□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校1年

心の欠片 4.


8月4日の土曜早朝。
葉月珪のマネージャーは、信じられないものを見た。
迎えに行ったのは指定した時間より早かったにも関わらず、葉月が家の外に出て、待機していたのだ。
しかも、
(ちゃんと目が覚めてる)
時刻は朝の6時。
いつもなら立ったまま寝ていてもおかしくない寝ぼすけは、車に乗り込んでからもバッチリ目を開いたまま、前方を見据えている。
(雷雨でもくるのか?一本目の予定から飛ぶのか?)
葉月の寝ぼすけぶりに悩まされ続けた身としては、これはもはや怪異に等しい。 
悲観的な予想に反しスカイブルーの空は雲一つなく、風は穏やかなまま、一天にわかに掻き曇ることも、突風が吹き荒れることもなく、爽やかに現場へと到着。
(機材の故障、衣装に不具合、カメラマンの笑顔要求)
その後も考えつく限りのトラブルが脳内を駆け巡るが、どれ一つ発動することなくロケは終了。
(事故発生により道路封鎖、回避しても渋滞にハマって立ち往生)
妄想の域に入り始めたマネージャーの悪い予感は、どれも実現しないまま予定より早いくらいに撮影所に入った。
雑誌の取材は聞いていたよりもインタビューの時間が短く、撮影の方がメインで、無茶ぶりをされることもなく淡々と進み、これも無事に終了。残るはスタジオでのスチル撮影のみとなったが、
(わかった。今までのはすべて嵐の前の静けさ、大爆発前のフェイントだ)
この最後の撮影だけは、何事も起こらずに済む筈がない。なぜならクライアントからの強い要求がなければ、二度と組ませるつもりはなかった者同士の撮影なのだ。
新人が寝坊で撮影をすっぽかし、携帯を所持していなかったという理由で連絡もなく、反省のサマは欠片もない。その上、信じがたいことに初犯ではなく再犯。
葉月のモデル生命が終わらなかったのは、
『あ―、まぁ、葉月じゃなぁ。慣れるまで野放しにしないで、よく見張っておくんだな』
という寛容なんだか小馬鹿にしているんだかわからないクライアントの取り成しと、迷惑を掛けた相手モデルが同じ事務所の所属であったため、内々で治めることが出来たおかげなのだ。
もっとも、当の葉月は仕事を切られなかったことに感謝もしていないし、フォローがあったことも、この一件で有力な後援者がついていることが業界に知れ渡ったことも認知していない。
色々と目立つ言動で知られる立花隼人が、
『余計なことは耳に入れるな』
とクギを刺したせいで、即座に業界の裏話と化したせいもある。
(大体、立花さんは何を考えてるんだ?)
もめ事を起こさず利益を得たいのかと思えば、
『アクの強い者同士、ちょうどいいから組ませとけ』
と波風を立たせにいく。
わかりやすく相性が悪い上に、いわく付きとなった者同士をあえて組ませる必要がどこにあるのか。
廊下を曲がるとスタジオの入り口が見えてくる。
そこには腕を組んで、不機嫌そのものの表情で、宣戦布告するかのような強い視線を向けてくるアクの強い相手モデル、アリスが立っていた。



(あと一つ)
マネージャーに促されて控え室を出る前に、珪はもう一度、時刻を確認した。
ここまでは信じられないほど順調にきた。
努力ではどうにもならない天候も、移動時の道路事情も、時間を無為に費やすことなくクリア出来た。
予定どおりに進んでいると、幾度となく今日子に連絡したい気持ちが沸いたが、我慢した。
結局のところ、間に合うように仕事を終えることが出来るかどうかは、この最後の撮影に掛かっているのだ。
スタジオの入り口には、なせか相手役のモデルが立ちはだかるように待ち構えていた。
その表情は既にハッキリと機嫌が悪い。
「まさか、また、あなたと、仕事することになるなんてね」
バカにしたような、実際しているのだろうが、冷ややかな声でイヤミたっぷりに続ける。
「仕事をすっぽかすようなモデルが、なんで干されないのかしらね?」
知らないので黙っていると、ますます不快そうに表情を歪ませる。
「わたしは真剣にこの仕事をしてるの。あなたなんかとは違う。だから嫌いな相手とだって、最高の仕事をしてみせる。わたしの足を引っ張るのだけはやめてよね」
コイツはいつ見ても怒ってるなと、珪は他人事のように思った。出来れば関わりたくない相手だが、最高の仕事をすると息巻いているのは、今日は助かる。
「なら、始めよう」
ドアを開けて促すと、アリスは敵意しか感じられない一瞥を投げてよこし、先にスタジオへと足を踏み入れた。



「はい!お疲れさまでした!」
カメラマンの横嶋が終了を告げた時、スタジオの時計の針が示していたのは16時30分。
「・・・30分も早く終わった・・・」
助手の沢木が思わず呟いたのをきっかけに、信じられないというざわめきがスタジオ内に広がる。
葉月のマネージャーなど、唖然としたまま言葉一つ出てこない。
「アリス、葉月くんも、二人ともすごく良かったよ!」
上機嫌なのは横嶋と、意外にもアリスだった。さすがに笑顔を向けるまでには至っていないが、
「なによ、やれば出来るじゃない」
手の掛かる後輩を指導するかのように葉月に向き直った表情は機嫌が良く、スタジオ入りした時の刺々しさはもうない。
「いつも、そうしてなさいよ。素材は悪くないんだから」
「おまえもな」
「・・・・・・は?」
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
横嶋とスタッフらに挨拶をするや、アリスには一瞥もくれることなく足早にスタジオを出て行った葉月は、だから知らなかった。
「・・・あの男・・・何様のつもりなのっ!」
ブチ切れたアリスがその勢いのまま葉月のマネージャーに詰め寄り、
「もう二度と!絶対に!頼まれたってあの男と組む気はないからっ!」
宣言したことを。
だが、その宣言が聞き届けられることはなかった。
この日の撮影の評価は高く、葉月とカップリングの仕事のオファーは、この後も引き続き舞い込むことになるからだ。
(モメる・・・絶対にモメるぞ。しかも、どっちも聞き分けがないっ)
そうして葉月のマネージャーの悪い予感は、今度こそ現実のものとなるのだった。



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