□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校1年

黎明 4.


「姉ちゃーん、風呂空いたぜー」
ドアをドンドン叩く。
「姉ちゃーん」
返事がない。
前の家では、机とパーテーションで仕切っただけの同じ部屋だったから、気配ですぐに様子が分かったのに。
部屋が別々になってしまったことを、改めて不満に思いながら、もう一度、ドアを叩く。
「入るよ」
返事がないのを無視してドアを開けると、
(あっちゃー)
ラグを敷いた床にぺたりと座り、クッションを抱いてちんまりと居る、姉の姿があった。
学校が始まって、まだ一週間。
夕飯の時、やけに静かだと思ったら、もう、落ち込むことがあったらしい。
(計画通り、葉月に番号渡せてれば、チャンス到来だったのにな)
姉を落ち込ませているのが、その葉月とは知らず、尽は傍に行き、ちょこんと座った。
「なんか、あった?」
年が離れているのが、かえって気楽なのか、尽はこうやって姉の悩みやグチを聞いてきた。
「・・・・・・」
「とりあえずさ、風呂入ってきたら?俺、まだ起きてるし」
すぐに立ち上がって行こうとすると、
「尽、」
(ほらな)
心細げに名前を呼ぶのだ。
「なに?姉ちゃん」
そうして、座り直すと、
「あのね、」
ゆるゆると話し出す。
「わたしって、適当?」
「はい?」
訊かれた言葉が意外過ぎた。
生真面目すぎると、いつも思っていた。
人の言うことをすぐ信じる素直さと共に、尽から見れば、危なっかしいだけの欠点。
適当に流すということを、どうやって姉に習得させようかと、考えているくらいなのに。
いつものように、スラスラとなぐさめの言葉が出てこないのをどう思ったのか、
「お風呂、入ってくるね」
無理に微笑うと、部屋を出て行ってしまった。
「・・・俺、まだ修行が足りないかも」
世界一のイイオトコに渡すまでは、姉を守るのは自分の役目なのに、フォローの一つも出来なかった。
「けど、誰に言われたんだろ」
どこのアホウか知らないが、姉を全く分かっていない奴の言うことなんか、ちっとも気にする必要はないのに。
「よし、出てきたら、この線でなぐさめよっと」
姉の好きな蜂蜜入りのレモンティーを準備しておこうと、尽は立ち上がった。



湯船の中で、今日子は落ち込みまくっていた。
明日、学校で、
(葉月君に何て言おう)
ずっと考え続けているのに、一言も思いつけない。
最初は、謝ろうと思った。
けれど、それこそ、適当な気がした。
仕事の翌日、昼まで起き上がれないほど疲れているのに、写真を見ただけで安易にすごいとか、大変だねと、知ったかぶりした自分を、不愉快に思ったのだろうと、今日子は考えていた。
だから、何も分からないまま謝るのは、もっと適当で、失礼だと思えた。
立ち去って行く背中を見た時の取り残された気持ちが、薄れることなく、今日子を落ち込ませている。
「何て、言おう」
いつまで湯船に漬かっても、言葉は、一つも見つけられなかった。



「姉ちゃん、もう気にすんなよ!」
後ろで、尽が声を張り上げている。
昨日、のぼせて風呂を上がってからずっと、そう言って、なぐさめてくれている。
大丈夫と、笑って手を振ってみせたのに、信用してない顔つきでいる。
訳を、何も話さなかったからかも知れない。
同じ姉弟なのに、どうして尽はあんなに気が回るのか。
友達が沢山いるのも、相手の気を悪くさせるような失敗をしないからなんだろう。
とにかく、もう少し考えて喋らなければいけない。
(葉月君に会ったら、会ったら、えっと、)
朝の道を、まだ、のぼせているような頭で歩く。
「あっ、」
道を向こうから、うつむきがちに歩いてくる人。
公園のところで、学校へ向かう道に折れようとして、上げた顔がこちらを見る。
離れていたけれど、自分に気付いたのが分かった。
目が合ったのは、ほんの数秒。
ついと、目を逸らされる。
止まっていた足が前に出る。
「葉月君!」
考える間もなく、走り出していた。
傍に駆け寄り、
「おはようっ」
大きすぎる声で言った。
どう思ったのか分からない無表情。
けれど、逸らされた緑の瞳を、もう一度こちらに向けてくれていた。
「おはよう、葉月君」
今度は、普通の大きさの声で言うと、
「・・・おはよう」
ぼそりと、返してくれた。
ほっとして、頬が緩むのが自分でも分かった。
「早いんだな」
歩き出すのに合わせて、横に並ぶ。
「そうかな。いつもこれくらいの時間だよ。葉月君も、この時間に出るの?」
「決まってない」
「ああ、前の日、お仕事だと眠いから?」
言ってから、また!と焦る。
気を悪くしたかと、そっと窺い見ると、深い緑の瞳が見つめていた。
「おまえ・・・」
心の中でビクっとした。
「早いんだな。足」
「・・・足?」
「あっという間だった」
さっき、ダッシュで駆け寄ったことを言っている。
「そうかな」
「意外」
褒められて、うれしくなったところへ、
「トロいんだろ?」
失礼なヒトコトが降ってきた。
「そんなことないよ!」
思わず反発した。
「よく言われるって言った。この前」
植物園からの帰り道、別れ際に交わした会話だ。
「言われるけど、そんなにトロくないもん」
反論にもならないことを返しながら、ほんとうに、もっとよく考えて喋ろうと思う。
(葉月君て、話したこと、けっこう覚えてるんだ)
「走るのだけは早いって、言われるんだから」
「だけ、なのか」
「そう、です」
(わたしって馬鹿?学習能力ゼロ?・・・でも、)
ふわっと、心が軽くなる。
(また、葉月君と話せてる)
昨日の失敗を、許してくれたのだろうか。
「そういう葉月君は、走るの速いの?」
「速い」
即、悪びれず言うので、可笑しくなる。
「じゃあ、ボール使っても速い?」
「おまえ、球技苦手なんだろ」
「なんで分かったの!?」
心底びっくりして、足が止まってしまった。
見上げた深い緑の瞳は宝石のようで、ああ、やっぱりきれいだなと、ぼんやり思う。
「目・・・」
ドキッとした。
今、まさか、自分は口に出していた?
「いや、なんでもない」
横顔を向け、先に行ってしまう。
すぐに追いかけて隣りに並ぶ。
(わたし、言ってないよね?口に出してないよね?)
大慌てで、今のやりとりを反芻する。
その傍らで、珪も思い返していた。
(もう、近寄ってこないと思ったのにな)
『葉月君!』
まっすぐ目指して、駆け寄って来た。
(昔と同じだ)
銀杏の樹の下に自分を見つけて、走ってきたあの頃と。
それに、言い当てられて、まん丸になった瞳。
(自分で白状したようなものだろ。驚くことか)
胸の奥が、ざわめく。
(ヘンなヤツだよな。こいつ)
でも、気分は悪くなかった。



- Fin -
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