その週の土曜日。
学校からの帰り道を辿る葉月珪の、表情はクールそのものだったが、心の中は混乱しきっていた。
朝、学校へ行くと、明日香今日子が居る。
後ろの席の女の子と、楽しそうにお喋りする声が聞こえる。
今朝など、下駄箱の所で会ってしまい、
『おはよう、葉月君』
ニコッと挨拶された。
長い時間の果てに、突然、現れた明日香今日子は、昔とちっとも変わっていなかった。
まず、見た目が変わらない。
サラサラ素直そうな髪は、肩につく長さ。
(細くて、やわらかいんだ)
触ったこと、あるから知っている。
それから、黒目がちの大きな瞳。
(驚くと、まん丸になるんだ)
面白くて、何度もびっくりさせようとしたから、知っている。
小さかった手足や、背丈は、すんなり伸びていたけれど、
(あたりまえだ。何年経った)
何年も経っている筈なのに、昔と同じ笑顔がそこに在る。
時間の感覚が、おかしくなりそうだった。
「よぉ!葉月」
(馴れ馴れしいな)
ムッとして立ち止まった珪の前に、小さな身体が走り出てきた。
(・・・似てる)
そっくりだった。明日香今日子に。
それも、今のではなく、昔の今日子に。
クリクリした瞳に覚えがあった。
何か、そう、内緒の話を打明けようとする時の、このカオにも。
(・・・縮んだ?)
「いきなり声掛けて悪いな。俺は、」
喋り出したそのコの前に、珪はスッと膝を折った。
同じ高さで視線を合わせると、びっくりしたように目を丸くする。
(やっぱり、似てる。でも、)
髪は、ここまで短くなかった。
カオも、こんなに生意気そうじゃなかった。
似てるけど、昔と違う。今とも違う。
(あたりまえだ。よく見ろ。こんなに、)
「小さい」
(人が縮む訳ない)
「悪かったなっ」
怒ったカオで怒鳴られた。
考えていたことの、どの部分を口に出していたのか、珪は分からなかった。けれど、
「別に悪くない」
こいつのせいではないと思って言った。
どうにも調子が狂っている。
(早く帰って寝よう)
立ち上がって行こうとすると、
「ちょっと待った!」
呼び止められたが、振り向かなかった。
「待てって、言ってるだろ!」
タタッと、前に回り込んで来る。
「ほらっ」
勝手に手を掴んで、紙片を押し付けられた。
「掛けてみろよ。そこに葉月の運命の相手がいる」
ビシッと、人差し指をつき付け、
「いいか、掛けろよ!ゼッタイだからなっ」
くるっと背を向けると、ランドセルを揺らして、あっという間に走り去って行った。
(やっぱり・・・・・・似てる。男だったけど)
黒のランドセルに、半ズボン。最後に気付いた。
手の中の紙片を開くと、携帯の番号と思われる数字が並んでいる。
(そういえば)
『あのね、わたし、弟がいるんだ。でね、すっごく泣き虫なの』
もし、あの生意気な小学生が、その泣き虫の弟だというなら。
携帯を、珪は取り出していた。
運命の相手、などという大げさな言葉は、珪の耳を素通りしていた。
ただ、この番号が明日香今日子に繋がっているのかを、確かめたかった。
3回のコールの後、
『はいはい』
もう忘れることの出来ない声が応えた。
日曜の昼下がり。
公園通りを歩く珪は、疲れきっていた。
昨日は、あの後、さんざんな目に遭った。
紙片に書かれた番号は、本当に、明日香今日子に繋がっていた。
間違えようのない声に、そのことを知ったけれど、
『誰だ?』
確かめてしまった珪に、
『え?あの、明日香今日子ですけど・・・・・・』
不思議そうな声で、答えてくれたから。
(バカみたいだ。俺)
動揺してしまったのだ。
『ああ、入学式の時・・・・・・あ、俺、葉月』
同じクラスで三日も経つのに、朝は、おはようと声を掛けてくれてるのに、まるで、入学式から一度も今日子を見ていなかったような、名乗りをしてしまった。
じゃあ、また、と電話を切り、家に帰ってからも落ち着かなくて、目的もなく、外に出た。
ふらふらと歩いて、芝生公園でぼんやりして、なんだか寒いと思ったら、いつの間にか寝ていた。
辺りはもう暗くて、身体も冷えきり、こんなことなら部屋で寝てればよかったと家に戻れば、置いたままの携帯にも家の電話にも、山ほど留守電が入っていた。
16時から仕事だったことを、きれいに忘れていたのだ。
大遅刻で撮影所に行き、怒られて、仕事をして、でも全部終わらなくて、日曜なのに朝から残りの撮影をさせられた。
(今度こそ、帰って寝よう)
寝てしまえば、何も考えずに済む。
そうしないと、追ってしまう。
(似てるな)
そこの雑貨屋から出てきた女の子が、明日香今日子にそっくりだと。面影を見つけてしまう。
「あれ?葉月君、こんにちは!」
「・・・・・・」
「・・・葉月君?」
「・・・今度は、本物」
「え?なぁに?」
「いや、こっちのこと。おまえ、なんで居るんだ?」
すぐに、またバカなことを言ったと思った。
同じ高校に通っているのだから、もう、居ても不思議はないのに。
「あのね、」
珪の混乱に気付く訳もなく、明日香今日子は、ふふっと微笑った。
「探検」
「・・・探、検?」
「うん。買い物に来たんだけど、お天気いいでしょ?だから、あちこち見てみたくなったの。この通り、可愛いお店がいっぱいあるね」
(こいつ・・・)
本当に、変わってない。
『けいくん、お天気いいから、たんけんしようよ』
天気がいいと、どうして探検することになるのか分からない珪に、今日子は得意気に言った。
『だって、たんけんて、わくわくを見つけるんでしょ?お日様がキラキラしてる日は、きっと見つけやすいと思うの』
わくわくを、宝物のひとつだと思い込んでいたあの日と、目の前の今日子は同じカオをしている。
「今ね、そこのお店で植物園の割引券、貰っちゃった。この近くなんだって。わたし、植物園て行ったことないんだ。葉月君はある?」
「ない」
「じゃあ、一緒に行かない?」
「え?」
今度は、さすがに動揺が表に現れた珪に、明日香今日子は、いけない、というカオになった。
「ごめんなさい、急に誘ったりして。その、なんだか楽しくて、ちょっと今、浮かれてて、えっと、あの、」
言っているうちに、自分の唐突な言動が恥ずかしくなったらしく、頬がピンクに染まっていく。
「あ、じゃあ、わたし行くね。急に呼び止めたりして、ごめんなさい。じゃあ、」
「行ってもいい」
「え?」
じりじりと、この場から逃げ出そうとしていた明日香今日子の足が止まる。
「植物園」
「・・・ほんと?」
見上げてくるカオは、びっくりしていて、目がまん丸になっている。
「来いよ」
歩き出すと、慌てて付いて来た。
横に並んだ明日香今日子の、見上げてくる視線を感じる。
背は、頭一つ分、珪の方が高かった。
「えっと、葉月君、何か予定なかった?わたし、邪魔してない?」
一緒に行こうという誘いは、今から、という意味ではなかったが、そんな釈明をする勇気は今日子には無かった。
「特にない」
昼寝が予定というなら、昨日から邪魔されている。
無言のまま、自分のペースで歩く珪に、しばらくは黙って今日子も付いて来た。
時折、話をしたそうに見上げてくるが、自分から会話を紡ぐ芸当など、珪に出来る筈もない。
やがて、
「葉月君」
今日子の方から、話し掛けてきた。
「さっきの雑貨屋さんでね、わたし衝動買いしちゃったんだ」
カサリと、袋から髪飾りを取り出す。
白い花で飾られたバレッタだった。
「学校には、ちょっと付けていけないなぁ、って思ったんだけど、どうしても欲しくて。 記念てことでいいかな、なんてね」
甘い言い訳だよね、と照れたように微笑う。
「いいんじゃないか」
「葉月君?」
「俺、好きだ。そういうの」
「あ・・・ありがとう、葉月君」
カサっと、うれしそうにバレッタをしまった。
今、付けないのか?と珪は思ったが、口に出しては違うことを訊いた。
「記念て?」
「あ、それはね、この街に戻ってきた記念」
ドクンと、鼓動が跳ねた。
「わたし、ちっちゃい時、この街に住んでたんだ」
ドクン、ドクンと、跳ねた鼓動が早まっていく。
「そう、なのか?」
「うん。葉月君は?ずっと、ここに住んでるの?」
「いや・・・ずっとじゃない」
ずっと、離れていた。
「わたしはね、小学校に入る前に、引っ越したんだって」
だとしたら、待っていると約束した半年後には、今日子もここを、離れたことになる。
(そうか……なら、やっぱり居る筈なかったんだ)
帰国した時、珪は一度だけ教会へ行った。
そこに、誰も待っていないことを確認する為に。
鍵の掛かった扉の前で、約束の記憶を心の奥底に沈めて、それからずっと、足を向けたこともなかった。
「植物園、混んでるかな?もう午後だから、大丈夫だよね」
楽しそうな今日子の横を歩きながら、珪は考えずにはいられなかった。
(おまえは、わかったのか?俺のこと。約束・・・覚えてるのか?)
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