「約束な」
満足そうに言って、珪は再び、瞼を閉じた。
うれしかった。
珪の傍にいられることが。
こんな風に話せることが。
何かを望んでもらえて、それを叶えてあげられることが。
うれしくて、うれしくて、この場所に居られることだけを、心から願った。
珪もまた、思っていた。
笑ってくれた。
前のような笑顔で。
伝えたいと思ったことを言葉にしてみた、たったそれだけのことで。
こうやって少しずつ償い、今日子の心を取り戻していこう。
明日は、学校の帰りにお茶に誘おう。
火曜日は、アルカードへコーヒーを飲みに行こう。
そして、今度の日曜日は、二人でどこかへ出掛けよう。
傍らの今日子が、恋を封じ込め、友達でいようと見当違いな決意を固めていることなど、珪は知るよしもなかった。



- Fin -

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