□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校1年

ふたりで一番 6.


「いらっしゃいませ」
ドアベルの響きに振り返ってその人の顔を見た時、今日子は心の中で、うわっと声を上げていた。
(葉月君、すごく疲れてる)
例によって、表情には殆んど出ていないが、全体的な雰囲気がげっそりしている。 ように感じる。
カウンター端の席に座ったところへ、急いで、水とおしぼりを出す。
「お疲れさま、葉月君」
「ああ・・・モカ、頼む」
「かしこまりました」
肘を付いて両手を組み、額を付けて目を瞑る。
夜の18時台という時間帯は、軽食を取りに来るお客さんが多い。
葉月も、いつもならサンドイッチなどを食べに来るのに、今日はコーヒーしか頼まない。
店内は満席に近く、今日子は何度も葉月の横を出たり入ったりしなければならず、気が咎めて出来るだけ静かに通るようにした。
マスターの淹れたモカを、そっと前に置くと、組んでいた手を解いて顔を上げた。
「ああ、悪い」
「お待たせしました」
他に何か、出来ることがあればいいのにと思っていると、
「葉月君、よかったら、奥のテーブルで少し休んでいくかい?」
マスターがさりげなく尋ねた。
「ありがとうございます。でも、そんなに時間ないから」
一日中、スタジオでの撮影が続いていると耳にしていた。
到底、私服とは思えない格好は、きっと衣装のままで、合間の時間を使って息抜きに出てきたのだろう。
オーダーのサンドイッチを準備する手許を、向かい合う葉月がじっと見ている。
(やっぱり、お腹空いちゃったのかな)
とはいえ、食事をする時間はないと分かっていて、勧める訳にもいかない。
それに、接客の範疇を越えているようにも思う。
「おまえ、慣れてきたみたいだな」
囁くように響く声は、スッと今日子の耳に入ってきた。
「うん。じゃなくて、はい、ありがとう、ございます」
アルカードで学校にいる時のように話すことは殆んどなかったから、言葉遣いが入り混じって、おかしくなってしまった。
「どうした?いつもと同じに話せよ」
不思議そうに言うその、いつもと同じとは、学校でのそれを指している。
困ってマスターを見ると、構わないよ、というように頷かれた。
「ありがとう。ちゃんとね、出来るようになってきたんだよ」
葉月だけに聞こえるように、声を落として話した。
「コーヒーは?」
特訓の成果を確かめられる。
「頑張ってる」
今度、常連さんの最終試験を受けることになっていた。
「そうか」
それきり黙って、カップを傾けている。
ゆっくりと、一杯のコーヒーを飲み終えると、葉月は席を立った。
「ごちそうさん」
「あの、葉月君」
一瞬、迷った。
こんな言葉、言われるまでもないと、思うかもしれなかったけれど。
「頑張って」
心に思ったままを伝えると、気のせいでなければ、葉月の表情は、かすかに和んだように思えた。
(アルバイトっていうより、もう大人とおんなじに働いてるみたい)
撮影所へは、何度かデリバリーに行っているが、まだ、葉月の撮影をしているところは見たことがない。
学校にいる時の、寝てるか、ぼーっとしているかの姿からは想像もつかないが、きっと仕事の時は神経を張り詰めているのだろう。
(おまけに、日曜日もお仕事が入るんじゃ、気が抜けないよね)
沢山の人が関わる仕事を、すっぽかした理由が寝坊。
それも初犯じゃないとくれば、怒られて済む話とは思えず、クビになったのではないかと気掛かりだった。
おまえには関係ないと、寂しくなるくらい、はっきりと言われてはいた。
それでも仕事の合間にふと時計を見ては、どうしているだろうと考えてしまう。
21時過ぎにバイトを終えて外へ出ると、ちょうど葉月が撮影所から出てくるのが見えた。
今度はラフな白のシャツとジーンズで、もしかして、仕事が終わったのかなと立ち止まって見ていると、葉月も気付いた。
お互い歩み寄る形で近付き、
「おまえも仕事終わったのか?」
「葉月君、お仕事終わった?」
同時に、尋ねていた。
あんまりタイミング良かったので、思わず笑ってしまう。葉月も、拘束から解かれたせいか、なんとなく、優しく見えないこともない表情になった。
「おつかれさま。大変だったね」
「まぁな」
帰る方向が一緒なので、そのまま歩き出す。
「いっぱい、怒られちゃった?」
もう一つ、気になっていたことを訊いてみる。
「事務所に呼び出された。昨日」
ああ、それで、昨日の帰りは時間がなかったんだと思う。
「でも、よかったね。お仕事続けられて」
「そうか?」
ものすごく、やる気の感じられない返事をする。
クビになった方が、良かったとでも言いたげだ。
「けど、怒られてお終いなんて、楽しくないでしょう?」
「そういうものなのか?」
ここは不思議そうに訊き返すところじゃないよ、と心の中だけでツッコミ、口に出しては、
「辞めるにしても、ちゃんと後腐れのないようにしなくちゃ」
「お、まえ」
ごくわずかに、声が震えている。
「時々、おかしな言い回しするよな」
「そう?」
前を向いたままの横顔は、ちっとも笑ってなどいなかったが、目許や口許に、前にも感じた違和感がある。
「今の、面白かった?」
じーっと横顔を見つめて訊くと、顔を背ける。
「・・・少し」
「なら、よかった」
気付かないフリで言うと、身体を捻るようにしてまで顔を背けて歩く。
(笑ってるカオ、見られたくないのかな)
すごく綺麗な顔立ちなのに、笑うと面白い顔になってしまうのだろうか。
想像しようとしても、今の変化に乏しい表情からでは、情報が少なすぎて出来ない。
「葉月君、今週の土曜、体育祭だけど、大丈夫?出られる?」
急に、仕事が入ってしまうことがないかを確かめるつもりだったが、
「土曜だったか?」
「・・・土曜だよ。6月の8日」
「ああ、出る」
違う意味で訊いておいてよかったと思った。
「葉月君、あのね」
疲れている今、こんなことを言うのは気が引けた。
けれど、明日はきっと学校に来ても、ずっと寝ているだろうし、もう、日にちもあまり残されていない。
「二人三脚の練習、あと一回だけでもいいから、やろう」
「・・・この前、呼吸(いき)合ってたろ。俺たち」
「うん。そうだね。でもこれはリレーだから、ちゃんとバトンを渡す練習もしなくちゃ」
葉月は、足を止めた。
「バトン?」
今日子も立ち止まり、向かい合った。
「そう。わたし達は第一走者だから、責任重大だよ。次の美咲と楠本君に出来るだけ早い順位で渡せるように、頑張らなきゃ・・・葉月君?」
何か、葉月の表情が、理解しがたいことを耳にした、とでもいうような雰囲気を漂わせている。
「リレー?」
「うん」
何を今更、そんな基本的なことを確かめるのか。
「ゴールのテープ、俺たちが切るんじゃないのか?」
一位になることを前提で訊いてくる。
「そう出来るとしたら、切るのはアンカーのあいちゃんと工藤君だね」
本日二度目、今日子は心の中で、うわっと声を上げた。
(動揺してる。表情変わんないけど、葉月君、今、ものすごく動揺してるよね)
「もしかして、アンカーがよかったの?」
「・・・いや、そういう訳じゃ」
(混乱してる。なんか葉月君、混乱してる)
「なぁ、二人三脚って、そういうんだったか?」
おかしいだろ、と思っている空気を、ひしひしと感じる。
「はば学のは、ちょっと普通とは違うかも。葉月君、知らなかったんだね」
こっくりと、頷く。
そういえば、種目の説明をしている時、突っ伏して寝ていた。
でも、黒板にはちゃんと、“二人三脚リレー”と書いてあったし、中等部の体育祭でもやっていた筈だ。
(葉月君のことだから、その時も寝てたのかな)
「じゃあ、もう一回、練習しとくか」
「ほんと?よかった、練習しようね」
ぼんやりでは片付けられないレベルのボケ加減も、葉月から練習を申し出てくれたのが嬉しくて、今日子の中では、うやむやに流されてしまう。
「頑張って、一位でバトン渡そうね」
「・・・だな」
無表情のままの短い相槌に、今日子は、ひどくがっかりしている葉月の気持ちを感じ取っていた。



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