次の日の昼休み。
教室は、ちょっとした騒ぎになっていた。
中等部から持ち上がり組の女子の一人が、葉月珪特集記事の、切り抜きファイルを持ってきたからである。
こういう時、トロくさい今日子は騒ぎの外に弾かれてしまうのが常なのだが、綾瀬美咲という、意図せずとも輪の中心に居るリーダー気質な友人のおかげで、珍しく、集まった女の子達の真ん中で言われるまま、ファイルのページを繰っていた。
制服でも、同い年に見えないほど大人びた葉月珪だが、その記事に映っているのは、まるっきり別世界の人だった。
遠くに目をやる横顔のアップなど、作りもののようで、人とも思えないと誰かが言うのに、うっとりと賛同の声が上がる。
教室で、ここまで遠慮なく騒いでいられるのは、当の葉月珪が今日、学校に来ていないからだ。
欠席の連絡は入っていない為、担任の氷室が電話を掛けている筈だが、
(どうしたのかな、葉月君)
具合でも悪いのだろうかと、今日子は心配していた。
昨日のバイトが、大変だったのだろうか。
モデルの仕事といっても、今日子に思い浮かべられるのは、カメラの前でポーズを取るところぐらい。
その大変さがどんなものなのか、想像もつかない。
けれど、きっと沢山頑張っているから、こんな写真が撮れるのであって、
(ケーキ売るのと作るの、どっちがいい?なんて聞いて、葉月君、呆れたろうな)
自分の子供っぽさがイヤになる。
(大体、ケーキ作る人って・・・パティシエとか、もっと言い様があるのに)
思いついたことを、そのまま口にしてしまう悪いクセがある。直そうと思うのに、気を抜くと、ひょいっと出てしまう。
「こんなキレイな顔が前にあったら、緊張しちゃって、気軽に喋ったり出来ないよね」
「そんなの決まってるじゃん」
(緊張・・・しなかった)
最初に教会の前で会った時こそ先輩だと勘違いして焦ったが、公園通りで会った時も、植物園でも、昨日の帰り道でも、
(全然、普通に喋っちゃった)
もしかして、これが、
『ヘンなヤツ』
という意味なのだろうか。
(ヘンて、ほめ言葉じゃないよね)
当然のことを、思い巡らす。
(普通の、ヘンじゃないヤツって思われないと、仲良くはなれないかな)
話しかけても、殆んど答えの返らない横顔は、この写真ほどには遠くなかったけれど、近付けたとも思えない。
「葉月、どうしたんだよ」
男子の声に、一斉に視線が集中した。
「寝坊した」
教室に入ってきた葉月珪の、ぼそりと発した言葉に、全員が、えっ、と詰まった。
「・・・もう、昼だぞ」
声を掛けた男子が呆れたように言うと、
「ああ、起きたら昼だった」
抑揚のない声が、人垣でその姿を見ることの出来ない今日子の耳にも届く。
(やっぱり大変なんだ。モデルのお仕事)
そう思ったのは今日子一人で、あとは全員、そのあまりなマイペースぶりに何も言えなくなっていた。
自由な校風で知られるはばたき学園だからといって、何でも許される訳ではない。
まして、担任は厳格な氷室である。
放課後、職員室に呼ばれ、お説教と、必ず目覚ましをセットして就寝するよう指導を受け、さぼった授業分のレポート提出を命じられ、やっと珪は解放された。
昨夜、ラフスケッチをしているうちに作りたくなってしまい、取り掛かって、気付いたら夜が明けていた。
眠気を覚えて、ちょっとだけでも寝ようとベッドにもぐり込み、次に目を開けたら昼だった。
休み時間ごとに掛けた氷室からの電話にも、まったく気付かないくらいの熟睡。
そのことにも氷室は怒っていたけれど、
(楽しかった)
久しぶりに、何も考えずに打ち込めた。
レポートなんか、すぐに終わる。
今日は仕事もない。
早く帰って続きだな、と心が浮き立つ。
「葉月君」
上の方から声がしたと思ったら、今日子が階段を駆け下りてきた。
「大丈夫?」
心配そうな顔は、氷室に呼び出されたことを気に掛けているのか。
「ああ」
別にたいしたことはないと伝えたいが、どう言えばいいのか。
頷くだけでは、伝わらない気がする。
「大変なんだね、お仕事」
神妙な顔で続ける。
「今日ね、葉月君の写真、見せてもらったんだ。それでね、すごいなって思った。モデルのお仕事も、葉月君に合ってるんだね」
チリッ、と、胸の奥が引き攣れた。
苦い何かが、そこからじわりと広がっていく。
「葉月君?」
「・・・適当だな」
低い声で言い、背を向けた。
続きなんか、やる気もしない。
鞄とブレザーを投げ出して、自室のベッドに寝転がる。
昨日は、物作りが合っていると言ったくせに、今日は、モデルなんかを合うと言う。
なんて、いい加減な奴なのか。
ずっと続いていた悪くない気分は、もうどこにもない。
帰り道からずっと、イライラが治まらない。
(何が、すごいだ)
(合ってるだって?適当なこと言うな)
(俺のこと、何も知らないくせに)
乱暴に身体を反転させると、サイドテーブルに置いたままの紙片が目に付いた。
今日子の弟が、押し付けてきた携帯の番号。
荒れた気持ちのまま起き上がって、紙片を掴む。
破り捨てようとして、我に返った。
今日子に、何を期待しているのかと。
子供の時、一緒に遊んだことがある。ただ、それだけのつながり。
見当外れな一言を、許されない失敗のように責められるのか。
あいつが、俺のことを何も知らないのは、本当のことなのに。
急速に頭が冷えれば、自分の取った行動が理不尽な、ひどく感じの悪いものだと見えてくる。
今日子は、他の奴と同じように写真を見て、ただ、褒めただけなのに。
抑える気もなかった腹立たしさは、きっと伝わっている。
「もう、話しかけてこないだろうな。あいつ」
今までのように、他の奴らと同じように、声の届かない距離、離れた位置に、引いてしまうだろう。
ゴロンと寝転がった手の中で、紙片がクシャリと潰れる。
つながっていなければ、こんなのは、ただの数字の羅列に過ぎなかった。
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