夜空にまっすぐ駆け上った光が、大きな音とともに光の華をいっぱいに広げる。
次々に輝く光が降り開くさまは星が一斉に流れ落ちているようで、こわくなった珪は自分を抱えている祖父の首にしがみついた。
ドン、と身体に響いてくる音に思わず身を竦ませる。
『綺麗―、ほら見て珪!すごくキレイよぉ』
花火が始まる前は、浴衣の帯の具合や髪に挿したかんざしが落ちていないか、気にしてばかりいた洋子がはしゃいだ声を上げる。
恐々と顔を上げ、祖父にしっかりとつかまったまま、夜空をふり仰いでみると、打ち上がった花火が赤や緑の大輪の華を咲かせ、金色の星を降らせる。
『キレイ、だな、珪』
低く響く、懐かしい声。
ああ、自分は夢を見ているのかと、珪は思った。
小さくなった身体はすっぽりと祖父の腕の中におさまり、その感触もぬくもりも、甦らせようとしている自分の記憶。
(じいちゃん、この頃は元気だった)
小さな珪にもよく見えるように、抱いてくれている腕は力強くて、もっと幼かった頃には足許でまとわりつくと、ひょいと片手で抱え上げて、肩車をしてくれた。
大柄な祖父の肩の上から見る景色はぜんぜん違って、空にだって手が届きそうだった。
どちらかといえば無口な人だったが、珪を見る時はいつもニコニコ笑って話しかけてくれた。
夢の中の自分は落ち着きが無かった。
せっかく祖父が支えてくれているのに、伸び上がってみるのは花火ではなく、夜空に咲く光に照らし出されている人の顔。
誰を探しているのかは、知っている。
いまだに姿を見せない父と母の顔を見つけようとしている。
『珪、もうあきらめて花火観なさいよ』
ドン、ドドンと、続けざまに上がる音の合間に洋子が言う。
『混んでるし暗いし、兄さんたちと合流するのはムリだって』
仕事が終わり次第、母を連れて後から行くと言った父は、がんばって早く終わらせるからな、と約束してくれた。
『大丈夫よ、兄さんもエリカ姉さんも目立つから、帰る時にはちゃんと会えるって』
ああ、そうだったと、思い出す。
花火が終わって人が散り始めると、浜辺に並ぶ屋台の一つ、綿あめ屋の前にいる両親をあっさり見つけた。
『抱っこして見せてもらったのか、よかったな、珪』
祖父に礼を言って、自分を抱き取った父は悪びれずに笑い、綿あめよりも儚げな母は、
『綺麗だったわね、珪』
ふわりと微笑んだ。
到着した時にはもう、花火が上がり始めていて、人をかき分けて探すのは迷惑になると思い、後ろで見ていたのだという。
『悪かったな、珪』
そう謝った父がどんなカオをしていたのかは、思い出せない。
泣きたくなっているのを見られたくなくて、父の肩におでこをくっ付けていたような気もする。
花火はきれいだった。
次々に降りそそぐ光の軌跡を追って、見飽きることがないほどに。
けれど―――。
あの時、飲み込んだ言葉が胸の奥から浮かび上がってくる。
(俺は、父さんと母さんと、みんなで一緒に花火を観たかったんだ)
目覚めた時、珪の中にはまだ、花火が打ち上がる音が響いている気がした。
身体を起こす時、少し痛みがあったのはリビングのソファで眠り込んでいたせいで、よくあることなので珪は気にしない。
動けばすぐになんでもなくなる。
それよりも、喉が渇いていた。
立ち上がってキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。
「・・・・・・・・・」
昨日まではなかったタッパ、ミニトマトやブロッコリーなどの野菜が詰まったそれが整然と並んでいる。
野菜メインでちゃんと食事をしないと消化できない量で、傷んでしまう前にというと、しばらくアルカードにも寄れない。
ため息をついてペットボトルを取り出すと、残り少なかったので、そのまま口をつけて飲んだ。
冷たい水が更に覚醒をうながし、夢の残像も消えたのに、胸の中にもやもやと残るものがある。
『今年は海岸まで出て、花火が上がるのを近くで見てみよう』
そう言い出したのは父だった。
『珪も大きくなって、しっかりしてきたから、多少混雑してても大丈夫だろう』
そう言われて嬉しかったのを覚えてる。
嬉しくて、その場にいた祖父や洋子にも、みんなで一緒に行こうとせがんだのは自分だ。
あの頃、かなり忙しかった筈の両親が、息子を喜ばせようとしてくれていたのは知っている。
仕事でもプライベートでも、沢山の選択を迫られていた父が、いつもより良い方を選ぼうとする姿も見てきた。
ただ、どういう訳か、父の選択は珪の望みとは、ことごとくズレていた。
聡い筈の父が、ズレていること自体にも気付かなかった。
何も言わず、伝えもしなかった自分に父を責める資格などないのはわかっている。
けれど、
(俺は、どうすればよかったんだ?)
みんなで一緒に観たかったと、口にすれば困らせるだけのわがままを言ってどうなる?
カラのペットボトルをシンクの上に置き、時計を見て考える。
急いで仕度をして出ればまだ、アルカードの開店前に間に合う。
確か今朝は開店前の準備から、今日子のバイトのシフトは入っていた筈だ。
着替えを取りに、珪は廊下へ出て、中二階の自室へと足早に階段を上る。
過去のことは、何が正しかったのかわからない。
今はっきりとしているのは、守れるかどうかわからない約束で、もう今日子を引きとめてはいけない、それだけだった。
「今日も暑くなりそうだねぇ」
少し早いが店の外のプレートをOPENに変え、容赦なく浴びせてくる夏の日差しに水橋は目を細めた。
暑いのが苦手な水橋は、夏が来るたび、終日、クーラーの効いた室内で仕事が出来る幸せをかみしめる。
火を使う厨房はそれなりに暑くなるが、
(中華やラーメンみたいに、火力ガンガン、湯気モウモウって訳じゃないからな)
むしろ、ケーキ作りの時など室温を下げて作業するから寒いくらいだ。
「あの、」
不意に掛けられた声に、今日一番のお客かと振り向いて、水橋は喉まで出かかった
“いらっしゃいませ”の言葉を飲み込んだ。
立っていたのは葉月だったが、いつもの無表情ではなく思い詰めたカオをして、走ってきたのか、わずかに息を、弾ませている。
「申し訳ありません、開店前に」
言いかけて、葉月の視線がOPENになっているプレートに注がれた。
「ああ、まだ大丈夫だよ」
プレートを裏返し、店の中へと招き入れる。
葉月の額にはうっすらと汗が浮いていて、いったい何があったのかと心配になった。
「開店前のお忙しいところ申し訳ありません。少しだけ、明日香と話をさせてもらえないでしょうか」
礼儀正しい問い掛けに、少しと言わず、いくらでもと言おうとしてやめた。茶化していいような雰囲気ではなかった。
「別に構いませんよ」
水橋より先に、厨房から出てきた神崎が答えた。
そう広くもない店内で、客も入っていないこの状態では会話など丸聞こえで、神崎の後ろからは、どうしたんだろうと当惑の表情を浮かべた今日子も出てきていた。
「すみません、ありがとうございます」
礼儀正しく一礼した葉月は、神崎がスッとよけて背中を押した今日子の前に、数歩で距離を詰めた。
「ごめん、仕事中に。俺、おまえに話さなきゃいけないことがある」
え?ここで?と思ったのは今日子だけではなかった。
「明後日の花火大会、俺、仕事が入っているんだ。だから、約束は取り消す。ごめん、もっと早く言うべきだった」
胸の中にとどめてきた言葉を、ようやく解き放ったかのような葉月の張り詰めた空気に、場を外すべきだとわかっていても、水橋も神崎も身動きが出来なかった。
思いを言葉にしても、葉月は少しもラクになったようには見えなかった。今日子がどう答えるか、全身で受け止めようと身構えている。
「・・・・・・その、お仕事は、夜までずっとなの?」
迷うように、今日子は問い掛けた。
「いや、夕方には終わる予定だ」
だったら、というように今日子が表情を和らげるのに、
「けど、予定なんだ。前の時はかなり押した。今回も、予定通りに終わるとは思えない。そうしたら、おまえを待たせた挙句、花火も観られないことになる」
いつもより多くの言葉で、ちゃんと伝えようとしている葉月は掛け値なしに誠実だったが、
(一人で決めたらダメだろう)
水橋は思わずにはいられなかった。
まずは二人で相談して、それからどうするのか答えを出せばいいのに、一人決めの結果を今日子に押し付けている。
今日子は黙って葉月を見つめていた。
普段とは違い、何も読み取れない表情で葉月を見つめ続け、
「うん、わかった」
明快に頷いた。
「わたしなら大丈夫。心配しないで」
いけない、と水橋は少し前に出て、葉月の様子を窺った。
「お仕事だもんね」
ものわかりがいいのも、時と場合による。
「大丈夫。わたしのことは気にしないで、葉月君はお仕事に集中して」
ちっとも大丈夫じゃないと無表情の葉月を心配する水橋をよそに、今日子は無慈悲に感じられるほどの優しい微笑みを浮かべた。
「わたしは、ちゃんと待ってるから」
え?っと、水橋は一転して受ける印象の変わった今日子の笑顔を見直した。
「間に合うかもしれないのに、今から約束を取り消すことなんてないよ。もし予定どおりにいかなくても、お仕事なんだから、あることだもの。大丈夫、心配しないで」
ふっと、葉月が詰めていた息を吐くのを水橋は感じた。
「もし間に合わなかったら、ウチの庭で花火しようよ。打ち上げより、だいぶ小さくなっちゃうけど、楽しいと思うよ」
だから、と今日子は優しい声で続けた。
「取り消すなんて言わないで。わたしは葉月くんを待ってるから。葉月君と約束した時から、うれしくてずっと楽しみにしてるんだから」
照れたように笑う今日子にも、葉月は表情を変えなかったが、
(落ちたな)
(落ちましたね)
水橋と神崎は同時に思った。
木石じゃあるまいし、これで落ちなかったら男ではない。
「・・・そう・・・か」
動揺がわずかに表れた葉月に、
「うん、そうしよ!」
今日子が明るく答える。
「・・・じゃあ、そういうことで」
ぼそぼそと葉月が応じた時、
「葉月くんっ!」
店のドアがうるさいほどのベルを鳴らして勢いよく開かれた。
「こんなとこにいたのか!よかった、すぐに見つかって。今日はロケになったって、言ってあっただろ?」
ズカズカと詰め寄るなり、葉月の腕をつかむ。
「やっぱり迎えに行った方がよかったじゃないか!とにかく行くよ、急いで!」
苛立ちを隠さずに急かすマネージャーは、彼の職務を忠実にまっとうしているに過ぎない。
だが、
(今がどれだけ大事な場面だと思ってるんだ!)
大人の良識でグッとこらえた水橋の前で、葉月は引っ立てられていったのだった。
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