早く、逢いたかった。
やさしい声を、聞きたかった。
大好きな笑顔に触れて、確かな存在を感じたかった。
朝、6時になるのを待って、珪は電話を掛けた。
これまでのクセで、早朝から会える理由を探し、森林公園のカフェテラスが7時から開くのを思い出したからだ。
焼きたてのクロワッサンが人気のモーニングセット。
一年の頃、今日子に誘われたことがあった。
けれど、早起きしてまで、わざわざ外へ朝食を食べに行くことのイミが分からず、その場で断った。
そんな勿体無い真似、今じゃ考えられない。
昔の自分に頭の中で蹴りを入れてから、携帯を耳に当てると、すぐに、
『珪』
聞きたかった自分の名を呼ぶ声が零れた。
こんなに早い時間なのに、急すぎるムリな誘いなのに、受けてくれたのがうれしくて、すぐに家を出た。
起きたばかりの今日子の仕度が、着くまでに間に合う筈もないことは分かっていたけれど、早く、近くに行きたかった。
待つのは、いつも楽しかった。
早足で、駆け足で、自分のもとへ来る今日子を見るのが好きだった。
玄関の扉が開き、
「ごめんね、待たせちゃって」
やっと現してくれた愛しいその姿を、この瞳に映す。
待ち焦がれた想いのまま、その存在に手を伸ばす。
触れた頬から伝わるぬくもりが、これが現であることを教えてくれる。
「・・・きれいだな。おまえ」
いつも心で想うことが、自然と言葉になった。
顔を赤くする今日子が可愛くて、
「おまえ、まっ赤だぞ」
からかうように言うと、
「わかってます!」
ムキになる。
照れているように、困っているように、恥ずかしがっているように。
こんな風に、くるくると表情を変える様を、これからもずっと見ていられるのだと思うと、うれしくてたまらない。
一瞬も目を離すことが出来なくて、カフェテラスで一緒にとった朝食は、何がどこへ入ったかもわからない。
美味しいねと笑う顔、カップを傾ける時、少し伏せられる睫毛、言葉を紡ぐ濃いピンクの唇、ひとつひとつの仕草を見つめて、追ってばかりいたから。
食後のコーヒーを貰う頃、ようやく射してきた陽の光が今日子を照らし、細い指にクローバーのリングがキラリと光る。
果たすことの出来た約束は、一瞬の時を、永遠へと繋げてくれた。
今まで口に出来なかった子供の頃の、初めて会った時のことを話せたのも、その喜びが珪の中にあったから。
今日子はやっぱり、何も覚えてはいなかった。
それなのに、この緑の瞳をからかった子供達に憤る反応は昔とまったく同じで、それが可笑しくて、愛しくて、ならなかった。並木道へ散歩に誘うと、今日子は嬉しそうに頷いてくれたけれど、その一方で自分では思い出せていない様々な記憶のコトが、気になって仕方がないようだった。
不安そうに見上げてくる様が可愛くて、想いのまま抱き寄せようとしたら、思いっきり、飛びのかれた。
以前なら、確実に蒼白になって、石化したに違いないこの反応にも、今は求める気持ちをより強く煽られるだけ。
先を行く今日子に追いつき、今度はしっかりと、腕の中に閉じ込める。
まだ逃れようとする今日子の髪に指を潜らせ、自分の方を向かせようとしたのも、ただ、顔が見たかったから。
けれど。
「・・・お願い・・・離して」
消え入りそうな声で、
「離して・・・珪」
顔を背けたまま、力の抜けた腕から身を翻し、今日子が離れる。
強張る背中が、近づくことを拒んでいる。
珪は、動けなかった。
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