ナンパされて、ついうっかり付いて行ってしまう時って、こんな感じなのだろうか。
(ナンパなんて、されたことないけど)
更に言えば、それほど親しくもない相手から、こうも気軽に自宅へと誘われたこともない。
何を話せばいいのかと困っていたくせに、なんだって自分はここに居るのか。
我が行動ながら不可解だった。
「二人とも、もう座ってて。すぐ出来るから」
カウンター越しに、キッチンにいる今日子から言われ、綾瀬と共にテーブルに付く。
「そうだ、有沢さんはアイスティーにシロップ入れる?」
座った途端、腰を浮かせる綾瀬に、ストレートでいいと答える。
「じゃあ、このまま」
たっぷりと氷を満たしたグラスに、きれいな琥珀色の紅茶を注ぐ綾瀬はご機嫌で、今日子の容赦ない率直な一言に見せたふくれっ面は、影も留めていない。
あの後、
『またって言いたいのは、こっちの方よ!』
一気に不満をぶちまけようとした綾瀬の機嫌を、
『言えてる。じゃあ、立ち話も何だから・・・ウチに来る?お昼まだだし、タラコがあるからパスタで良かったら作るよ』
『行く。行きます。今日子のタラコスパが食べられるなら、どこへでも』
簡単に直してみせた。
「はい、お待たせ」
各自の前に置かれたお皿には、前もって今日子が注文を聞いてくれた分量が盛り付けられている。
だから先刻承知のことなのだが、
(綾瀬さん……)
軽めにと頼んだ自分のと比較して、その量は倍近い。
(薔薇のジャムと紅茶しか口にしないって言われても、納得しそうな見かけなのに)
その綺麗な容姿から、こちらが勝手に抱くイメージと比較されても綾瀬は迷惑するだろうが、食べ物で簡単に釣られる性格といい、その口にする分量といい、ギャップどころか違和感の域だ。
(・・・・・・でも、“いっぱい”って、頼みたくなるかも)
パスタのゆで加減は言うに及ばず、絶妙な塩加減にタラコの絡まり具合、トッピングの細く刻んだ胡瓜は丁度良く水気が切られて、シャキシャキと食感も良く、ふりかけられた海苔は香ばしい。
「美味しい」
思わず口に出して言うと、でしょ?と、なぜか綾瀬が自慢げに言う。
「よかった、気に入ってもらえて」
安心したように今日子が微笑う。
『もし都合が悪くなければ、有沢さんも一緒にお昼どうかな』
今日子が誘ってくれた時、断ることも出来たけれど、なんとなく、そうはしたくなかった。
『有沢さん!? すごい偶然』
そこでやっと、もう一人の存在に気付いた綾瀬のうっかり具合にガクッときて、遠慮が消えたせいもあるけれど。
(そういえば綾瀬さん、わたしの名前、知っててくれたのね)
休日に、公園通りやショッピングモールのお店で、2、3回、遭遇したことはある。
目礼こそ交わしたが、まだ学校でも、ちゃんと話したことはない。
一方的にではあるが、ライバルと見定めている相手に存在を気付いてもらっていると知るのは、悪い気分ではなかった。
「あぁ、すごく幸せ。夏休みになったらタラコ持参で来るから、今日子に作ってもらおうって思ってたんだ」
有沢とは全く別の種類の幸せに浸っている綾瀬は、アイスティーを一口飲むと、うっとりと微笑んだまま続けた。
「図書館なんかに寄ったりしないで、まっすぐ帰るんだったって後悔したけど、こういう展開になるなら、まぁいっか」
分岐点は、間違いなく、そこではない。
有沢は心の中で冷静にツッコミを入れていた。
話の続きは家に着いてからと今日子は言ったのに、黙っていられなかった訴えを聞いた限り、非は100パーセント、綾瀬にある。
なにしろ、階段を一段飛ばしで降りてきて、最後は三段をポンと飛び越し、
『綾瀬美咲、100点!』
と着地を決めたところ、
『100点ではない!』
厳しい叱責が、背後から降ってきたというのだから。
いくら期末試験もすべて終わった図書館前の階段には誰も居なかったとしても、今までコケたことなど一度も無いと、運動神経の良さを主張されても、万が一という確率がある以上、担任としての氷室の叱責は当然のことだった。
「先生ってなんでこう、間が悪い時ばっかり出てくるんだろ。肉まんの時だってそうでしょ」
「肉まん、て?」
またしても綾瀬に不釣合いな単語の登場に、つい聞き返した。
「衣替えの、ちょっと前のことだったんだけど、」
思い出したことで憮然としたカオになり、フォークを置く。
それは、もうすぐ制服を夏服に替えようという、五月も末の頃のこと。
やけに肌寒い一日で、陽が落ちたら一段と冷えて、お腹も空いていたから早く帰ろうと、家の近所のコンビニまで来たところで店から出てきた同じクラスの楠本真吾にバッタリ会った。
『よぉ、今頃帰りか?』
愛想良く声を掛けてきた楠本の手にあったのが、湯気の立つホカホカの肉まん。
腹減ったし寒いんで衝動買いしたと、美味そうに齧りつくを見たら、
「普通、自分も買うでしょ?」
「・・・・・・・・・」
すぐさま店に入ってレジへと直行し、残り一個だった特製肉まんをゲット。
まだ外に居た楠本と並んで、シーズン的にもこれが最後の肉まんだよねと、楽しく食べ始めたところへ一台の外車がスゥと近付き、ピタリと止まった。
「コンビニに外車で来る人がいるって思ったら、降りて来たのが、怖い表情した氷室先生だった」
長い睫毛を伏せ、憂いに満ちた表情でため息をつく。
(・・・これ、笑うところよね?)
笑ってもいいのよねと、横目で今日子の反応を確かめるが、クスリともしていない。
それどころか、
「まだ、二口しか食べてなかったのにね」
気の毒そうに共感している。
寄り道に買い食い、おまけに戸外での立ち食いという行儀の悪さも合わせ、叱られているうちに肉まんはすっかり、冷めてしまったのだという。
「しょうがないから、持って帰って家であっためて食べてたら、御飯前なのにってお母さんにも怒られるし、さんざんだった」
正直なところ、有沢は綾瀬に対してよりも、氷室の方によほど共感していた。
入学式の日、新入生代表として壇上に進み出た“綾瀬美咲”は、澄んだ声を講堂の隅々にまで響かせ、少しの震えもなく、堂々と挨拶を述べてみせた。
尊敬に値するライバル、それも同性に得たことで感じた高揚感を、今でもはっきり覚えている。
その、“綾瀬美咲”が。
(中等部の男子みたいよね、これじゃ・・・)
優秀な生徒を自分のクラスに迎え、間違いなく期待を寄せていたであろう氷室が、階段を飛び跳ねて降りる後ろ姿を見つけ、
『まったく、君は』
叱責するに至る心境に、有沢は心底同情した。
それにと、今日子を見る。
「先生も、せめて食べ終わってから、出てきてくれたら良かったのにね」
こういうのを、天然というのだろう。
周囲には居なかったタイプなので推測が混じるが、たぶん間違いない。
「それでね、次がたこ焼きだったの。有沢さん、聞いてる?」
綾瀬美咲は中身が見事なくらい容姿に反していて、明日香今日子は受ける印象そのままに素直で優しいけれど、天然ボケで予想外の言動に出る。
「聞いてます。それで次はどうしたの?」
意外性に戸惑うよりも可笑しくなって、有沢は先を促していた。
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