□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校1年

再会 3.


廊下に貼り出されたクラス分けの掲示。
その一つの名前に、珪は見入っていた。
“明日香今日子”
迎えに来た父と日本を離れる時、再会の約束をして別れた女の子のことを、異国の地で、珪は何度も思い出していた。
『ねぇ、それから?王子さまはどうなったの?』
お話の続きをねだる声。
『けいくん!』
嬉しそうに名前を呼んで、駆けて来る時の笑顔。
祖父の作ったステンドグラスのように、キラキラと鮮やかな想い出が、最初の寂しくて堪らなかった数ヶ月を支えてくれた。
けれど、
『外国に行くんだ。父さんの住んでる国』
“外国”が、あのコから、こんなにも遠い所だとは思わなかった。
『もう、しばらく、ここには来られない』
“しばらく”という時間が、こんなにも長く、いつまでも続く時間のことだと、知らなかった。
『いつか、おれ、お話のつづきしてやる』
約束は、必ず果たせると信じていた。
けれど、いつかという日は、この途方もなく長い時間の果てにある。
そこに、あのコが待っていてくれるとは、珪には思えなかった。
だから、想い出が色を失い、重ねられる記憶の底に沈んでいっても、これを留めようとはしなかった。
その為に、中学への入学準備を控えて帰国した時、再び浮かび上がってきた約束の記憶は、随分とあやふやな、カタチを失ったものになっていた。
あのコの名前が、ちゃんと思い出せないほどに。
確か、“きょうこ”と呼んでいた。
でも、“あすか”と呼んだような気もする。
どちらかが名前としても、苗字の方はさっぱり、思い出せなかった。
(明日香今日子・・・紛らわしい名前)
肩透かしを食らったような気分で、珪はムスッとして教室へ入った。
一瞬だけ静まった教室は、すぐにもっと騒がしくなった。
学園の有名人である葉月珪に、集まる視線。交わされる囁き。
けれど、珪はそんなことに構ってはいられなかった。
(居た)
窓際の席に、明日香今日子が座っていた。
楽しそうに、後ろの席の女生徒とお喋りをしている。
明日香今日子の視線が、ふっと、こちらに流れた。
珪に気付き、嬉しそうに笑う。
同じクラスなんだ!というように、親しげに。
ついと、珪は視線を逸らしてしまった。
出席番号順の自分の席に座ったが、落ち着かない。
何も、避けることはないのに。
反応が気になって、おそるおそる、様子を窺う。
明日香今日子はもう、もとのお喋りに戻り、楽しそうに、コロコロと笑っていた。
珪は、まっすぐ前へ、向き直った。
そうして、この日、教室を出るまで、左斜め前の方向へは、チラとも視線を向けなかった。



「ただいまぁ」
玄関の扉が開く音と、弾んだ姉の声を聞くなり、尽は手にしていたマンガ雑誌を放り出して跳ね起きた。
「おかえり!姉ちゃん」
リビングから飛び出してきた弟の勢いに、今日子は少し驚いたが、すぐに、
「ただいま」
笑って応えた。
「尽の方が早かったんだね。どうだった?転校初日は」
「俺はバッチリに決まってんだろ。それよりさ、姉ちゃんは、どうなんだよ。イイオトコいた?」
「尽・・・」
六つ年下の弟の、生意気な台詞をたしなめようとして、今日子は何か思いついたように、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだね。最高に、いいひとが居た」
パァっと、期待に満ち満ちたカオになる尽に、今日子は笑い出したいのを堪えて、すました顔でいた。
「やったじゃん!どんなヤツ?名前は?カッコイイ?」
矢継ぎ早の質問に、コホンと咳払いをし、もったいぶる。
「もちろん、カッコイイよ?あのね、」
ワクワクしている尽に顔を近づける。
「綾瀬さんに会えた」
「・・・え?」
案の定な反応の弟を放って、リビングへのガラス扉を開ける。
「ただいま。あ!お父さん、聞いて聞いて!すごいの。綾瀬さんね、はば学に来たんだよ。それでね、同じクラスで、席が前と後ろなの!」
わぁい!と、子供のように飛び跳ねんばかりの勢いで父に報告する姉を見て、尽は複雑な思いのため息を洩らした。
綾瀬美咲は、今日子が中学二年の時、タチの悪いナンパに掴まっていたのを助けるという、少女まんがの王道をいく出会いの時から、姉の心をがっちりと掴んでいた。けれど学校も、住んでいる所も離れていた為、たまにメールをやりとりする程度の、浅い交流しか交わされていなかった。
姉は、仲良くなった相手と離れてしまうことを、ひどく怖れる。
小学校から中学までの9年間に通算して、仲良しの子に五回も転校されては、ムリもないと尽は思っていたが、はばたき市への自分の引越しが決まってからは、前向きで能天気と言っていい姉とは思えないほど、人と交流を深めることに臆病になった。
朝、一緒に家を出る時、高校では、たくさんお友達を作るんだと、笑顔で続けた言葉は、
『もう、ずっとここに居るんだものね』。
「講堂で綾瀬さんのこと見つけた時は、ほんとにびっくりしちゃった。これからは学校に行けば、毎日会えるんだよね。どうしよう、すっごく嬉しい」
はしゃいでいる報告を嬉しそうに聞く父も、姉らしくない様子をずっと心配していた。
「よかったな。さ、制服を汚さないように着替えておいで。お昼にしよう」
「うん、わかった」
気分が弾んでいる時特有の、踊るような足どりで姉が二階へと上がるのを、尽はすぐさま追いかけた。
後も見ずに閉めようとする扉に、ガシッと両手を掛ける。
「尽」
振り返った姉が呆れる隙をついて、部屋の中に滑り込んだ。
「尽、お姉ちゃんはこれから着替えるの。階下でお父さんの手伝いしててよ」
扉を大きく開け放ち、出なさいと、身振りで命じる。
「姉ちゃん、他には?他はどんなヤツがいた?」
「どんなって・・・」
素直な今日子は、姉の性格を熟知する弟の目論見どおり考え込み、ああ、と何かを思い出した表情になった。
「有沢志穂さん。クラスは違うけど、すごく大人っぽくて、頭の良さそうな人だった。はば学って、大人っぽい人が多いんだよ。また、先輩と間違えちゃった」
「あのさ、」
焦れったくなって、尽は言った。
「女の子はもういいから。オトコは?いいオトコは見なかったのかよ」
あからさまな言い様に、今日子は心底、呆れたという眼差しを弟に向けた。
「はいはい、沢山居ました。はば学は、カッコイイ人達でいっぱいだよ」
まるで気の入っていない口調で答え、弟の身体を部屋の外に押し出す。
「姉ちゃん、お願い。あと1個だけ」
今日はやけにしつこいと思いながら、1個だけねと断る。
「葉月珪、見なかった?」
尽の口から出た思いもかけない名前に、今日子は黙った。
「緑の瞳で、すっごいハンサムで、背が高いヤツ。目立つから、いくら姉ちゃんがぼんやりでも、わかっただろ?」
「ぼんやりは余計。なんで、尽が葉月君のこと知ってるの?」
「じゃあっ、見たんだ!」
「見たも何も・・・同じクラスだもん」
「マジ?!」
やった!とガッツポーズを作る。
「葉月君て、小等部でも有名なの?」
「甘いぜ、姉ちゃん」
ちっちっち、と人差し指を振る。
「葉月珪は、この街の有名人なんだ。で?どうだった?」
「どうって?」
「ナマ葉月を見た感想に決まってんじゃん。カッコイイとか、彼氏にしたいとかさ」
「尽・・・・・・」
はっきりと、今日子はイヤなカオをした。
「もう、やめてよね、そういうの。お姉ちゃんに彼がいてもいなくても、そんなコトどうだっていいでしょ」
「いくない!」
間髪入れずに言い切る。
「トロくて鈍くさくて、ぼけっとして頼りない姉ちゃんには、ちゃんとしたイイオトコが付いてないと、」
「尽」
厳しい声音に姉の顔を見直すと、その背景には、滅多にない、怒りのオーラが立ち昇っていた。
「トロくて」
ズイと、一歩詰め寄られ、尽は一歩後ろに下がった。
「鈍くさくて、ぼけっとしてる」
更に、二歩詰められて後ずさる。
「頼りないお姉ちゃんの代わりに、しっかり者のあんたが、」
ニコッと笑ったカオが恐かった。
「今日の夕ごはん、作ってね」
バタンと扉を閉められた。
「ちぇっ、なんだよ。人がせっかく心配してやってるのに」
ブツブツと口の中で文句を言いながら、階段を降りて行く。
部屋の中ではやっぱり、今日子が独り言の文句を言っていた。
「もう、ほんっとに、可愛くない!」
姉ちゃん、姉ちゃんと、まとわりついてくるのは小さな頃と同じなのに、その内容が近頃はすっかり、憎まれ口とお節介な干渉になっている。
「なんで弟に、彼が居る居ないの、心配をされなきゃいけない訳?」
制服のスカーフをスルリと引き抜く。
「それに、葉月珪を見た感想なんて言い方、失礼だよ。葉月君は見世物じゃないんだから。そりゃ、すごくカッコイイとは思ったけど」
差し出された手を取ることを忘れ、見惚れてしまった。
陽に透ける新緑のような綺麗な瞳に。
どうした?と促されて、やっと、不躾な自分の様に気付いた。
「でも・・・・・・」
姿見を見ると、うれしそうな顔の自分が映っている。
「葉月君に、綾瀬さん。仲良くなれたら、いいな」



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