葉月珪は困っていた。
今日子に伝えたいことがあるのに、どうしても、きっかけが掴めないのだ。
臨海公園で、一緒にサンドイッチを食べている時に、思いついたこと。
(アルカードで、バイトすればいい)
美味しいコーヒーが淹れられて、明るくて、愛想だっていい。だからきっと、
(あいつに向いてる)
やってみたいと言っていたバイトの種類に喫茶店は入っていなかったが、検討するくらい、いいんじゃないのか。
連休に入る前、そろそろ募集しなくてはと、マスターがいつも来る友人らしい常連客と話していた。
決まっても、続くかどうかが問題なのだと、
『とにかく、真面目に働いてくれたら、それでいいんだけどね』
苦笑していたマスターの、その要望になら、あいつは充分応えられると珪は考えていた。
“アルカードでバイト募集してるから、行ってみろよ”
たったこれだけ、口にすればいいのに、言えない。
おまけに、今日子自身も捉まえられない。
(なんか、いつも一緒だ。綾瀬と)
朝も、休み時間も、昼休みも、放課後も。クラブがあってもなくても一緒にいる。
別に今日子に避けられている訳じゃない。
挨拶は普通に交わすし、
『今日、お仕事だよね。行ってらっしゃい』
声も掛けてくれる。
ただ、もう少し話そうとすると必ず、
『今日子、図書室寄っててもいい?』
綾瀬に呼ばれ、
『じゃあね、葉月君。また明日』
走って行ってしまう。
呼び止める間さえ、与えずに。
(上手くいかないもんだな)
今日だって、気が付いたら、もう帰ってしまっていた。
髪をセットされながら、指示された衣装に着替えながら、珪はいつ、どうやって呼び止めて話を切り出すかを考え続け、ようやく、朝、待ち伏せする方法を思いついた。
学校へ行くには近所の公園前を必ず通る。
ここなら邪魔も入らないし、歩きながら話す時間も取れる。
寝坊さえしなければ明日にも実行可能だと、名案にやっと落ち着いた。
珪の情報は古かった。
尽の暗躍によって今日子のアルカード採用がとっくに決定していたことなど、まったく知らなかった。
だから、
「葉月クン、今日からアルカードに新しいバイトの女の子が入ったんだけど、けっこう可愛いコなんだって」
「後で、夕飯食べるついでに見に行こうって話してたんだが、葉月君も行かないか?」
「まぁ待て。俺がさっきマスターに、コーヒーのデリバリーを彼女にしてもらうよう頼んできた」
「おおっ、さすが島野。気が利くな」
「任せろ。これから俺の火曜と木曜の夕飯は、アルカードに決定だ」
皆が楽しく盛り上がるのをよそに、珪は呆然となった。
せっかくの名案は、実行する前に虚しく用済みと化した。
(がっかりだ)
心で呟いてから、
(・・・どうして、がっかりするんだ?)
自分の気持ちに戸惑った。
(あいつは別に、アルカードでバイトしたがってた訳じゃない。俺も、ただ募集のこと、あいつに教えてやろうと思っただけだ)
落胆する者も、理由も、無い筈なのに。
表面上は無反応な珪を、スタッフの誰もが、いつものことと気に掛けなかった。
葉月珪は無口。
超クールな大人。
この手のおふざけには決して乗ってこない。
もう少し、十代の高校生らしさがあってもいいのに。
それが彼ら共通の見解だったからだ。
がっかりしている本当の訳すら見つけられない珪は、大人でも、ましてやクールでもなかった。
「よぉし、今日の夕飯は皆でアルカードだ!」
「おうっ!」
「・・・こういうヘンな人たちばっかりだけど、気にしないでね」
ヘアメイクの本宮の、呆れたような声に振り返ると、
(・・・どうして)
今日子が、アルカードのウェイトレスの制服を着て、緊張で強張った笑顔を張りつけ立っていた。
「あの、お待たせしました。アルカードです。ご注文の品を、お届けに参りました」
いかにも物慣れぬ様子で、ぎこちなく言うと、注目を浴びまくりながらギクシャクと、ポットやカップが置かれているテーブルを目指して歩いて行く。
頭の中は、マスターから受けた指示で一杯なのだろう。
珪のことには、気付きもしない。
「君が今日から入ったバイトの子?名前、なんて言うの?」
「明日香今日子と申します。よろしくお願いします」
挨拶したのをきっかけに、自己紹介大会が始まった。
次から次へと、名前や担当する仕事を言われて、パニックになりかけている。
「明日香ちゃんはバイト初日からラッキーだね。ほら、葉月クンだよ。彼はモカが好みだから、覚えてあげてね」
一通り挨拶が済んだところで、急に一人が話を振った。
珪の前にあった人垣が左右に分かれる。
囲まれていた今日子が、珪のまっすぐ前に現れた。
「え・・・葉月君!?」
目を丸くした今日子を、予想通りの反応と笑う声が上がる。
「どうしてここに居るの?」
この反応は、珪にも予測出来た。
「どうしてって、仕事」
「あ、そっか、今日、火曜日だから・・・もしかして、ここで撮影してるの?」
「まあ、そんなとこ」
「あ、あれ?何、知り合い?」
ミーハーな反応を期待していた一人が、拍子抜けしたように言う。
「はい。同じ学校なんです」
「なんだ、そっか。じゃあさ、特別に葉月君の撮影、ちょっとだけ見学して行く?」
「いえ。マスターからすぐ戻るように言われてますので」
即答してから、これは言って良かったのかな、と考えるカオになった。
「あ、そう、なんだ」
「はい。こちらのポットはもう、お下げしてよろしいでしょうか」
「はぁ、どうぞ」
「かしこまりました」
軽くなっているポットを抱えると、さっきよりは幾分落ち着いた様子で歩き出し、
「じゃあ、葉月君、お仕事がんばってね」
「ああ、おまえもな」
あっさりした会話を交わして、スタスタと扉へ向かう。
そのまま出て行こうとして、何か言った方がいいと思ったのか、
「ご注文ありがとうございました。これからも喫茶アルカードをご贔屓に」
ペコリと一礼して、扉の外へ消えた。
スタジオは、ちょっとの間、静かだった。
「なんていうか、面白いコだね」
ぽつりと、一人が言った。
「まさしく天然だな」
「振られちゃったね、葉月君。即決で断られちゃったよ」
「何、言ってるのよ」
本宮が心底呆れたというように、軽く睨んだ。
「アルカードでバイトを続ける一番の条件は、ここで道草しないこと。知ってるくせに、なんであんなイジワル言う訳?」
「いや、もちろん、マスターに怒られないうちに帰すつもりだったけど、ちょっとは喜ぶかな、って」
女の子の憧れは高まるばかりの人気モデル、葉月珪の撮影風景など、望んで見られるものではない。
同じ学校というなら噂も評判もよく承知しているだろうに、ためらいも、惜しいという素振りすら見せず、行ってしまった。
「なんだ・・・そうなのか」
低い呟きに、本宮は何気なく顔を見て、
(あら、)
僅かではあったけれど、葉月珪の表情に変化を感じた。
←Back / Next→
小説の頁のTOPへ / この頁のtop
|