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      元旦の朝、尽は軽く、除け者の気分を味わっていた。 
      揃って着物でお正月を迎えようと、着物を買ってくれようとする母に、今の自分が着ても七五三だと、頑として拒否した。 
      だから、朝から着付けに浮かれる母、つられてテンションの高い父、憧れの振袖を着ること、そしておそらくは、その姿を葉月珪に見せることで頭が一杯の姉。 
      この3人のノリに、一人取り残されるのは、云わば自業自得なのだ。 
      汚すようなことがあってはいけないと、姉の着付けは食事の後に回された。 
      特別に整えられた元旦の朝の食卓で、姉は完全に上の空でいた。 
      こういう姉の姿を見るたびに、尽は説明し難い気分にとらわれる。 
      葉月珪を選んだのも、引き合わせるきっかけを作ったのも自分だった。 
      けれど、心ここにあらずの姉を見るたび、そのうち、まるまる全部、姉を奪われて、自分たち家族の分は少しも残らないんじゃないかという気にさせられる。 
      とろくてぼんやりな姉を、クールで大人な葉月珪に守って貰おうという目論見は、外れているんじゃないかという気がしてならない。 
      母と父の二人掛りで着付けた姉の振袖姿は、とろくさくも、ぼんやりにも見えなかった。 
      シンデレラの舞踏会のドレス姿と同じか、姉らしいという点では、もっと綺麗に見えた。 
      「姉ちゃん、すっげぇ美人に見えるぜ」 
      冷やかしに、 
      「ほんと?」 
      まじめな表情で訊いてくる、とぼけたところは相変わらずだったけれど。 
      時間ぴったりに訪れた葉月珪が、オフホワイトのセーター姿なのを見て、尽は勝ったと思った。 
      いくら物が良さそうでも、セール品なんかじゃない、たぶん一点物とおぼしきシロモノでも、セーターはセーター。 
      振袖姿の姉を連れて歩くには、不似合いだった。 
      両親と新年の挨拶を交わした葉月珪が、リビングから楚々と現れた姉の姿を認めた時、その瞳に現れた何かを感じて、ちょっと可哀想かな、とは思ったけれど。 
      「・・・着物、着たんだな」 
      「うん。お正月だし・・・どう、かな」 
      ひらっ、と袖を広げて見せた姉に、 
      「いいな。今日は得した」 
      クールでも、大人でもない台詞しか出てこない葉月珪に、ダメじゃん、とも思ったのに。 
      宝物のように、大切そうに姉を傍らにした葉月珪は、セーターだろうが何だろうが、やっぱり、とびきりのイイオトコだった。 
      「ちぇっ」 
      この説明しがたい、認めたくない敗北感を打ち払うには、葉月珪よりイイオトコになるしか道はない。 
      (新年の抱負にぴったりだぜ) 
      打倒!葉月珪を、尽は心に誓ったのだった。 
   
        
   
 「今年もすごい人だね」 
      「そうだな」 
      今日子は混乱していた。 
      「拝殿に辿り着くまで、どれくらいかかるんだろ」 
      「さぁ・・・今日中には辿り着けるんじゃないか」 
      「・・・そうだね」 
      (なんで?どうして?) 
      チラッと横目で窺うと、珪はまるっきりの無表情で遠くを見ている。 
      二人で歩き始めてから、感じていた違和感。 
      (珪、全然、わたしのこと見てくれない) 
      見上げても、あのやさしい瞳が返らない。 
      秀麗という形容が大げさでなく嵌る顔立ちの珪が、その面から感情を消してしまった横貌は、冷たいと言っていい。 
      深い緑の瞳は遠くを見ていて、話しかければ答えてはくれるけど、どこか素っ気ない。 
      クリスマスに贈ったマフラーを、珪がして来てくれたことに浮き立った気持ちは、もう沈んでしまっていた。 
      近所の神社に行くだけなのに、 
      (振袖なんて着たから、大げさだと思ってるのかな) 
      ドキドキしながら珪の前に出た時、期待と不安で苦しいくらいだった。 
      いいな、と言ってくれた珪は、喜んでくれたように見えたのに、 
      (違ったのかな) 
      振袖なんて着なきゃよかったと、俯いて足元を見る。 
      後ろ向きな思考は、珪の態度のせいばかりではない。 
      (足、痛い・・・なんでこんなに痛いの) 
      おろしたての草履の鼻緒が、足の柔らかい皮膚に喰い込んでいる。 
      着物を着るのは久しぶりのゆりは、新しい草履は柔らかく慣らしておかないと、痛くて履いていられたものではないことをすっかり忘れていた。 
      その為、今ではもう、足はジンジンと痛みを発し、着物だからというのではなく摺り足でしか、前に足を出せなくなっていた。それに、 
      (息が、半分しか、吸えない) 
      細身でどうにもならないと、タオルを3枚巻いて補強し、着崩れしないようにと、ぴっちり紐で締め上げられていた。 
      見栄え優先だと、父がキリキリ結んでくれた帯は確かに綺麗だったけれど、帯揚げと共に胸を圧迫して呼吸を妨げている。この苦しさは、コルセットの比ではない。 
      (着物って、こんなに苦しいものなの?) 
      見た目の美しさと、苦しさは比例するものなのか。 
      足は痛いし、着物はがんじがらめで苦しいし、珪は素っ気ないし、 
      (もう、泣きたい) 
      お参りもしないうちに、今日子は帰りたくなっていた。 
      「・・・・・・」 
      「え?」 
      足の痛みに気を取られていて、珪の言葉を聞きもらした。 
      「手、つなごう」 
      そうする時の癖で、珪は返事も待たずに右手を取った。 
      「俺の傍、離れるなよ」 
      その瞳は、やっぱり遠くを見ていたけれど、 
      「・・・うん!」 
      その横貌からは何の感情も読み取れなかったけれど、つないだ手は暖かくて、しっかりと、強い力で握ってくれたから、今度はうれしくて泣きたくなった。 
      「こんなに沢山の人がお参りに来て、神様も大変だね」 
      「稼ぎ時だからな」 
      「珪・・・罰当たりにも程があるよ」 
      話しかけば、答えてくれる。 
      (それで、充分だよね) 
      ふふっと、微笑みが浮かんでくる。 
      足はジンジンするし、何だか背中も痛くなってきたけれど、つないだ手が珪の傍に居るという安心感を与えてくれて、このままずっと、混雑の中に居てもいいかな、という気持ちになる。 
      冬の陽射しは弱く、頼りなく、風がないから耐えられるが、しんしんと寒さが凍みてくる。 
      長い袖の隙間から、冷気が忍び込んできて寒い。 
      着物が隠れてしまうのがイヤで、ショールを巻いてこなかった。 
      こんなに何枚も着て、がんじがらめにされているのに、寒い。 
      着物は綺麗だけれど、洋服の方が百倍ラクだし暖かいと、憧れと現実の落差を思い知らされていた。 
      ようやく辿り着いた拝殿の前で、お賽銭を投げ、手を合わせる。 
      どうか、神様 
      (珪と同じ大学に行かせて下さい。後は自分で頑張ります) 
      一心に祈った。 
      お参りを済ませてしまうと、人は四方へ散って行くので、渋滞のような混雑からは解放される。 
      恒例のおみくじを引いて、小吉という微妙な結果で、付き合いで引いた珪はやっぱり大吉で、ずるいと言うと、たかがクジだろと素っ気ないのも毎年のことで、初詣は終わろうとしていた。 
      これでお終いなんて、つまんないな、と思う反面、 
      (もう限界) 
      早く帰って、この苦しさから解放されたいとも思っていた。 
      「なぁ、この後、何か予定あるか?」 
      そんなコトを訊いてくるくせに、前を向いたままでいる。 
      あの冷たい貌に両手を当てて、こっちを向かせてみようかと、出来もしないことを思う。 
      「何んにもないよ」 
      (誘ってくれるなら、こっちを見てよ) 
      心の中で訴える。 
      「その、洋子姉さんに、初詣の後、おまえを連れて来い、って言われてるんだ」 
      「洋子さんに?」 
      「行けるか分からないって、言ってあるけど、もし、おまえが来てくれれば、喜ぶと思うから、だから、良かったら一緒に」 
      「行く。一緒に行かせて、珪」 
      横貌を見つめながら言うと、 
      「・・・じゃあ、姉さんに連絡する」 
      呟くように答えた。 
      連絡をしなければいけないのは今日子も同じで、少し離れて、銀のビーズのバッグから携帯を取り出した。 
      誘われて珪の従姉の洋子さんの家に行くと告げると、電話に出た母は 
      『それは、構わないけど・・・』 
      考えるように沈黙した。 
      「ご迷惑にならないうちに帰るから」 
      『当たり前でしょ、そんなこと。ただね、あまり食べないように気を付けなさいよ』 
      「お母さん、子供じゃないんだから」 
      よく、子供っぽいと言われるが、正月早々、人様の家で頬張るほど幼くはない。 
      『そうじゃなくて、お茶ぐらいなら大丈夫だろうけど、食事すること考えて着付けてないから、あんまり沢山食べると気持ち悪くなるわよ』 
      「そんなみっともない真似しません」 
      この苦しさに耐えて、大人ぶってる甲斐のない真似などする訳がない。 
      電話を切って、珪の処へ戻ると、じっと何かを見ている。 
      その視線の先を追うと、大銀杏の樹に辿り着いた。 
      葉をすっかり落として、裸の枝をさらしている樹を見つめている。 
      「珪・・・」 
      心がここにない気がして、不安になって腕を引いた。 
      「・・・おまえ、憶えてるか?初めて会った頃のこと」 
      何の脈絡もなく、問いかけられた。 
      「う、ん。憶えてるよ」 
      どうしてそんなコトを聞くのか、わからないまま続けた。 
      「入学式の日、教会の前で珪にぶつかって、わたし、転んじゃったんだよね」 
      『大丈夫か?』 
      手を差し出してくれた人の瞳が、あんまりきれいな緑だったので、つい、見とれてしまった。 
      「手を引っ張って起こしてくれて、それから入学式に遅れそうになって、早く行った方がいいって、教えてくれたよね」 
      見上げるほど背の高い、大人びたその人を、てっきり上級生だと思ったのに、同じ一年生だった。 
      「・・・・・・」 
      「珪?」 
      「そう、だな。そうだったかもな」 
      「あ、もしかして、忘れてたでしょ」 
      自分が訊いたくせに、この、気のない反応は何なのよと、更に追及しようとしたのに、 
      「行こう」 
      勝手に話を打ち切られてしまう。 
      その瞳は、大銀杏の樹から離さないままで。 
      珪の考えていることがわからないのは、いつものことだけど、今日は本当に、見当も付けられない。 
      一緒にいるのは楽しいけれど、寂しくもなるんだと、切ない発見を今日子はしていた。 
      「手、いや、こっちの方がいいか。つかまれ」 
      なぜか左腕を曲げて、掴まるよう示唆する。 
      「森山さんが車で近くまで迎えに来てくれるから、もう少し、頑張れるな?」 
      何のことを言ってるのかわからなくて黙っていたら、やっと、こっちを見て珪は言った。 
      「足、痛いんだろ?」 
      さっ、と顔が赤くなったのがわかった。 
      「・・・なんで?」 
      ずっと、そっぽを向いていたくせに、どうして気付かれたのか。 
      「おまえ、足、引き摺ってる」 
      珪の視線を避けて、俯いた。 
      穴を掘って、埋まりたい。 
      今は、見てくれなくていい。 
      せっかく、せっかく、きれいにしたのに。 
      痛いのを我慢してたのに。 
      「・・・子供っぽいって、思った?」 
      大人びて見られたからといって、何がどうなる訳でもないけれど、ちょっとでも、よく思って欲しかった。 
      「・・・莫迦。そういうことと、違うだろ?」 
      ほら、掴まれ、と腕を差し出してくれる。 
      黙って、珪の腕に掴まった。 
      この優しさは、自分が望んでいる感情に少しでも近いのか。それとも。 
      それを確かめる時のことを思って、今日子は本当に恐くなった。 
 
 
 
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