親睦会後、練習は順調に進んだ。
熱心に取り組み出した葉月珪の王子は、それなりにサマに成り、ぎこちなかった今日子の演技も徐々に柔らかみが出て、王子と姫の場面は絵に成り始めた。
特に、葉月が傍目にも機嫌良く取り組んだのは、舞踏会の為の、ワルツのレッスンだった。
綾瀬が募った7組のカップルと共に、ダンスサークルの宮野と工藤の指導のもと、レッスンに励む。
あっという間に、軽やかなステップを踏めるようになった珪に対し、ここでも今日子は苦労していた。
羽根のように軽く舞うようにと、綾瀬に厳命されていたからである。
姫のワルツは物語の上で重要な意味を成すと今日子も分かっていたので、自分の出番以外の時は、隅の方で一人、練習を重ね、葉月も積極的に相手をした。
セットの方も、楠本が友達に声を掛けまくって準備が進められ、本番まで、あと10日を残すところとなった。
11月3日は祭日だったが、衣装合わせの為、午前中から舞踏会の参加者も含め、全員が集まっていた。
講堂に運び込まれた衣装は、文化祭の発表には上等すぎるものだった。
舞踏会の参加者、特に女子がはしゃぐのをよそに、姫条が綾瀬に耳打ちした。
「なぁ、一体どういう魔法使ったんや?」
「魔法使いは、わたしよ」
トントン、と背中を突つつかれ、振り返ると、
「アリスちゃん」
「ちゃん付けは子供みたいだから、やめてって言ったでしょ」
「来たな」
葉月珪とアリスの視線が、バチッとぶつかった。
「そろそろ、来る頃だろうと思った」
「文句あるの?」
「いや。今日子の衣装次第だな」
「ほんっとに、腹の立つ男ね」
「アリス」
これ以上、険悪な空気になる前にと、今日子が二人の間に割って入った。
「この衣装、どうしたの?」
「知り合いから借りてきたの。今日子のはね、これ」
取り出したのは、灰色の簡素なドレス。
「舞踏会用のは、どうした?」
「当日までシークレットよ」
衣装を点検していた有沢が答えた。
「ちょっと待って。本番でいきなりドレス着てワルツなんて、危ないよ」
裾さばきは勿論、困るのは今日子だけではない。
「スカートの型が同じのを、練習用に用意してあるじゃない。大丈夫よ」
「なぁ、なんで、そこまでせなあかんの?」
姫条が有沢に訊く。
「王子が初めて姫を目にするシーンだけど」
「あれな」
「何回やっても、葉月君が驚いてるように見えないの。だから、本当に驚いてもらうことにしたわ」
有沢に言い切られ、葉月が口を開いた。
「俺、そんなに下手か?」
「あそこが一番ね」
容赦ない有沢の一言に、アリスまでもが沈黙してしまう。
「えっと、そうだ!珪の衣装見せて、アリス。ほら、身体に合わないところは補正しなきゃいけないし。ね、珪も来て」
心なしか、肩を落とした様子の葉月が、それでも今日子の言葉には従い、衣装合わせに向かう。
「えらく、はっきりモノ言うようになったなぁ、有沢」
以前は、ろくに言葉を交わしたこともなかったが、
「そりゃ、あれだけ苦労すればね」
自分の書いた王子像を実現するため、最初は遠慮がちだった有沢も、ビシビシ、葉月の演技に注文を付けるようになっていた。
「それなりに見られるようになったけど、脚本のイメージからは遠いから、志穂としては納得いかないんでしょ」
王子こそ、あて書きさせるべきだったと、綾瀬は後悔していた。
「来年やる連中、大変やな」
姫条の一言が表わすように、稽古は土日返上でみっちり行われた。
そして、11月13日土曜日。
文化祭の1日目が、幕を開けた。
はばたき市でも有名校である学園の文化祭は、例年通り大盛況だった。
文化祭の実行委員が走り回る中、トラブルも騒ぎになる前に収められ、プログラムは順調に進んだ。
午後に入って、人出は更に増し、運動部主催の屋台はどこも大汗をかき、クラス展示にもよく人が入っていた。
「さぁて、我らが姫の晴れ舞台、拝ませてもらいましょうかね」
講堂では、学園演劇の主要男性陣が、揃って横一列に席を有していた。
「3年は、ウエディングドレスだろ。ドレスがあるんだから、シンデレラでも結婚式のシーン、作ればよかったのにな」
楠本が残念がる。
「2部の工藤と宮野のワルツが、見物といったところか」
志筑は、まったく聞いておらず、プログラムを繰っている。
「明日香さん、掛け持ちで大変そうでしたね」
最後の一週間、疲労を封じ込めようとするかのように胸に手を当て、深呼吸を繰り返す姿を、守村は何度も目にしていた。
「葉月は何やってんだ。もう始まるぜ」
一つ空いている席を気にして、鈴鹿が辺りを見回す。
「お、来たな」
手を振って合図をする。
すぐに気付いて、葉月はやって来た。
「遅っせぇな。どこ行ってたんだ?」
「舞台裏」
鈴鹿と姫条の間の、空いた席に掛ける。
「なんや、抜け駆けか?」
姫条の揶揄には答えないまま、場内が暗くなった。
軽快な音楽と共に、幕が上がる。
最初は1年生だった。
カジュアルな服で次々と歩いてくる姿は、中々、サマになっている。
2年生のパーティードレスは一段と華やかで、花椿に鍛えられた成果が現れていた。
3年生のウエディングドレスは堂に入っていて、一人現れるたびに、場内は盛り上がる。
最後が、今日子だった。
一人、別格なのは、誰の目にも明らかだった。
『珪』
舞台裏で、最後尾に付いていた今日子は、やって来た珪を見つけると、うれしそうに微笑った。
『・・・きれいだ』
『ありがとう、珪』
シフォンのふんわりとした白のドレス。淡いピンクのシルクの薔薇が、胸元を飾っていた。
目を離せないでいると、
『どうしたの?』
いつものクセで首を傾げると、顔の周りを縁取るレースのベールが揺れた。
『・・・このまま・・と』
『?』
低く洩れた囁きは、ざわめきの中で届くことなく、宙で途絶えた。
『俺、客席で見てるから・・・頑張れ』
“このまま俺と、ずっと一緒に”
望みを形にした姿で、今日子は舞台にいた。
この、舞台までの遠さが、今の自分との距離だった。
近付けたと思っても、埋められることのない距離。
想いを告げない限り、決して埋まることはない。
そのことに、珪はもう、気付いていた。
『前から不思議で仕方がないんだよね。どうして魔法使いは、12時で解けちゃう魔法をかけたんだろ。せめて、舞踏会が終わるまで解けないようにしてあげれば、シンデレラは、あんな風に逃げ出さずに済んだのに』
『いずれ解ける魔法なんかに、頼るな、ってことなんじゃないか?』
『でも、王子が姫を見つけられなかったら、どうするの?シンデレラは、自分からお城に行くことなんて、出来ないでしょ?』
『必ず見つける。王子の望みは姫を得ること。ただ、それだけなんだから』
王子の想いを探っていく中で、はっきりと形を現した自分の望み。
いつか、もう一度、花嫁の衣装を身にまとった今日子を傍らに永遠を誓うこと。
叶えられる力は魔法には無く、自分の中にある。
2部のショーは、1年生が文字通り、飛んだり、跳ねたりの元気なダンスを見せ、2年生が華麗なワルツを披露し、3年生は白い蝶が舞うような美しい絵を描いてみせた。
漆黒のタキシードの工藤と、ベールを外し大きく背中を開けたドレスの宮野が、一際見事なワルツを魅せ、大きな歓声と拍手のもとに幕は閉じた。
カーテンコールは、異例の3回、行われた。
3回目には舞台袖で見守っていた花椿が引っ張り出され、本当は幕が下りた後、渡される筈だった花束を舞台上で受け、大感激していた。
記念撮影の為、中庭に出てきた部員たちはすぐに、待ち受けていた賞賛の声に取り囲まれた。
その中で、今日子はやっと、
『よかった』
珪の一言を受け取った。
フラッシュが焚かれ、携帯で写メを撮る一般参加者やはば学生に囲まれる今日子たちに背を向け、珪は一人離れる。
「なぁ、葉月ってよ、明日香が絡むと妙に余裕無くね?」
鈴鹿にしては穿った意見に、姫条と楠本が、ハハと力なく笑う。
「明日の舞台に影響しなきゃいいがな」
志筑は、嫌な予感を覚えていた。
- Fin -
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