「葉月君・・・これ、全部、桜だよね。わぁん、もっと早く来ればよかった」
紅いガクに、数枚残る花びらが、静かに散り落ちる様を見て、悲しそうな声を上げる。
入り口の門を潜って、右手の緩いカーブの坂を上がると、開けた場所に出る。
左右にあるのは、すべて桜の樹。
道幅が広いので、アーチにはなっていないが、眼の届く先まで桜の樹は続いていた。
「満開の時に来れば、きっと綺麗だったよね。もったいないこと、しちゃったぁ」
歩きながら、いかにも残念そうに、左右を見渡す。
「また、来ればいい。来年」
黙っていてはいけないような気がして、ぼそりと言った。
「そっか!」
ぽんと、今日子は手を打った。
「そうだよね。もうどこにも行かないんだもの。ずっとここに居るんだから、来年の楽しみにすればいいんだよね」
がっかりしていたカオから、一変、ニコニコのカオになる。
「今年はね、わたし、あんまり桜、見られなかったんだ。引越しや、前に住んでた家の片付けで忙しくって。自分の部屋が片付いたのなんて、入学式の前の晩だよ」
どうやら、黙っていても、今日子は一人で喋ってくれるらしい。
ムリに会話しなくていいと分かって、珪は少しほっとした。
「学校が始まるまでにちゃんとしておきたくて、遅くまで片付けしてたら、怒られちゃった。でも、そうしておいて正解。土曜日から普通に授業、始まっちゃうんだもの。はば学は勉強厳しいって聞いてたけど、ほんとだね」
「おまえ、」
それは、呼びかけというには小さすぎる呟きだったけれど、
「なぁに?葉月君」
今日子は、まっすぐな瞳で見上げてきた。
「記憶力、いい方か?」
なぜだか、今日子の顔を見れなかった。
「えっと・・・普通かな?」
「そうか・・・」
前を向いたままの珪の横顔を見つめながら、今度は今日子が尋ねた。
「葉月君は、いい方?」
「と、思う」
「いいなぁ。テストの時、便利だよね。暗記モノ、得意?」
「わりと」
「わたしは苦手。単語テストとか。だって、アルファベットがただ、並んでるだけなんだもの」
年号覚える時みたいに語呂合わせが使えないと、どんどん、確かめたかったことから、話が逸れていく。
どうやって話題を変えたらいいのか、困っている珪の歩みは早くなり、付いて行こうとして今日子は小走りになった。
「葉月君、あの建物、何だと思う?」
もう少しゆっくり歩いて欲しいと言い出しかねて、今日子は白い壁の建物を指差し、珪の気を引いた。
急にピタッと足を止めるので、今日子は、つんのめりそうになった。
「ちょっと、見に行ってみようよ」
誘って近付いて行くと、すぐに、二階建ての洋館はカフェテラスだとわかった。
「ランチタイム、16時までなんだ」
入り口のメニューのボードを、今日子が熱心に見ているので、
「腹、減ってるのか?」
聞くと、今日子は見るからに動揺し、それから赤くなって俯いた。
どうしたんだろうと、珪は思った。今日子のことだから、
『うん。おなかすいた』
そんな風に、答えそうな気がしていたのに。
「あの・・・実はまだ、お昼食べてなくて・・・」
消え入りそうな声で、モゴモゴと言う。
「だから、減ってるんだろ?」
恥ずかしそうにしている反応がさっぱり理解出来ず、もう一度確認すると、コクンと頷く。
それを見て、珪は入り口のドアを引いた。
「葉月君?」
「ほら」
ドアを引いたままなのは、自分を先に通す為と気付き、今日子は急いで店の中に入った。
庭やテラスの席は一杯だったが、屋内は空きがあり、食事をすると言うと、奥のテーブルに通された。
メニューに、チラと目を当てただけで、珪は閉じた。
「もう決まったの?」
「ああ。シーフードカレー」
ちょうど、水を運んできた店員が伝票に書き込むのを見て、今日子も慌てて海老グラタンのセットを頼んだ。
コクリと水を飲んでから、今日子はぎこちない笑顔を向けてきた。
「あの、食事まで付き合ってもらっちゃって、ありがとう」
「別に、構わない」
夕飯には早すぎるが、
(帰ったら、すぐ寝るし)
丁度いいと思っていた。
「葉月君は、カレーが好きなんだね」
「・・・・・・」
黙っていたのは、よく分からないからだった。
好きかどうか、意識したこともなかった。
「メニュー見て、すぐ決めてたでしょ」
当たり?と得意気に言う。
「わたしはね、グラタンが好き。初めてのお店に入って、あると、どうしても頼んじゃうんだ」
店員が、スプーンやフォークのセットに来たので、会話は一旦、そこで途切れた。
何気なく浮かした視線の先に鏡があり、そこに映る自分と今日子の姿を見て、珪は胸を衝かれた。
楽しそうな今日子の横顔と、何を考えているのか、感情のカケラさえ、表わせていない自分の顔。
(わかる筈ない)
一瞬のうちに、悟った。
昔のままの今日子に比べ、変わりすぎている自分。
『けいくん、いやはてって、なぁに?』
問いかけに、沢山、お喋りをしたのは自分の方だった。
笑っている顔が見たくて、声が聞きたくて、笑わせようとしているうちに、一緒になって、おなかが痛くなるくらい笑い転げた。
あんなことは、今の自分には出来ない。
「葉月君?」
不思議そうに首を傾げている、こんな仕草まで、今日子は変わらないのに。
「何でもない」
自分は、あの頃とはすっかり違ってしまった。
(わからなくて、いい)
確かめるのを、珪はやめた。
食事の後、ルートに沿って、園内を一周しただけで、二人は帰路に着いた。
気持ちに引き摺られて身体まで重く感じられて、口を開くのも億劫になった珪のかわりに、今日子はよく、沈黙の間をつないでくれた。
それを悪いと思いながら、珪はどうすることも出来なかった。
「今日は、ありがとう、葉月君」
小さな公園のところまで来ると、そこが互いの家への分かれ道だった。
「それから、急に誘っちゃって、ごめんね」
申し訳なさそうに言うのは、きっと、ろくに相槌も打たなくなってしまった自分に、気を遣ってのことだろう。
「いや・・・暇だったから」
口を開いても、今の自分にはこの程度のことしか言えない。
「あのね、葉月君。また今度・・・」
迷うように口ごもってから、
「葉月君が暇な時に誘ってもいい?」
今日子は一息に言った。
「次はちゃんと前もって予定を聞くから、その、暇な時があったら・・・」
珪が何も言わないので、今日子は臆したように俯いた。
「ダメ、かな」
「・・・なんでだ?」
「え?」
顔を上げた今日子の瞳を、珪はじっと見つめた。
「俺と居ても、つまらなかったろ?」
どうして、今の自分を今日子が誘うのか、分からなかった。
「そんなことないよ。わたしは、楽しかった。葉月君は、つまらなかったの?」
逆に問われて、少し考えてから、珪は首を横に振った。
「いや・・・」
つまらなくは、なかった。
「よかったぁ」
ほっとしたように笑うカオが、やっぱり記憶と重なる。
「おまえ、ヘンなヤツだな」
「・・・ヘン?」
きょとんとしたカオで繰り返した。
「ああ、ヘンだ」
きっぱり言い切られて、今日子は、うーんと、左の頬に手を当てた。
「トロいとはよく言われるけど、ヘンかなぁ」
昔だったら、
『ヘンじゃないもん!』
きっと、怒り出したろうに、まじめに考え込んでいる。
(おまえも変わったとこ、あるんだな)
そう思ったら、沈んでいた心が少し、軽くなった。
「暇だったらな」
愛想のない、声だと思った。
また一緒に行ってもいいという気持ちを、伝えているとも思えなかった。
それなのに、
「ありがとう、葉月君」
本当に、うれしそうに微笑う。
(ヘンなヤツだ)
もう一度、心の中で呟いていた。
- Fin -
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