体育祭当日は、どんより雲のお天気だった。
昼前には晴れ間がのぞくという予報に反し、午後になっても、薄い雲を通して弱い太陽の光を感じるだけ。
「晴れてっと体力消耗するから、この方がいいけどな」
「天気に関係なく、体力温存しっ放しのヤツが、あそこに居るんだが」
楠本が工藤に指差してみせた先には、葉月が椅子を並べた上でグースカ寝ていた。
「応援もせずに、いいのか?あれで」
「葉月が応援?やめてくれ。みんな、プレッシャーで萎縮すんだろうが」
「おまえ、太陽じゃなくて、嵐呼びたいのか?」
「この学校にだけ雷落ちるぞ」
近くにいる男共から、一斉に抗議の声が上がる。
さすがに次元の違う扱いだ。
一人寝ていても、文句を言われないどころか、触わるんじゃないと止められる。
(明日香が一目置かれる訳だな)
自分から立候補したくせに、リレーであることを知らなかったという衝撃のボケっぷりが明らかにされた時、女子は聞かなかったフリをし、男子は影で、さすが葉月と、壁や机を叩いて笑った。
ただ、同時に。
『そしたらね、もう一回練習するって言ってくれたよ。こんなことなら、もっとちゃんと話せばよかった。葉月君のことも、驚かせちゃったし』
『驚かせたって、葉月君、顔に出るほどだったの?』
宮野が、あるのかそんな事、とばかりに訊いたのに対し、
『顔には出なかったよ。けど、なんとなく、そういう雰囲気って分かるでしょ』
わかりません、全く、と、宮野と綾瀬は沈黙し、桜井までが難しい表情で首を傾げたというのに、
『葉月君て、表情に出にくいだけで、ほんとは感情豊かな人だよね』
ふふっと笑った。
葉月の、あの大抵の人間がめげて話し掛けようとしなくなる、冷たい対応にも諦めず、いつの間にかもう一度の機会を作って話し、誤解を解いて自ら練習に参加させた。
しかも、何を考えているのか誰にも分からない葉月を、感情豊かな人だと言って楽しそうに笑う。
明日香今日子も、準次元が違う扱いに認定されようとしていた。
「葉月君、起きて。そろそろウォーミングアップしないと、眠いまま走ることになっちゃうよ」
今も、触らぬ葉月にと、放っておかれた男の眠りを、平気で覚ましにかかる。
「・・・・・・眠い」
これだけは、誰にでも分かる不機嫌な声。
「そ。だから頑張って起きよ。でないと、布団剥ぐ代わりに椅子から落とすよ」
優しい声で言われた乱暴な内容に、聞き耳を立てていた周囲が一斉に、不躾なくらい注目する。
明日香今日子は、葉月の身体が載っている椅子の背をがっちりと掴み、既に傾けようとしていた。
「やめろ」
低い声で言うと、葉月はおもむろに身体を起こし、足を地面に下ろした。
「今、どうなってる」
「なんと二位。ちなみに、二人三脚で一位を取れば、逆転優勝出来る点差なんだけど、どう?燃えてきた?」
今頃、現状を確認するようなやる気のない男に、無駄な問い掛けをすると楠本は思ったのだが。
「なら、逆転させる」
「そうこなくっちゃ」
見た目にはまるで変化はないが、燃えてきたらしい葉月と連れ立って行ってしまった後、
「明日香って、すげぇな」
誰かが、しみじみと言った。
「転倒るなよ、楠本。葉月のマジなんざ、この先拝めるか分からないんだからな」
こちらもノッてきたらしい工藤が、不敵に笑う。
「明日香が居れば、この先いくらでも拝めるだろ」
軽く受け流しはしたものの、たぶん、転倒たらタダじゃ済まされないと、楠本は退屈するどころではなくなっていた。
スタートラインに立った時、子供みたいにわくわくする自分を感じていた。
走るのだけは速かったから、リレーにはよく出たが、誰かと一緒に走ったことなど、当然ない。
緊張も少しはしているが、それ以上に、楽しく思う気持ちの方が強い。
「本気でいく」
「もちろん!」
葉月が本気になってくれているのも、わくわくする理由の一つだ。
「必ず、付いて来い」
「任せて」
“位置に着いて”
気分が最高潮に高まる。
“よーい”
わくわく出来たのは、ここまでだった。
パーンとスタートが切られた瞬間、
(え?)
今日子は焦った。
(ええっ!?)
練習の時と、スピードがまるで違う。
「合わせろっ」
叱咤され、反射的に、交互に出す足を葉月に合わせていた。
何を考える余裕もなく、ただ、しっかりと組んでいる葉月の呼吸だけを感じる。
ぐんぐん、綾瀬と楠本が迫ってきた。
実際は自分たちが迫っているのだが、今日子はそう感じた。
綾瀬がびっくりしていると思った時には、もう、バトンが渡っていた。
すぐには止まれず、前を走る綾瀬たちを追い立てるように少し走ったせいで、二人は逃げるように駆けて行く。
綾瀬たちも練習の時より早いと思いながら、息が苦しくて膝を付いた。
「ここだと、邪魔になる」
葉月に抱えられて立ち上がり、コースの内側に入る。
綾瀬と楠本がトップでバトンを渡すのを見た時には、足首の拘束もいつの間にか解かれていた。
ペタリと、今日子は座り込んでしまった。
まだ、心臓がバクバクしている。
運動量のせいではなく、びっくりし過ぎたせいだ。
わくわくするどころではない。
そのまま今日子は、宮野たちがぶっちぎりでゴールのテープを切るまでを見ていた。
沸き起こった歓声が遠くに感じるのは、まだ鼓動が鎮まらないせいだ。
「だから言ったろ。一度で充分だって」
本番で、いきなり練習と違うスピードで走るなんてひどいと、文句を言うべきだった。
けれど、
「呼吸、合ってるんだ。俺たち」
得意そうな響きを感じたから、
「ほんとだね」
今日子は笑ってしまった。
「ほら、」
もう落ち着いている葉月が手を差し伸べて来る。
その時、雲間から太陽が現れた。
射しこむ陽の光にキラキラと透ける、明るい色の髪。
宝石のように、深い色をたたえた緑の瞳。
差し伸べられる優しい手。
(・・・・・・?)
心の中に、何か、不思議な気持ちが溢れてくる。
「どうした?手、貸せよ」
懐かしいとも言えるような感情に戸惑いながら、その手を取ろうとして、パラリと砂が落ちるのを感じた。
自分の手を返してみると、グラウンドに座り込んでいたせいで砂まみれになっている。
「平気。ありがとう」
礼だけ言って、一人で立った。
「わ、こっちも」
手の平だけでなく、足に付いた砂も払い落とす。
「・・・ほんとに、変わらない」
「今日子!」
低すぎる呟きは、走ってきた綾瀬の声に消された。
「大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ。凄かったね、美咲も楠本君も、練習の時よりずっと早かったよ」
続けて走ってきた楠本、工藤、宮野の膝がカクッと、くだける。
「その台詞、まんま返すぜ」
楠本が呆れ返って、葉月を見る。
「無茶しやがって。転倒たらどうする気だ」
ありえないスピードで迫ってきた葉月と明日香に煽られ、のせられたものの、工藤にバトンを渡してすぐ、楠本たちは盛大に転倒たのだ。
「転ぶ筈ない」
偉そうとも言える台詞を吐いて、一人、歩き出す。
「葉月、おまえ、練習の時、手ェ抜いたな」
追いかけながら工藤が言うと、
「能ある鷹は爪を隠す」
無表情に言い放ち、行ってしまう。
「・・・なぁ、あいつ、面白いコト言うヤツなのか?」
空耳じゃないよな、と楠本が確かめるのに、工藤は両手で大きくバツを作って答えた。
そして、晴れてきた空を見上げ、
「明日は嵐だな」
冗談とも思えない口調で言った。
「雨、止みそうにないね」
窓際のテーブル席から、臨海公園は通りを挟んですぐ目の前なのに、とても外へ出られたものではない。
綾瀬と今日子はランチを食べ終えてしまっても、席を立てずにいた。
「今日、降るなんて予報で言ってたっけ」
「・・・・・・言ってたかも」
「そうなの?昨夜は一日曇りって、言ってたような気がしたんだけど」
予報の主は宮野だった。
『絶対に明日は土砂降り。ジュース賭けてもいい。何も起きないなんて有り得ない』
信じた訳ではなかったけれど、折り畳み傘をバッグの中に突っ込んでいた。
ランチメニューをあれこれ選んでいる時、急に暗くなったなと思ったら、バケツをひっくり返したみたいに降り出して、傘持ってきてないと慌てる今日子に、出してみせたら感謝された。
おかげで、妙に居心地が悪い。
(だって、この土砂降りの原因て、やっぱり半分は、今日子?)
「ね、美咲」
「なに?」
「雨が止むまで、このままここで、お喋りしてかない?」
「そうしよっか」
どのテーブルのお客も、帰る素振りすら見せないし、またこの雨で、新しいお客も入ってこない。
「じゃあ、せめて追加オーダー。ケーキ頼も」
「うん!」
早速、ここのオススメはね、とメニューを開いてみせる。
(お節介なんかじゃ、ないよね)
今日子が、これから葉月とどんな風に関わり合っていくのかは分からない。
けれど、あの人付き合いがとことん下手そうな男は、これからもきっと、さんざん、やらかすに違いない。
その度に今日子が振り回され、しょんぼりすることがないように、手を貸したり、気を配ったりすることを、
(お節介なんて、今日子はきっと言ったりしない)
だから思いっきり、これからも付き合って行こう。
「どうしたの?美咲。なんか顔、笑ってる」
コソっと声をひそめる。
「何か面白いもの見つけたの?」
「実はね、思ったんだけど、」
コソリと、綾瀬も顔を近づけて言う。
「一人でケーキ2個は多いけど、二人なら、1個にちょっと、オマケ付けたくらいなもんだと思わない?」
きょとんとしたのは一瞬だけ。
「ここのシュークリーム、とっても美味しいんだけど、けっこう大きめなの。そんなの一人で食べちゃ、ダメだよね」
「そうそう、ちょっと足りないくらいが一番美味しいって言うし。でも、シュー生地って薄いから、クリームしかないも同然?」
「そのクリームだって、すぐに溶けてなくなっちゃうしね」
「昨日は沢山、運動もしたし」
ニコッと微笑み交わすと、一変、真剣な眼差しをメニューに注ぐ。
どこを取っても間違っている理屈で、ようやく三個のケーキを選び出しても、まだ雨は降り続けていた。
←Back / Next→
小説の頁のTOPへ / この頁のtop
|