□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校1年

失わないもの 3.


新はばたき駅を待ち合わせ場所に指定したのは、間違いだったと珪は思った。
ゴールデンウィーク最終日。
どこから人がこんなに湧いて出たのか混雑していて、目印にしたコンコースの時計台の下は、同じことを考える待ち合わせの人で賑わっている。
この中から探し出せるのか、珪は自信なげに視線をさ迷わせ、
(居た)
簡単に見つけた。
今日は、白い花飾りのバレッタの代わりに、細い朱色のリボンで髪を結んでいる。
キョロキョロと見当違いな方を見ていて、
(こっちだ)
心の中で珪は呼び掛けた。
朱色のリボンが揺れ、こちらに視線が流れる。
目が合った瞬間、ぱっと、嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
その笑顔のまま、人の間をすり抜けて来る。
「葉月君!よかった、すぐに会えて。人が沢山で分からないかもって、思ってたとこなの」
「・・・・・・」
(俺が先に見つけてたんだ)
(今度から近所の公園で待ち合わせしよう)
(リボンも可愛い)
脈絡なく浮かぶ気持ちの、どれも言葉にならない。
向けられる笑顔で、心のすべてが占められる。
「それじゃ、行こっか」
返事もないことを、今日子は何とも思わなかった。
この人混みから抜け出すことに気を取られていたからで、いつも尽にするのと変わらない感覚で、無言の人の手を取った。
「・・・えっ?」
その手を、撥ねつけられた。
まるで、何か熱いものに触れてしまったかのような勢いで。
あんまりびっくりしたので、今日子はポカンとしたカオのまま、見上げてしまった。
(葉月君・・・)
そこにあったのは、いつもの無表情ではなかった。
咎められるのを恐れているような、子供の表情(かお)
その表情(かお)が、くしゃっと歪み、
「・・・悪い」
逃れるように背けられた。
「ごめん!ごめんね、葉月君」
咄嗟に、謝っていた。
「急に掴んだから、びっくりさせちゃったよね」
答えない横顔がつらそうで、今日子は触れてしまったことを後悔した。
「慌てることないよね。ゆっくり行こう」
なだめるように言っても、こっちを見てはくれない。
「でも人がいっぱいだから、見失わないように、そうだ、このリボンを目印にして」
頭のリボンをつまんで見せる。
「葉月君の方が背が高いから、はぐれないように、ちゃんと見ててね」
思い切って歩き出した。
「新はばたき駅って、広いよね。うっかり、迷子になっちゃいそう」
振り返って、付いてくるのを確かめ、心の中でほっとした。
「この先のショッピングモールも、デパートみたいだし、はばたき駅とは、ずいぶん違うね」
何もなかったように明るくお喋りする今日子の気遣いを痛いほど感じながら、珪は返すべき言葉を紡ぐことが出来なかった。
心に、直接その手で触れられた気がした。
撥ねつけて、すぐに自分が何をしたか気付いて後悔した。
驚いて、目を丸くしている顔を見て、ひどい罪悪感に襲われた。
もっとちゃんと謝るべきだと思うのに、どう、声を掛けたらいいかも分からない。
「葉月君、ちょっといい?」
出し抜けに、今日子が立ち止まった。
「なんだ」
やっと出た言葉がそれかと、珪は自分に腹が立った。
「えっとね、怒らないで聞いてくれる?」
立ち止まった自分達を避けて、人が通り過ぎていく。
珪は、次の言葉を待った。
「臨海公園、方向逆だった」
「・・・・・・・・・」
「そういう訳で、はい、Uターン」
あはは、と能天気に照れ笑いし、人波を逆送し始める。
反対側へ行く人の流れに、なんとか乗ると、
「時々、やっちゃうんだよね。失敗、失敗」
本気で後悔しているとは思えないお気楽さで言う。
(・・・こいつ、やっぱり成長してない)
昔もこんな風に危なっかしくて、珪はハラハラさせられたのに、当の本人はケロッとしていた。
「ね、葉月君、どうせなら、ここで先にお昼食べちゃう?」
「却下」
また逆戻りの提案を考えなしにする今日子に、珪はうっかり、さっきまで抱いていた重苦しい気持ちを、どこかへやってしまった。
「大体、今の時間は並ぶぞ」
ちょうどランチタイムで、人気のあるような店は、どこも一巡目の客で席が埋まった頃だろう。
「じゃあね、臨海公園でサンドイッチ買って、ベンチで食べるのはどうかな?コーヒーなら、持って来てるし」
「そうする」
この思いつきは、悪くなかった。
何より、また今日子が淹れてきてくれたコーヒーに気を惹かれる。
「ではでは、ご案内させて頂きま―す」
調子のいい今日子を、珪は内心、危ぶんでいたが、それからのガイドはスムーズだった。
臨海公園まで来ると、迷いのない足取りで、知らなければ通り過ぎてしまうような屋台のサンドイッチ屋へと連れて行かれ、幾つかを買うと、今度は海に面して並ぶベンチの一つへと案内される。
「はい、どうぞ」
てきぱきと、紙コップに半分の、熱いコーヒーを差し出され、珪はつい、まじまじと今日子を見つめてしまった。
「どうしたの?葉月君」
不思議そうに首を傾げ、すると思い当たることがあったのか、悪戯っぽく笑った。
「ちゃんとガイド出来たんで、びっくりした?」
「・・・少し」
「わたしだって、そういつも、行き当たりばったりな訳じゃないよ?」
やれば出来るんだから、と胸を張ってみせる。
(なんて、ほんとは尽のおかげなんだけどね)
昨日、夕食の後、
『姉ちゃん、ガイドブック見せて』
またしても部屋に入ってきた尽は、勝手に人のベッドの上に寝転んで、くつろぎ始めてしまった。
持ってっていいから、自分の部屋に行きなさいと言うのも、聞いちゃいなくて、
『やっぱ、臨海公園いいよなぁ。今度、ユミちゃんとデートする時は、ここにしよ』
今度?
転校初日で、GFはまだ2〜3人と言っていたが、その(うち)の一人と、もう2回目以上のデート?
あれからまだ、一ヶ月しか経っていないのに?
『姉ちゃん、この店、ネットで調べてよ』
『小学生が何、生意気言ってんの。サンドイッチ買って、ベンチで食べてなさい』
何だか面白くなくて、すげなくした筈なのに、
『じゃあ、この屋台でいいから。毎週、日曜日に車で来てるんだって。祭日も来てんのかな』
気が付いたら、尽のデートプランを一緒に練っていた。
(小学生向けのプランをそのまま応用っていうのも、ちょっと情けなかったかなぁ)
隣りで、黙々とサンドイッチを食べている人をチラリと見る。
(でも、葉月君の好みって、まだよく分かんないし、それに、)
表情一つ変えない横顔を、そのまま、じーっと見てしまう。
(こんなに無反応で食べる人、初めて)
昼過ぎには売り切れになるハムとレタスと胡瓜(きゅうり)のサンドイッチは、評判どおり、とても美味しくて、これが尽なら、
『姉ちゃんっ、これ、すっげぇ美味しい!もう一コ食う?俺、買ってこようか?』
食いしんぼに、はしゃぐだろうし、料理が趣味の美咲なら、
『この薄くスライスした胡瓜、何に漬けてあるんだろ。ほんのちょっと、ミントの香りがする。・・・どうしよう、すっごく気になる!お店の人に聞いたら、教えてくれるかな?』
気になることをそのままにしておけない性分もあって、やっぱりテンションは上がるだろう。
それが、この人は何の反応もなく、淡々と口に運ぶだけ。
今日子の周りにいる人間(ひと)の中で、これは相当、珍しいタイプだった。
(あ、でも)
コーヒーだけは、うまいと反応した。
「なんだ?」
見られていることに気付いていた珪の、さすがに居心地が悪くなっての一言にも、今日子は見つめる瞳を逸らさなかった。
「葉月君は、コーヒー好き?」
「・・・ああ」
「じゃあ、サンドイッチの具は、何が好き?」
「・・・ツナ」
「え、そうなの?だったら、ツナのも買えば良かったね」
「別にいい」
「そう?この次は、忘れないようにするね」
「・・・ああ」
好きな物の話をしているとは思えない、この会話の温度の低さ。
(葉月君て、クールなのかな)
言葉を当て嵌めてみるが、今ひとつ、しっくりこない。
知りたいという気持ちが、余計に高まって、今日子は問い掛けを続けた。
「他には何が好き?」
「・・・・・・・・・」
黙っている顔が、少し困っているように感じられた。
「例えば、これをしてる時が一番いいなって、思うこと」
「昼寝」
「そう、なんだ」
気持ち良さそうな寝顔を見ていたから分かるけど、あれは趣味だったのか。
「じゃあ、起きてる時にすることは?こう、つい熱中しちゃうような遊びとか」
「・・・・・・・・・」
昼寝の答えはすぐに返ってきたのに、今度は考え込んでいる。
「・・・ジグソーパズル」
なぜそんな、過去の記憶を掘り起こすように言う。でも、
「ジグソーパズルかぁ、うん、分かる気がする。やっぱり、ピースが上手く嵌まってくのが楽しいの?」
「そうだな・・・頭の中、空っぽになっていい」
(ここにも、頭の中、真っ白にしたい人が・・・)
一番、見つけなくていい共通項を、見つけてしまった。
「・・・おまえは?」
「え?」
「好きなもの」
「わたしは・・・」
急にふられると、意外に出てこない。
そうか、だから葉月君も困ったんだと納得する。
「わたしが好きなのは・・・・・・きれいなもの」
例えば、桜や、と思いつくまま挙げていこうとして、違和感を覚えた。
「葉月君、」
表情に変化は全くないけれど、
「笑ってない?」
どうも、そんな気がする。
「気のせいだろ」
答える声も、震えるでもなく、平静なままだったけれど、
「そうかなぁ」
笑われている気がしてならない。
「食べたら、煉瓦道散歩するぞ」
あ、話逸らした、と直感的に思ったが、手許を見ると、ほぼ食べ終わりかけていて、対して自分は半分以上残っている。
慌てて今日子はお喋りをやめ、残りのサンドイッチを食べることに集中した。
 
 
 
昼間に来れば綺麗だろうと思った海は、曇った空を映して、同じようにグレーに沈んだ色をしている。
それでも、風は気持ちが良くて、晴れて照り返しがきつくない分、いいのかな、とも思う。
のんびりと煉瓦道を並んで歩きながら辺りを見回すと、人は多いが、さすがに広いだけあって、騒がしさは感じない。
目立つのは、工事や改築の囲みや機材の方だった。
「この辺、工事してるとこ多いね。夜に来た時は、あんまり分かんなかった」
父が話していた、はばたき市再開発計画の一環なのだろうが、
「緑が減っちゃうの、もったいないなぁ」
樹木より、大きく威張って見えるクレーン車を見て呟く。
「賛成。緑は残すべきだ」
「葉月君も、そう思う?」
同じことを感じていると、嬉しくなって見上げた。
「ああ。昼寝する場所が減る」
「・・・だね」
一番好きなこと、というだけあって、そこは重要なポイントらしい。
「でも、ほんとにあんまり変わって欲しくないな。ますます、分かんなくなっちゃう」
「何がだ?」
「この街に住んでた子供の頃のこと。わたし、何も覚えてないんだよね」
ここに住んで、時間が経てば思い出せるかもと思っていたが、ひと月やそこらでは足りないのか変わりない。
「覚えて、ないのか?」
「うん。全然」
「全・・・然?」
葉月君、呆れるかなぁ、と思いながらも、今日子は話し出していた。
「3月まで住んでたのは祖父母の家で、ここから移ったのは小学校に入る時なのに、わたし、生まれた時からずっと、あの家に住んでたとばかり思ってたんだ」
そうではないと認識したのは祖父の葬式の時で、数年でも一緒に過ごせてよかったわね、と言われたからだ。
「幼稚園にも行ってるのに、どんなだったか思い出せないし、アルバム見ても他人(ひと)の見てるみたいで実感湧かないし、なんでなんだろ」
「・・・事故、とか?」
頭でも打ったんじゃないかという疑いは、実は今日子も抱いたことがある。
「聞いてみたことあるけど、違うって。ほんとに忘れちゃってるだけみたい」
「・・・そうか」
「でもね、おかしいと思うの。いくら小さい時のことだって、こんなにきれいさっぱり忘れるものかな」
「さぁな」
素っ気ないというより、冷たく響いて聞こえた相槌に、この話はもう、止めた方が良さそうだと感じた。
考えてみれば、面白くもなく、興味を惹かれるような話でもない。
「でも、そのうち何か、きっかけでもあれば、思い出せるよね。ところで葉月君は」
「思い出したいのか?」
「え?」
「思い出したいのか?子供の頃のこと」
話しかけるのを遮ってまで訊いておきながら、まっすぐ前を向いたまま、ゆっくりとした歩みを止めることもしない。
「それは・・・思い出したいよ。だって、」
戸惑いながら、続けた。
「思い出せれば、お父さんの言うのは作り話だ、って証明出来るもの」
ピタリと足が止まる。
二歩行きかけて、今日子も立ち止まった。
葉月君の行動は予測が出来ないと思っていると、作り話って何だと訊かれた。
「よく、ケンカしてたんだって、特に男の子と」
どうしてこんな話に興味を持つのか、さっぱり分からないが、本当のことでもなし、隠す必要もない。
「意地悪されると、意味も分かってない大人の口真似で言い返して、相手の子、怒らせて、すぐ取っ組み合いになったらしいよ。で、ある時、頬っぺにみみず腫れ作って帰ってきて、子供の喧嘩とはいえ、女の子の顔に傷を付けるとは、って、お父さんが激怒して、」
大人気なく喧嘩相手の家に乗り込んだはいいが、その男の子の顔にはもっと大きな引っ掻き傷があり、平謝りするハメになった。
「でね、このままじゃ危ないから、どうしても我慢出来ない時だけ一発やり返したらすぐ逃げろって、教えたんだって。そうしたら今度は逃げる勢い余って、幼稚園飛び出しちゃうもんだから、先生が追いかけて捕まえなきゃいけなくて、やっぱりお父さんは謝ることになったって、文句言うんだよ?自分で適当に話作ってるくせに。そんなこと、わたしがしてる筈ないのにね」
同意を求めても変わらず無言のままだったけれど、目を合わせたその人に、また、さっきと同じ違和感を覚えた。
「葉月君、笑ってるでしょ」
「・・・気のせいだろ」
「うそ!ゼッタイ笑ってる!この辺とか、この辺、なんか感じ違うもの」
自分の目許や口許を指で押さえながら言うと、ふいっと、顔を背けられた。
「言っとくけど、これ、全部、お父さんの作り話だからね、本気にしないでよ?」
黙って歩き出した背中を追いかける。
そうか、と答える横顔は違和感を残したままで、どうも、そのまま信じている気配が濃厚に漂う。
「作り話は、お父さんの得意技なの。お母さんは、我慢強くてよく言うことを聞く子だった、って言ってるから、そっちがホントだからね」
その母も、父の話には調子を合わせることは黙っておく。
「葉月君、聞いてる?」
顔を見られないようにするためか、早足でどんどん先に行ってしまう人の背中を追いかけるので精一杯になる。
「信じちゃダメだからね」
公園に、時を告げる鐘の音が響く。
答えがあったかどうかも、今日子には分からなかった。
 
 
 
夕方まで、臨海公園にいて、帰り道が混み合う前に、早めに帰宅した。
自室に戻った珪は、携帯をベッドサイドのテーブルに置くと、そのままベッドの上に寝転がった。
別れ際、
『また明日、学校でね』
今日子が言い出すまでに、たっぷり1分はこっちを見上げたまま沈黙していたのは、父親の作り話を信じないようにと、念を押すべきか迷ったからだろう。
結局、蒸し返すこと自体を止めたようだが、
(作り話も何も・・・)
『あんたの目はふしあなっ!?』
意味も分かってない大人の口真似で言い返して、
『いこ!けいくん!』
突き飛ばした相手の子は放ったまま、後も見ずに駆け出した。
(そのままじゃないか)
『葉月君、笑ってるでしょ』
可笑(おか)しいに、決まってる)
自分でも気付かないまま、珪は微笑(わら)っていた。
誰が見てもはっきり分かるほど、表情を緩めて。
(覚えてないくせに、どうして作り話だって、決めつけてるんだ)
今日子が、あの約束も、一緒に遊んだことも忘れてしまっていると分かった時はショックだった。
けれど自分とのことだけでなく、何もかも、そっくり記憶を落としてきたかのような豪快な忘れっぷりには、気付かれたらと心配していた自分が間抜けに思え、拍子抜けもした。
このまま黙っていれば、たぶん、今日子が思い出すことはない。
昔と違う自分に、がっかりされることもない。
(それに、思い出さなくたって)
『おまえ、きれいなものが好きなのか?』
『うん、だいすき!』
今日子は、何も変わっていないことを知っている。
目を閉じれば思い出せる笑顔は、今も同じように自分に向けられている。
「・・・みみず腫れ・・・」
あの桜色の頬に、そんな傷を作っていた過去だけは、再現しなくていいけれど。
『いっぱつ、やりかえしたら、すぐにげろって、お父さんが言ったから』
十年の時を経て、その教えが的確だったことを珪は知り、今日子の父に感謝した。



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