「今日子、食べないの?」
まだ半分ほども残っているお弁当の、箸を持つ手が止まっていた。
綾瀬の問い掛けにも反応せず、ぼんやり卵焼きを見ている。
「気分でも悪いの?」
宮野が聞いても、虚ろな表情のままだ。
「きょ、う、こ」
「はいっ、え?」
綾瀬の強い呼びかけに、やっと反応する。
「お弁当、早く食べないと」
綾瀬も宮野も食べ終えて、包みを片付けているところだった。
「わっ、二人とも食べるの早い」
あわてて残りを食べ始める。
綾瀬は、宮野と素早く目配せを交わした。
朝から、今日子の様子が変だった。
話すことが沢山ある月曜日なのに、聞き役にばかり回って、自分からはあまり話さない。
授業中はぼーっとして、明らかに何も聞いていなかったし、何より、一人の存在を妙に気に掛けていた。
「今日の葉月君、」
試しに名前を出すと、ピクッと反応した。
「珍しく居眠りしないと思わない?」
「日曜に寝すぎたんでしょ。誰も起こさなきゃ、いつまででも、寝てそうよね」
どう思う?、と宮野が振ると、
「さあ・・・」
曖昧に答えを濁す。
「でも助かる。ちゃんと起きてるうちにとっ捕まえて、仕事の予定聞かなくちゃ」
「えっ、止そうよ!」
今日子の強く止める反応に、綾瀬は驚いた。
「でも、リレーの練習するのに、いつなら空いてるか訊かないと」
「あ・・・そうだね」
忘れていたのか、動揺したように呟き俯く。
「聞かない訳には、いかないよね」
葉月に仕事の予定を聞くことが、そんなにまずいことなのか、しょんぼりしてしまう。
もしかして昨日、葉月と何かあったのだろうか。
宮野も同じことを考えたようで、どっちが訊く?とでも言いたげな視線を送ってくる。
無言のまま、お互い譲り合っていると、美術部の部会に出ていた桜井が戻ってきた。
「美咲、リレーの練習、ちゃんと出来そう?葉月君、仕事大変みたいだけど」
今までの会話の流れを知らないのに、桜井は開口一番、訊いてきた。
「今、職員室に部室の鍵を返しに行ったら」
声をひそめる。
「明日、学校休むって、氷室先生に話してた」
「バイトで学校休むなんて出来るの?」
綾瀬も声のトーンを落として聞き返す。
「葉月君の場合、理事長の特例扱いになってるから。時間どおりにこっちの都合で終われる仕事じゃないでしょ。モデルって」
「それはそうかも知れないけど、先生、許可したの?学業に差支えが出るようでは本末転倒って言いそうなのに」
「そのとおり言ってた。でも、今回は自分の責任でもあるから仕方がないって、」
「葉月君がそう言ったの?」
今日子が身を乗り出し、割って入った。
「自分の責任って、言ってた?」
「言ってたけど・・・だから先生も許可しない訳には、いかなかったみたい」
「そっか・・・明日、お仕事なんだ。ちゃんとまだ、出来るんだ」
急に、パァッと表情を明るくする。
「よかった」
とても嬉しそうにしている。
その変化に、綾瀬たちは見入ってしまった。
まるで、干された仕事を貰えたか、クビになり掛けたところを危うくつなぎとめたか。
それくらいの喜びようなのだ。
詳しく訊き出したいのに、予鈴が鳴ってしまう。
舌打ちしたい思いで席を立ったところで、話題の主が教室に戻ってきた。
「葉月君」
今日子がその明るさのまま、葉月のところへ走り寄った。
「二人三脚の練習のことなんだけど、今週、いつなら空いてる?」
葉月は例の無表情のまま、今日子を見た。
「練習なら、もうした」
「一回はね。だけど、もっとしなくちゃ」
葉月の態度のせいで、今日子の明るさがひどく浮き上がって見える。
「充分だ。一回で」
ピシャリと、拒絶されたように感じたくらい、その言い方は素っ気なかった。
すぐには言葉も出ない今日子を置いて、自席へと着く。
「葉月君、あのね」
「机」
「え?」
「直さなくていいのか」
直すのはその態度だと、綾瀬は言ってやりたかった。
話を続けるのに時間が足りないのは今日子も同じことで、自席へ戻ると、後ろ向きにしていた机をきちんと前に向けて直す。
教室内がざわついている。
今のやりとりを、ほぼクラス全員が見ていた。
宮野は肩をすくめ、桜井は心配そうに今日子と葉月を見比べている。
練習にかこ付けて葉月にくっつき、ベタベタしていたと、もう学内中の噂になっていた。
パートナーに選ばれたくらいで、調子に乗っていると、陰口も叩かれていた。
(けど、これで帳消し決定)
くっつかずに、どうやって二人三脚をやれというのかと、綾瀬は一人ムカついていたが、こんなカタチで反感を鎮めることになったって、ちっとも良くない。
(わっかんないなぁ、今日子と一緒に居たくて、指名したんじゃないの?)
授業は始まっていたが、綾瀬の思考は完全に違うところへ飛んでいた。
先週の金曜の夜、宮野との、余人に聞かれる心配のない電話で、中等部時代に葉月がやらかした数々の逸話を聞いた。
『葉月君自身に悪気はなくても、あの造り物みたいな容姿と、感情表現ゼロの口調でやられて、誤解するな、反感買うな、って方がムリな相談でしょ』
確かに、さっきの葉月は感じが悪いとしか言えなかった。
『だから、そのクールさがイイってコ以外には評判良くないんだけど、その物好きが結構多くて』
理解不能と言う宮野に、綾瀬も同感だった。
優しくて、穏やかで、大人で落ち着いているけれど、子供みたいなところもあって、よく笑う楽しい人。
そういうのが、綾瀬の好きなタイプで、クールなんてどこがいいのか、さっぱり共感出来ない。
加えて、葉月のように何を考えているのか読み取れないタイプは、気が抜けなくて、普段ならお近づきになる気もしない。
(今日子は、ああいうのが好みなのかな)
前に座る姿勢のいい背中を見ながら考える。
今までの葉月に対する今日子の接し方は、実は、クラスの誰彼に対するのと変わりない。
恋愛感情なんてものは、まるで感じられず、だからこそ、綾瀬がちょっと間に入って接触を遠ざけるだけで、妬みや反感を抑えられた。
(でも、葉月君のことが気になり出してるんなら、心配なんて余計なお世話になるのかな)
考えた途端、中学の時の記憶が甦る。
『美咲ちゃんて、お節介だよね』
相談に乗っていた筈が、ある日いきなり絶交された。
『誰か他に好きな人がいないか、まず確かめるのが先じゃないの?』
後になって、これが気に障ったのだと、他の子から聞いた。
美人でモテると思って偉そうに、と言っていたらしいが、好きな相手に女の子として見てもらうことさえ叶わなかった自分が、偉そうになんてしていた筈がない。
(やめよう、考えるの。なんか落ち込んできた)
男の子が絡むと、女友達との仲には波風が立ちやすく、ろくな思い出がない。
はば学に来て、以前に何度か話し、メール交換したことがあるだけだった今日子と、思いがけず仲良しになれた。
せっかく毎日楽しいのに、この関係が壊れてしまうのは悲しすぎる。
自意識過剰と言われようが、今までの苦い経験が、関わることへの気持ちをどんどん引き気味にさせていく。
けれど。
「葉月君、この後、少しだけ時間ないかな」
「ない」
終礼の後、帰ろうとする葉月を呼び止めた今日子へのこの態度。
話の接ぎ穂も失ったまま置き去りにされた、寂しそうなカオを見た時、
(締め上げてやりたいんですけど。あの、無神経男!)
綾瀬の弱気は、一遍に吹き飛んでいた。
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