入学式の日、葉月珪が教会の前に来たのは、逃げ出してきたからだった。
人が大勢、集まるところがキライだった。
無遠慮な視線。ひそひそと交わされる囁きや、忍び笑い。
いい加減、慣れて、諦めもしていたが、勝手に近付いてきた挙句、がっかりしたように、あるいはムッとして去って行かれるのは、うっとおしくて、ならなかった。
その原因が自分の無愛想な態度にあると考えもしない珪は、今度こそモデルなんか辞めてやると、何度目かの決意を固めていた。
従姉に頼み込まれた穴埋めのバイトが、そもそもの始まり。
辞めようとするたび、周囲に押し止められ、毎週、撮影所に通う現在に至っている。
事務所と契約を交わしたのは自分の意志だった筈なのに、後悔はもう、百万回くらいしていた。
爆発的に増えた視線のうっとおしさと、押し付けられるイメージの息苦しさに、苛立ちだけが募る毎日。
(もう沢山だ)
無表情な顔の下で、絶対に辞めてやると、固く心に誓っていた。
だから、気付かなかった。
教会の影から走り出てきた女の子に。
「わっ!」
よける間など、なかった。
勢いのまま、ぶつかり合って、珪はよろけただけだが、女の子の方は体格差をまともに被って弾き飛ばされた。
「痛ぁ・・・」
仰向けに倒れた身体を起こしはしたが、どこか痛めたのか、そのまま立てないでいる。
仕方なく、珪は手を差し伸べた。
「ほら、」
そのコは、びっくりしたように、伸ばされた手から目線を上げた。
たぶん、何にぶつかったのかも、分かっていなかったのだろう。
こちらを見上げて、ぽけっとしている。
差し出した手が宙に浮いたままの状態に、珪は焦れた。
「どうした?手、貸せよ」
重ねて言うと、
「は、はい」
ようやく、手をつかんで跳ね起きた。
「あの・・・すみません!先輩。わたし、慌ててたから」
ぴょこんと、バネ人形のように頭を下げる。
ほんとに焦っているらしく、制服のスカートの裾が少しまくれているのにも気付いていない。
ちょっと可笑しくなって、珪は言った。
「俺も一年」
と、そのコは、ぱっと顔を上げて、ほっとした表情を浮かべた。
「そうなんだ!」
そうして、ニコッと笑った。
「よろしくね!わたし、明日香今日子」
“わたし、あすかきょうこ”
耳の奥で、忘れていた筈の声が響く。
記憶のページが風に吹かれたようにパラパラと繰られ、ちっちゃな女の子の笑顔が、目の前の明日香今日子のそれに重なった。
表面上は、何の反応も示さない珪に、明日香今日子は戸惑った様子を見せた。
「・・・急いでたんだろ?入学式」
ぼそりと呟かれた言葉で、
「あっ、そうだ!」
慌てて式場の講堂の方を見る。
そのまま走り出そうとして、この場を動く気配のない珪を、不思議そうに見返った。
「あれ?でも・・・」
「俺は、」
今、この場所を、珪は動きたくなかった。
「ここで、入学式」
「・・・・・・?」
意味不明な珪の答えに、首を傾げる。
素直そうな髪が、サラッと頬にかかった。
「早く行った方がいい」
「あ、うん」
頷きはしたが、まだ立ち去りがたい様子でいる。
「それじゃあ、えっと・・・」
名前を聞きたいのだと、珪は悟った。
「葉月 珪」
ニコッと、また嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
「ありがとう!葉月君」
そして今度こそ、大急ぎで駆け出して行った。
“けいくん”
懐かしい声。
知っていた笑顔。
「あすか・・・・・・苗字だったのか」
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