「やっぱりダメ。珪にちゃんと話して謝ろう」
朝からずっと迷い続けていたが、ついに今日子は決心した。
『はばたき山に行こう。紅葉がきれいに染まってるから』
行き先も決めて、楽しみにもしていたけれど、疲労が限界に近づいていた。
文化祭の後片付けや、“シンデレラ”の舞台でお世話になった人たちへのお礼、手芸部の打ち上げ、後輩への引継ぎ。
一週間は飛ぶように過ぎた。
夜は出来るだけ早く寝ようとしたが、アリスを始め、妙に掛かってくる電話が多く、舞台の話などしているうちに夜更かしになる。
毎朝、起きるのがつらかったが、今朝は身体が重くて、ベッドから起き上がれなかった。
学校への坂道が、今朝ほどつらく感じたことはなく、こんな状態での山登りなんて無理だと思った。
行き先を変えてもらえたらと思い、そのうち、一週延ばして欲しいという気になりだした。
1日でいいから、休みたかった。
でも、どんなに珪はがっかりするだろうと思うと、休み時間になっても言い出せず、授業の間も迷い続けた。
それでも、延ばしてもらう方を選択したのだから、この時点で疲労は限界を超えていたのである。
「珪、明日のことなんだけどね」
終礼の後、廊下に珪を連れ出した。
舞台の稽古の為、スケジュールを調整したので、この後、仕事だった。
「ああ、待ち合わせだろ?おまえの家まで迎えに行くから」
バス停ではなく、家まで来るという。
「山に行く時、おまえ、いつも重いバッグ背負ってくるだろ?俺、持ってやるから」
お店に入るより、敷物広げてお弁当にしようよと誘うのは、確かにいつも自分なのだが。
「なぁ、リクエストしてもいいか?」
どっちだっていい、という態度の珪が珍しい。
「久しぶりに、おまえが作ったサンドイッチが食べたい。いろんな具が沢山のやつ」
「・・・うん、わかった。何がいい?」
「ローストチキン。あと、ポテトサラダ」
「了解。時間は9時半くらい?」
「混む前の方がいいだろ。8時半でどうだ?」
「じゃあ、それまでに仕度しとくね」
撮影所に向かう珪に手を振って見送りながら、今日子は溜め息を押し殺した。
一週延ばしてもらうどころか、8時半の迎えに間に合わせる為には、一体、何時に起きればいいのか。
しかも、リクエストはサンドイッチ。
前の日に作り置きはきかず、いろんな具、と楽しみにされては、常の5種類を下回っては期待に反する。
「スーパーに寄ってかなくちゃ」
買い物リストを頭の中で作りながら、鞄を取りに教室へ戻った。
「あれだけやって、どーして何も変わらないの」
じめじめと愚痴るアリスの相手をしているのは、綾瀬一人だった。
明日香今日子と葉月珪をくっつけようという二人の目論見は、今のところ、失敗のようだった。
どれだけ探りを入れても、進展も、変化も、認められなかった。
「成果はあったじゃない」
11月の半ばになっては、さすがにアイスティーでもなく、二人の前にはホットのミルクティーがある。
綾瀬に紅茶を淹れて欲しいがために、アリスはポットから茶葉、ミルクの種類に至るまで、すべて言うままに自宅に揃えていた。
「志穂がまとまって、どうすんのよ。・・・別に、悪かないけど」
文化祭の後、カップルが一つ誕生した。
舞台の翌日、志穂さん、桜弥くん、と呼び合う二人に、クラスメイトは驚愕した。
照れまくって、挙動不審なまでに落ち着きのない有沢に比べ、いつもと変わりなく平静なままの守村が妙に男らしく見え、
『ええと、メガネくん?』
『はい。なんでしょう』
『・・・ま、ええわ』
姫条は茶化すことも出来なかった。
「美咲は、志穂の好きな人が誰か、知ってたんだ」
「見てればわかるって」
一流の医学部に合格するまでは。
有沢の頑なな決意を脆くさせるような、何があったのか。
『お願いだから、今は聞かないで』
茹でダコ状態の有沢が気の毒で、綾瀬も今日子も、まだ何も知らない。
「志穂は守村君の家でお勉強。今日子は一人で帰って、葉月珪は仕事。この違いは何なの?舞台のアレは、なんだったのよぉ」
台本にはない葉月珪の台詞と行動。
今日子の零した涙。
期待は、MAXに高まっていたのだ。
「珪君は“間違えた”の一点張りで、今日子も“ごめん”としか言わないし」
ガックリきているのは、綾瀬も同じだった。
いける、という確信があった。
「ワルツの練習の時だって、まるっきり二人の世界で、バカらしくて見てられなかったんだから」
休日にも練習したいという今日子の頼みで、宮野がレッスン場を借り、アリスがビデオを回して、工藤の厳しいチェックを重ねた。
一生懸命になり過ぎて動きが固くなり、ミスが増えて焦る今日子に、ビデオを止め、
『シンデレラは、見せる為に踊ってるんじゃないだろ?』
ワルツを楽しもうと、葉月珪が今日子を引き寄せるのを見て、
『完全にお邪魔虫だな。俺たち』
工藤は宮野に囁いたというのに。
「何がそんなに珪君の中で障害になってるのか、さっぱり分からない」
綾瀬の嘆息に、
「もしかして、」
アリスが真剣な表情で切り出した。
「本当に、王子だとか?」
「・・・・・・」
「忘れて」
テーブルに手をついて立ち上がった勢いで、ティーカップがソーサーの上で踊った。
「今すぐ忘れて!無かったことにして!一生思い出さないでっ !! 」
「わかった、わかった。ほら、お茶のお代わりは?」
自分の失言に半狂乱になるアリスをなだめ、綾瀬はポットを取り上げた。
「バッカじゃね?」
弟の暴言に、今日子は怒らなかった。
「ずーっと休みなしで、今朝なんか、俺が何べん声掛けても起きれなくて、今だってめちゃくちゃ疲れた顔してんのに、はばたき山?紅葉狩り?姉ちゃん、ぶっ倒れたいのか?」
「大げさ」
「大げさなもんか。すぐ葉月に電話して断れよ。明日一日、起きてくんなっ」
夕食の支度の間中、尽に怒られ通しだったが、反論出来なかった。
尽の言うことは正しくて、それでも明日、珪に会いたい自分は馬鹿なんだろうと思う。
「今日は早く寝るから」
そんな姉の言い訳を、尽は一蹴した。
「明日いつもより早く起きてりゃ、同じだろっ」
これだけ言えばいつもの姉なら、
『生意気言ってんじゃないの!もう、ほっといて!』
怒る筈だった。
心配が杞憂ではないことを裏付ける姉の態度に、ますます尽はカッカときたが、同時に、ここまで言っても行くのをやめると言わない以上、絶対に明日、姉は行くのだ。
素直で優しいと言われる一方で、言い出したらきかない頑固な一面も、姉は持ち合わせていた。
「明日、何時に起きるんだよ」
「6時かな」
「わーかった。俺が7時に起こしてやる。二人で作れば、半分の時間で出来るだろ。姉ちゃん一人が作ったんじゃなきゃヤダなんて、葉月に言わせるなよ」
「・・・じゃあ、内緒にしとく」
そんな言い方で、今日子は弟の申し出を受けた。
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