「で?まさか帰ったんじゃないでしょうね、葉月珪は」
美人が怒ると怖いなぁと、詰め寄る綾瀬美咲を見て、今日子は思った。
遅刻というにはあまりにも悠々と、3時限目が始まる頃、教室に現れた珪は、昼まで寝て過ごし、昼休みにフラっと消えたかと思うと、そのまま午後の教室には戻ってこなかった。
鞄は置いたままだったので、どこかにいるだろうと、屋上や校舎裏などを探してみたが、どこにもいない。
放課後は、土曜日に迫った体育祭の練習だと綾瀬が言い含めた効果は、まったくなかったらしい。
「どこまで気ままなの !? あの男はっ」
氷室学級には優勝以外有り得ないと、担任の台詞そのままに宣言する綾瀬は、勝負事に負けるのがキライだった。
監督以上に厳しいマネージャーに尻を叩かれまくった野球部は、今年、はば学史上初の甲士園出場が確実視されている。他校のチームから勝利の女神と呼ばれているマネージャーの、その正しいフリガナが、オニ、であることは、はば学では公然の秘密だった。
「まぁまぁ、わたし一人でも、ちゃんと練習するから」
とにかく怒りを鎮めようと、なだめにかかる。
が、じろりと睨まれた。
「二人三脚の練習、一人でやって、どうするの?」
「え―っと」
パートナーとして、監督不行届きと責められているようで、ひと言もない。
「とにかく、ここにいるメンバーだけで練習するしかないでしょう」
冷静な有沢の指摘に、守村もそうですよ、と穏やかに同調する。
「せやな。まぁ、今日子ちゃんと葉月なら、去年も一昨年もぶっちぎりのトップやったし、月曜の練習の時は調子もよかったしな」
氷室学級からの二人三脚リレーの出場者は、姫条と綾瀬、守村と有沢、それに葉月珪と明日香今日子の3組だった。
運動全般苦手な有沢がこの種目に選ばれたのは、絶対に転ばない守村とのパートナーシップが評価された為だった。
まず、スピードの姫条&綾瀬組で引き離し、転倒者が出やすい中盤に堅実な守村&有沢組、巻き返しが可能な葉月&明日香組がアンカーというのが、氷室の構想だった。
「今さら練習せんでも、いけるやろ」
のん気な姫条の言葉に、
「甘い」
勝利の女神の神託が下った。
「勝負事に油断は許されないわ」
現在、甲士園に向けて邁進中のチームを率いているだけあって、その言葉には重みがある。
「それなら、鈴鹿でも引っ張ってくるか?」
「それは、あまり意味がないように思うのですが・・・」
控えめな守村の指摘どおり、本来、リレーには欠かせない筈の鈴鹿和馬は、二人三脚にまったく向かない性格であるとして氷室の計算外とされていた。
「じゃあ、バトンパスの練習だけでもしようよ。ほら、幸い、わたしたちアンカーだし。ね?」
渋々といった様子で、綾瀬は怒りの鉾を納めた。
「金曜日は目を離さないでよ」
わかっていると受け合った。
綾瀬が怒るのも道理ではあった。
火曜と木曜は仕事があるという珪に合わせて、姫条にバイトのシフト変更をしてもらったのに、当の本人がさぼりでは話にならない。
珪のことだから、うっかり忘れて、どこかで寝ているのだろうが、予備校の予定を変えてもらった有沢にも申し訳ない。
別に休む訳じゃないからと、有沢はいつもどおりクールで、姫条もまた、かまへんかまへんと言ってくれたが、クギだけは刺しておこうと、帰りに珪の家に寄ってみた。
どこかで寄り道をしているのか、まだ帰宅しておらず、留守電への返答もない。メッセージを残して、折り返しの電話が掛かってこないことはなかった。
その辺は、妙に律儀なのだ。
夜、もう一度メッセージを残してみた。
けれど、その夜。
携帯の着信音が鳴ることは、ついになかった。
←Back / Next→
小説の頁のTOPへ / この頁のtop
|