『父さんと一緒に暮らそうな。おまえの誕生日までには迎えに来るよ』
そう言い置いて、父は外国へ立った。
母はそれよりも前に、バイオリンを弾く為、やはり外国へ行っていた。
一人、日本に残された珪が寂しいのを我慢出来たのは、大好きな祖父が居てくれたからだった。
一緒には住んでいなかった祖父の所へ遊びに行きたくて、珪はいつも周りの大人たちに連れて行って欲しいとねだっていたから、預けられて、父のもとへ行くまでの間、毎日一緒に居られるようになったのは、嬉しかった。
夜、ベッドの中で、
“父さんは、いつ迎えに来てくれるんだろう”
“母さんとは、いつ会えるんだろう”
“今度はいつ、バイオリンを聴かせてくれるんだろう”
考え出すと、寂しくて泣きたくなったけれど、朝になれば楽しいことが沢山あった。
祖父ちゃんと、長い散歩をすること。
お話を聞かせてもらうこと。
きれいな絵を描いてもらうこと。
祖父ちゃんが工房でお仕事をしてる間も、従姉の家の子犬と駆けっこをしたり、絵本を読んだり、することは沢山あった。
けれど、ある日。
一人で絵を描いていた珪は、さびしい≠ノ捕まりそうになった。
父さんは、このまま迎えには、来てくれないかも知れない。
母さんは、おれのことを忘れてしまったかも知れない。
祖父ちゃんは大好きだけど、ここに居るのは楽しいけれど、でも―――。
描きかけの絵を放り出して、珪は家を飛び出した。
探検をしよう。
ワクワクするような、何かを見つけるんだ。
さびしい≠ノなんか、ゼッタイに捕まらないように。
思いつきで飛び出した珪は、その道が、いつか祖父が連れて行ってくれた神社に続いていることに気付いた。
そこには、きれいな緑の葉っぱの木漏れ日がキラキラする、大銀杏の樹がある。
『おまえの瞳の色と一緒だよ』
祖父ちゃんが、そう、教えてくれた。
目指すものを見つけて、珪は俄かに元気が出てきた。
秋の匂いを感じさせる9月の午後。
子供の足には、けっこうな距離を、珪は苦も無く、ずんずん歩き、迷うことなく、辿り着いた。
ところが、先客がいた。
同じ年頃の子供たちが、男の子、女の子とりまぜて、6〜7人、大銀杏の樹の下で遊んでいる。
軽快だった珪の足が止まった。
同年代の子供と遊んだ経験が、珪には少ない。
近付くのを躊躇っていると、一番近い位置にいた女の子が、珪に気付いた。
目が合うと、ニコッと笑いかけてくる。
「こんにちは!」
「・・・こんにちは」
物怖じせず、そばへ来る。
「わたし、あすかきょうこ。あなたは?」
大人のような口ぶりと、あどけない表情がアンバランスだった。
「・・・けい。はづき けい」
ドキマギしながら、珪は答えた。
「ふぅん。けいくんて、いうんだ」
人なつこい笑顔のまま、珪の手を掴む。
「ね、いっしょにあそぼ!いいよね?」
同意を求めたのは、他の子供たちに対してだった。
けれど、賛成の声は上がらなかった。
幾人かは、明らかに警戒の色を見せている。
金に近い、明るい色の跳ねた髪と、緑の瞳。
今日子が手を引いてきたその子供は、今まで近くで見たことのない、異質な存在だった。
「おれ、ヤダね」
なりは大きいが、ひょろりとした男の子が最初に言った。
「そんなヤツ、見たことねーもん」
だよな、とつり目の男の子も調子を合わせる。
「おまえ、どっから来たんだよ」
大人からは持て囃される容姿が、子供同士、打ち解け合うには障害になる。
いつものことで、珪は慣れていた。
「おまえ、なんで、そんな色の頭なんだ?」
これも、いつものパターン。
「コイツの目、ヘンな色してるぞ」
なめられたら、負け。
さぁて、一発ぶんなぐるか。
先制をかますべく、珪は一歩を踏み出す。
ひょろりとした男の子が、囃すように言った。
「きもちわりぃーっ」
その瞬間だった。
珪よりも早く前に出た今日子が、その子を力いっぱい突き飛ばした。
不意を突かれたその子は踏みとどまれず、吹っ飛ばされた格好で、尻餅をついた。
お尻をしたたかに地面に打ちつけ、よほど痛かったのだろう、びっくりしたのも合わさって半泣きのカオになった。
「あんたの目はふしあなっ!?」
今日子の大きな声が、境内に響く。
「けいくんの目は、とってもきれいなのにっ!」
今日子の迫力に、珪は呆気にとられた。
「いこ!けいくん!」
珪の手を掴むなり、後も見ずに駆け出す。
強い力で引っ張られるまま、珪もその場を後にした。
「あのさっ」
息つく間もなく走らされながら、珪は今日子に呼びかけた。
「どこ行くんだよ!」
「わかんないっ」
ハァハァと息を切らしながら、今日子が答える。
「じゃあ、なんで走ってんだよ!」
今日子の手を振り払って、珪は走るのを止めた。
「だって、」
振り向いた今日子の前髪が、汗でぴったりと、おでこに貼りついている。
息を弾ませながら言った。
「いっぱつ、やりかえしたら、すぐにげろって、お父さんが言ったから」
珪は呆れて、今日子を見た。
「けんか売られたの、おれだろ?」
「だって・・・」
急にシュンとして、下を向く。
「いっしょに遊ぼうって言ったの、わたしだから・・・それに、」
キッとして上げた顔をまっ赤にする。
「わたし、ああいうこと言うの、キライっ!」
珍しいものを見るような表情になったのは、今度は珪の方だった。
珪に、兄弟はいない。
両親は不在がちで、面倒を見てくれるのも大人ばかり。一番近しい従姉も、一回り歳が離れている。
一緒に遊べるような同年代の友達の存在にも、珪は恵まれていなかった。
だから、本当に珍しかった。
こんな風に、感情を剥き出しに、笑ったり、怒ったりする今日子のことが。
「ふしあなって、なんだ?」
気になっていた言葉のイミを聞いてみる。
「よく、わかんない」
ふるふると、今日子は首を横に振った。
「でも、こないだ、そう言ってお父さんが怒ってた」
「・・・・・・」
なんだか、すごく疲れて、珪はその場に座り込んだ。
「けいくん?」
心配そうに、今日子が顔をのぞき込んでくる。
とても近い位置で、二人の子の目が合わされた。
「けいくんの目、すごくきれい・・・」
賛嘆、という言葉を、珪はまだ知らなかったが、今日子が素直な気持ちで言っているのは分かった。
「お母さんが持ってる、ゆびわの宝石よりきれい」
急に、珪は恥ずかしくなった。
「おまえ、きれいなものが好きなのか?」
すっくと立って、ズボンについた土を払う。
「うん、だいすき!」
「ふーん」
そっぽを向いた珪の顔は、ちょっと赤かった。
「じゃあ、いいもの、見せてやる」
「いいもの?」
「ついてこいよ」
珪が連れて行ったのは、教会だった。
「けいくん、ここ、入っていいの?」
最初の元気はどこへいったのか、不安げにあたりを見回す。
大きなレンガ造りの建物の横を通り過ぎて先へ行くと、そこにはまるで、物語の中にあるような、木立に囲まれた教会があった。
「よかった。かぎ、かかってない」
ギイっと、重い木の扉を開ける。
「こいよ」
手招きされるまま、今日子は珪の後に続いた。
中は、ひんやりとしていた。
上を見ると、天井が恐ろしく高い。
歩くと、床に敷かれた絨毯に足音が吸い込まれていく。
感じたことのない雰囲気に威圧されて、今日子は少しこわくなった。
「ほら、あの窓」
指差す方へ、目を向けた。
「ステンドグラス、っていうんだ」
言葉もなかった。
こんなにきれいなものを、今日子は見たことがなかった。
鮮やかな色のガラスで、絵が描かれていた。
射しこむ光が、その絵を透明な色で床に映し出している。
黙りこくっている今日子の手を引いて、珪は奥へ進んだ。
「ここからだと、もっとよく見えるから」
一番前の椅子に、靴を脱いで上がる。
ステンドグラスに目を奪われたまま、今日子もそれに倣った。
「きれいだろ?」
こっくりと、今日子は頷いた。
十字架を挟んで、左右に王子と姫の絵があった。
二人は隔てられ、離れたところにいるようだった。
上の方に、馬に乗ってどこかへ行こうとしている王子と、祈りを捧げるような姫の姿がある。
「お話があるんだ、あの絵」
「お話?」
「ああ。俺、お話、聞かせてやろうか?」
「ほんと?」
目をまるくして珪を見る。
「あした、絵本持ってきてやる。約束、な?」
「うん!約束だよ」
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