その日の放課後。
グラウンドに続々集まってくるギャラリーを前に、綾瀬は作戦ミスを痛感していた。
クラスミーティング終了後、工藤の声掛けで、とにかく一度合わせてみようという話になった。
葉月の仕事がない日なら丁度いいと、早速、放課後、着替えてグラウンドに出てみれば、
(何なの、この野次馬の数)
女子はともかく男子までいて、友人への注目度の高さに正直、気が滅入る。
せっかく今日子への手出しがしにくいよう、上手く周囲を煙に巻き、反感の熱を冷まそうとしていたのに、これですべて水の泡。
学内で、今日子が葉月とツーショットにならないよう、気を付けていた努力も虚しくなる。
「んじゃあ、説明が必要な競技でもなし、各自、合わせてみようぜ」
工藤が調達してきた鉢巻を配ると、葉月は躊躇の間もなく屈み込み、断りもせず今日子の足首に巻きつけて、自分とを結わえ、速やかに準備を済ませた。
そして立ち上がるや、今日子のウエストを抱き寄せたので、押し殺した複数の悲鳴と、低く野太い声のざわめきが起こった。
綾瀬は頭を抱えたくなった。
確かに少しばかり、邪魔をし過ぎたかも知れない。
けれど、お互いの携帯番号も知っていて、バイト先は隣り同士。
悪目立ちせずに一緒に過ごす方法など幾らでもある筈なのに、なんだって学内中の注目を集めるような手段に、この男は出るのか。
「右足から行くぞ」
「はいっ」
真剣そのものの表情で、今日子が右足を一歩前に出す。
が、葉月は微動だにしない。
「葉月君?」
戸惑うように今日子が見上げると、葉月も見つめ返す。
一瞬にして、背景に花が咲きそうな二人の世界が構築される。
あの男の脳みそには、危険を回避するという意識は働かないのかと、綾瀬は右の拳を握り締めた。
「やると思った」
葉月が、ぼそりと言った。
「え?なんのこと?」
花の変わりに疑問符を飛ばして今日子が首を傾げる。
「おまえは、左足からだろ」
言われて足もとを見下ろし、あ、というカオになる。
「そっか、間違えちゃった。じゃあ、葉月君は右足、わたしは左足からね」
恥ずかしそうに笑う。
「ゆっくり行くぞ」
「うん」
イチ・ニ、イチ・ニと、今日子がゆっくり数えるのに合わせて、足を交互に前へ出す。
(うん、じゃないでしょーっ)
綾瀬は握り締めた拳をフルフルと震わせていた。
(自分の指示が紛らわしいくせに、今日子も、そっか、で納得するなっ)
矢のように突き刺さる複数の視線を結果的に完全無視で、葉月と今日子はテクテク、二人三脚を続けている。
「綾瀬、俺たちも練習しようぜ」
楠本に言われ、綾瀬はここでイラついていても始まらないと思い直した。
善後策は後で考えるとして、今は目の前の課題と向き合った方がいい。
「二人三脚やるのなんか、俺、小学校以来だぜ」
「わたしは覚えてない」
やったことが、あるのかどうかも。
手を挙げたのは、まずいと思った勢いだけなのだ。
「おまえら、そんなんで立候補したのか」
工藤の呆れたような言い方にカチンときた。
「そう言う工藤君は、自信ある訳?」
工藤はニヤリと、それはもう快心の笑みを自慢げに浮かべ、傍らの宮野を引き寄せた。
「中等部、二年連続優勝ペアとは俺たちのことだ。言っとくが、俺らが参加するからには勝ちに行くぜ」
「二連続とも、チームワークの賜物でしょ」
宮野がペチっと右肩にある工藤の手を叩く。
「アンカーで巻き返して逆転優勝決めたの、俺らだろ」
「なに、おまえら、そういう関係な訳?」
どう見ても付き合っているとしか思えない空気にあてられて、楠本が苦笑する。
「そういう関係以外の何に見える」
偉そうに胸を張る。
「ちなみにこの種目、ペアで参加表明すんのは、そういう関係の二人だ」
さらっと付け加えられた内容に、
「えっ」
ぎょっとして綾瀬は声を上げた。
「ごめん、ちゃんと話しとかなくて。まさか、美咲が手を挙げるとは思わなくて。わたしも読みが甘かった。反省してる」
「ちょっと待って」
冷静に反省する宮野に、綾瀬は詰め寄った。
「それ、葉月君も当然、知ってるんだよね。彼も持ち上がり組なんだから」
承知の上で今日子を指名したとなれば、これは事実上のカップル宣言を意味するのではないか?
「それはないでしょ」
綾瀬の推測を、宮野は一蹴した。
「あの葉月君だもの。こんなお約束なんか知る訳ないし、万が一、知ってたとしても、気に留めやしないって。ね?」
同意を求められた工藤も、うんうんと頷く。
「葉月は、俺らとは別の次元を生きてるヤツだからな。見ろよ」
つられて、そっちを見る。
「さっきからずっと俺たちがコソコソやってんのに、あいつ、我関せずだろ」
順調にペースを速め、葉月は今日子と練習を続けている。
「なんで、葉月君がこんな気まぐれ起こしたのか知らないけど、そのつもりで今日子を指名したなんて、普通、誰も考えないわよ」
「気まぐれって・・・」
「葉月のマイペースは、次元が違う扱いなのか・・・」
持ち上がり組の散々な言い様に、一体、あの男は中等部時代、何をやらかしてきたのかと、詮索好きではない綾瀬も気になり始める。
「さて、葉月を見習って、俺たちも真面目にやるか」
工藤は終始おちゃらけていたが、自慢するだけのことはあり、始めてみると宮野とのペアは、確かに呼吸が合っていた。
こんな風にリズムに乗れたら、けっこう速く進めるんだと感心してしまうほどに。
それに引き換え、
「綾瀬、俺が合わせるから。このままじゃ、どっちつかずになる」
「合わせるなら私の方でしょ。楠本君の方が、足が長いんだから」
「この場合、関係あるのは長さじゃなくて歩幅だろ」
まるで、なっちゃいなかった。
二人三脚というより、片足を拘束し合ったまま、どれだけ前に進めるかの実験、といった有様で、リズムがどうという以前の問題だった。
あまりのもたつき様に、工藤と宮野が自分たちの練習を止めて、こちらへ戻って来る。
「美咲、もしかしてこういうの苦手?」
実は、そうだった。
誰かと組んで何か一つのことをやるというのが、昔っから苦手なのだ。うっかりしていたが。
「声出して、リズム取れよ」
「まず歩幅合わせて。速さは後でいいから」
「下ばっか見ない方がいいぞ」
アドバイスしてくれるのは有り難いが、一度に言われると余計、混乱する。
たいした運動量でもないのに、汗ばんできた。
どうしてこんなに上手くいかないのか、分からない。
「なぁ、練習終わった。帰っていいか?」
ブチンと、綾瀬はキレそうになった。
完全な八つ当たりと承知していても、葉月のマイペースな言動に、苛々のボルテージが上がるのを止められない。
「いいんじゃないか。大体分かったしな。走る順番、俺が決めていいか?」
「ああ。任せる」
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れ」
工藤からあっさり許可を貰うと一人、踵を返すが、
「先に行く」
今日子には断っていく。
一人扱いが違うというより、今日子以外、認識していないのではないか。
葉月が校舎内に去ると、まだしつこく残っていたギャラリーも散り始める。
綾瀬は、ため息をつかずにはいられなかった。
今この場で、文字通りの足手まとい、何の役にも立っていないのは自分だ。
「ごめん、楠本君」
組んだままなので、近い位置から見上げることになる。
「面倒な目に遭わせちゃって」
「謝らなくていいぞ、綾瀬。なぁ、楠本?」
この状況下で、なぜかニヤついている工藤には、ジロリと睨みをきかせた楠本だったが、
「俺もたかが二人三脚と、なめてたからな」
気にするなと、励ますように言ってくれる。
けれど、自分が問題となってしまった身では、気にしない訳にいかない。
「ね、わたしが拍子取る役するから、もういっぺん、やってみようよ。きっと大丈夫だから」
今日子の、お気楽にしか聞こえない言い様に、綾瀬は心の奥底でイラッとした。
これまでの、もたつきっぷりを見ていないのだから仕方がないが、カンタンに言ってくれる。
「一つの拍子に合わせた方が、やりやすいと思うの。わたしの手拍子だけ聞いていて。合わせてみよ?ね、美咲。楠本君も」
ここでイヤだなどと、言える身分ではない。
「最初はゆっくり、このくらいね」
パン、パンと、手拍子を取ってみせる。
「まずは歩くところから。はい、イーチ、ニーイ」
仕方がないという気分で足を前に出す。
やっぱり、もたついた。
「止まらないでそのまま進んで。イーチ、ニーイ」
軽くヤケを起こしながら、言われたとおり、拍子だけを聞いて足を交互に進める。
よろけても止まらずに進むうち、伴走している今日子の手拍子が少しずつ早くなる。
その拍子を追っているうちに、グラつかなくなった。
お世辞にも早いとは言えないが、ある程度、スムーズに進めるようになる。
「はい!ストップ」
パンッという音で我に返り、横にいる今日子を見た。
「ほら、大丈夫。出来たよ」
ニコッと微笑うのを見た時、ああ、こういうトコに葉月は惹かれたのかと、綾瀬は納得してしまった。
「今日子、ありが」
うわっ、と楠本が声を上げた。
まだ足を結わえたままなのを忘れて、思いっきり身体を反転させたので、急に片足を引っ張られコケそうになったのだ。
「ごめんっ」
慌てて屈み、足首の拘束を解いた。
「・・・いや、いいけどな」
「綾瀬は明日香と組んだ方が、呼吸が合いそうだな」
追ってきた工藤が、苦笑いする楠本に追い被せるように言う。
「それで楠本君と葉月君が組む訳?まぁ、男女で組まなきゃいけないルールはなかったと思うけど。どうする?」
冗談なのか本気なのか、宮野は真面目に聞いてくる。
「断固、願い下げだ」
楠本は露骨に嫌なカオをした。
「綾瀬、まだ時間大丈夫か?」
聞かれて、遅れて行くと断りを入れた部活のことが、脳裏を掠める。
「わたし、先に行ってやってるから。美咲は練習してて」
何をどうして欲しいと思うより早く、今日子が言った。
「今の調子を掴んじゃったほうが、きっとラクだよ」
「・・・じゃあ、そうしようかな」
「うん、そうして」
拍子を取るのは宮野がやると申し出ると、今日子は行ってくるね、とヒラヒラ手を振り、校舎内に駆け戻っていく。
「ぽやっとしてるようにしか、見えないんだけどな。明日香は」
工藤の言葉は、この場に残った全員の感想でもあった。
「ってことで、これ以上、楠本の株を下げないうちに、特訓始めるか」
「黙れ。やかましい」
工藤と言い合いを始めた楠本はおいて、綾瀬はそっと宮野に近付いた。
「今日の夜、電話してもいい?」
何時でも、と宮野は答えた。
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