□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校3年

いさよひ ― 欠けるもの 満ちるもの― 1.


“珪、わたしね
これからも、珪の仲良しでいたい
そうしても、いい?”

     -1-

マネージャーとの電話を切り、閉じた携帯を机に置いた。机に肘をつき、両手で頭を抱え込む。
なぜ、こんな時に厄介事が持ち上がるのか。
時間は21時3分。
まだ寝てしまうような時間ではないが、体育祭で疲れているだろう今日は、電話を掛けるなら早い方がいい。
そう分かっていながら、珪は中々、携帯を手にすることが出来ないでいた。
優勝を決めた二人三脚の出場メンバー、姫条と綾瀬、守村と有沢、そして自分と今日子と、飛び入り参加した鈴鹿の7人で祝勝会をしてきた。
石釜で焼くピザが人気のお店で、ジュースで乾杯した。
黙って食べるだけの珪を、誰も無理に話の輪に引き入れようとはしなかったので、落ち着かないながらも、その場に居ることが出来た。
もっぱら、姫条と綾瀬の二人が座を取り回し、テンションの高い鈴鹿と、はしゃぐ今日子が場を盛り上げた。
いささか度を越したような今日子のはしゃぎっぷりに、
『誰やねん。ジュースにアルコール仕込んだんわ』
姫条がツッコむと、
『勝利に酔ってるんだもーん』
隣りに座る綾瀬になついて、笑ってばかりいた。
そうやって楽しそうにしている間中、今日子はただの一度も、珪と目を合わせようとしなかった。
会が果てた帰り道、それぞれの自宅の方角へと別れる時も、送っていこうと言い出す()さえ与えず、
『また来週、学校でね!』
手を振って、駆けて行ってしまった。
二人きりになるのを、怖れているのだと感じた。
真っ暗な、灯りの燈らない家に帰り、自室へ入った時、携帯が鳴った。
反射的に今日子からかと期待したが、マネージャーの高坂だった。
虫のいい、今日子に甘えきっている自分の思考が本当にイヤになった。
こうなった原因は一言で言って、すべて珪の八つ当たりだった。
カメラの前で、それはポーズの一つに過ぎなかったけれど、腕の中に抱き、触れたことで、どれほどその存在を欲しているか全身で知ってしまった。
望み、などという、生易しい感情ではなかった。
覚えた筈の感触が薄れていくのを追うように、湧き上がった猛々しいほどの渇望。
体育祭の練習を忘れたのは本当だった。
けれど、気付いても戻る気にはなれなかった。
想いを伝える勇気も持たないくせに、欲しがるばかりの気持ちを抑えられず、急な仕事の連絡が来たことを自分への言い訳に逃げ出した。
だから、罰が当たったのかもしれない。
二人で撮ったスチルを見せられた。
こんなにも自分を惑わせている今日子は、写真の中で、珪のよく知っているいつもの笑顔でいた。
どれほど近く触れ合っても、何も変わることがない。
そういう今日子に、寂しいのを通り越して腹が立った。
鈍感にも程がある。
こみ上げる苛立ちへの、正当な理由を見つけた気がした。
留守電は無視した。
意図的に、視界から追い出した。
あいつにとって、自分の存在は大したものではないのだから、せいぜい、何を不機嫌でいるのかと、不思議に思うくらいなものだと。
子供じみた自分に嫌気がさし、失敗続きの告白を再び決意するまで、それは続いた。
この(かん)、自分の身勝手な振る舞いがどれほど今日子を傷つけていたか、気付きもせず。
『これからも、珪の仲良しでいたい。
 そうしても、いい?』
何を当たり前なことを言うのかと腹が立った。
同時に、俺が求めているのは仲良しなだけの関係じゃないと、苛立ちと共に想いをぶつけようとした。
ありがとう、と、ようやく振り向いてくれた今日子は、今にも砕けてこわれそうな、儚い笑顔でいた。
無理に微笑(わら)ったその顔は、泣き顔よりも心の痛みを珪に伝えてしまった。
何も言えなかった。
こんなにも傷つけていたことに、まるで気付いていなかった。鈍感なのは自分の方だった。
無情に時間は過ぎていく。
今日子の反応を怖れながら、挫けそうな気持を珪は奮い立たせた。
携帯のコール音は、いつもより長く繰り返された。
掛け直そうかと思った時、つながった。
「珪?」
「悪い、起きてたか?」
「もちろん!起きてたよ?だって、まだ22時前だもの」
いつもと変わりなく聞こえるやさしい声。
でも、もう知っている。
きっと、ひどくムリをしている。
「明日、会えないか?」
問いかけに、息を呑んだのが伝わってきた。
「おまえに、話さなきゃいけないことがあるんだ」
「・・・それって、昼間、珪が話したいって、言ってたこと?」
微かに、声が震えているのがわかった。
「いや・・・そのこととは違う」
今の自分に、今日子を求めることなど、許されないと珪は思っていた。
「俺も先刻(さっき)、知ったばかりのことだ」
沈黙の()を作ってはいけないと、言葉を続けた。
「ちゃんと会って、話したい。勝手を言って悪いが、明日一日しか猶予がないんだ」
答えは返らなかった。
「何か予定があるなら、おまえの都合のいい時間に呼び出してくれたんで構わないから」
「・・・大事な、話なんだよね」
「ごめん。無理言って」
「ううん。珪がこんな風に言うことってないもの。明日、午前中でもいい?」
構わないと答え、待ち合わせの時間と場所を決めた。
「無理言って、ごめんな」
困らせてばかりでごめんと、本当は言いたかった。
おやすみと、電話を切ろうとした時だった。
「待って」
ピタっと、指を止めた。
「待って珪、まだ、切らないで」
消え入りそうな声で懇願された。
「わたし・・・あの、わたし、」
言い惑っているのを感じ、どうした?と、出来るだけやさしく促してみた。
「明日、」
本当に都合が悪くて困っているのかも知れない。
そう判断した珪が、電話で伝えるのも止むなしと諦めた時、
「わたし、明日、洋子さんの家に行く約束をしてるの。黙っててごめんなさい」
「洋子って・・・洋子姉さん?」
突然出てきた名前に、面食らった。
「月曜日にショッピングモールの本屋さんで会って、」
森山の写真集を探していたところで偶然会い、お茶をしているうちに、森山の撮った珪のスチルを見せてもらいに、洋子の家に行くことになったのだと、今日子の打明け話を聞くほどに、珪は困惑の度合いを深めていた。
会って2回で家に招かれるほど、洋子との親密度が上がっていることも、相手があの従姉であれば納得出来た。
今週の、今日子を避け続けた自分の態度を思えば言うタイミングを逃すのも無理はなく、それ以前に個人的な約束事を一々報告する義務がある筈もない。
「なぁ、どうして謝るんだ?」
間の抜けた質問だと思いはしたが、今日子がここまで言い淀む理由がわからなかった。
「だって・・・珪は、モデルの写真を見られるの好きじゃないから。そのこと、わたし知ってるのに・・・」
確かに、イヤだった。
中身は空っぽのくせに、要求どおり格好をつけてみせている自分の様を今日子に見られることが。
けれど、そんな気持ちをいつ、今日子に見せていたか、覚えがなかった。
モデルの自分に関心を示さないのは、単に興味がないからだと思い込んでいた。
「別に、構わないから」
手持ちの言葉は、相変わらず少なかった。
「おまえが見たいなら、写真でも何でも見せてもらうといい」
もっとやさしい言葉が、なぜ、出てこないのか。
もうずっと、今日子から沢山もらってきた筈なのに。
「そうだ。俺も行く」
「え?」
意外に思われた反応が寂しかった。
「洋子姉さんに任せておくと、どんなモノを持ち出してくるか、わからないからな」
努めて軽く、冗談ぽく言ってみた。
実のところは、このタイミングで子供の頃のアルバムなど持ち出されては、かなわないという心配もあった。
「いいか?俺が一緒でも」
「もちろんだよ!ダメな筈ないじゃない」
強い肯定にほっとした。
「じゃあ、話も姉さんとこでしよう。そうすれば、おまえ、朝、ゆっくり休めるだろ?」
改めて待ち合わせを決め直し、おやすみと電話を切った。
深い疲労を覚えて、投げ出すようにベッドに身体を沈めた。
「馬鹿だ・・・俺は」
急に冷たく突き放したことを、今日子が大して気に掛けないなどと、どうして考えたのか。
いつだって、自分が気付いている以上のやさしさを傾けてくれる今日子が、一方的な拒絶の理由を探して、悩まない筈はないのに。
『珪は、わたしといて、楽しい?』
身を縮めるようにして問われた。
(おまえ、自分のせいだと思ってるんだな)
仲良しでいたいと乞われた言葉の意味を、今頃理解する。
今日子には、少しの(とが)も有りはしないのに。
悪いのは、身勝手な自分の方なのに。
傷つけた償いの(すべ)を、その夜、珪は考え続けた。
 

 

約束の時間ぴったりに、チャイムは鳴った。
「おはよう!珪」
洋子のマンションへは、珪の家からの方が近い。
前日の疲れも感じさせず、今日子は元気そうにやって来た。
すぐに鍵を閉めて、一緒に家を出る。
照りつける陽射しが眩しい。
6月の半ばだというのに、午前中、吹いていた風はそよともなく、昼下がりの今は気温が上がり続けている。
袖なしのチュニックから伸びる腕の白い肌が、強い陽射しに焼かれてしまうのではないかと、珪は日陰を選んで歩いた。
「その荷物、貸せ。持ってやる」
四角い、口幅の広い紙袋を、遠慮するのを無視して奪い取ると、やけに重い。
「おまえ、何、持ってきたんだ?」
会った時から気になっていた。
「えっとね、チョコレートケーキを作ったんだけど、すごく暑くなってきちゃったでしょ。だから、保冷剤でケースの周り包んできたの。ごめんね、重いでしょう?」
「・・・朝、作ったのか?」
「何か、おみやげ持って行きたかったし、洋子さん、チョコレート好きって、言ってたから」
喜んでくれるかな?と訊くのに、きっとな、と答える。
うれしそうに向けられた笑顔は、珪のよく知るそれではなかった。
(こんな風に、気持ちを抑え込んだような表情(かお)で、笑うヤツじゃないのに)
自分が負わせた傷の深さを見せられるようでつらい。けれど、目は逸らさなかった。
自分勝手な気持ちで今日子を打つような真似は、二度とするまいと決めていた。
「今日、森山さんも来るって、姉さんが言ってた」
お喋りの継ぎ穂を作るのは、いつも今日子の役目だった。
珪は、うたうようなやさしい声の心地良さに浸っているだけだった。
そんな風に受け取るばかりではいけないと、自分から話を紡ごうとしたが、手持ちの話題が急に増える筈もない。
やむなく、森山と初めて仕事をした時のことを、話し始めていた。
「森山さんの指示に応えられなくて、勝手に帰ってしまったのに、次の日曜に、わざわざ訪ねてきてくれたんだ」
笑って、という指示に、出来ないと逃げ帰ったことは曖昧に伏せた。
「その後、森山さんに写真を撮ってもらうようになって、それはすぐに仕事になって、そうしたら名前だけが、どんどん一人歩きし始めた」
モデル葉月珪として、他人(ひと)は自分を見るようになった。
「葉月珪って、何なんだろうな」
「・・・珪」
自嘲を込めた呟きに、ずっと黙って聞いていた今日子が労わるように呼びかけた。
はっとした。
いつの間にか、愚痴になっている。
まともなお喋りひとつ、満足に出来ないのかと情けなくなった。
「悪い、ヘンな話して」
今日子は首を振ると、たぶん、困惑しているだろう自分を見ないように、ごく自然に前に向き直った。
街路樹の木漏れ日が、チラチラと今日子の肩で踊っている。
「自分を知るのって、むずかしいよね」
ゆっくりと、考えるように、今日子は言葉を紡いだ。
「よくわかっているつもりのことでも、ほんとは違ってたりする。間違いを直したくても、どうすればいいかなんて分からなくて。なのに、イヤだと思うことだけは、はっきりしてて・・・。そんな時、こうだって、型を押し付けられたり、枠を決められたりしたら、きっと、すごく苦しくなる。そんなのは、つらいよね」
「今日子・・・おまえ」
今度は、今日子がはっとする番だった。
「あ、ごめん、わたし、なんか勝手に知った風なコト言っちゃって」
臆したように立ち止まり、見上げる今日子の瞳に映る自分。
我知らず、伸びた手が今日子の髪に触れ、頭を引き寄せていた。
あの時、俺は見世物じゃないと反発した珪に、森山は言った。
『知ってる。君は、葉月珪だ』
写真を撮ってもらうことで、見失ってしまった自分を取り戻すことが出来るかもしれないと思った。
けれどそんな考えは甘く、次々と押し付けられる勝手なイメージに、痛みばかりが増していった。
「・・・サンキュ」
まっすぐに、あるがままを見つめ、受け止めてくれるこの瞳に、自分は恋をしているのかも知れない。
あの幼い日も、今、この時も。
触れていたい気持ちを抑え込んで、珪は手を離した。
「早く行かないと、おまえの力作が溶けてしまうな」
「・・・うん」
うつむきがちに歩き出した今日子の頬は、桜色に上気していた。
それは、暑さのせいではないのだと、珪にはわからなかった。



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