「なんか、すごい人だね」
花火大会の会場へ向かう人は、確かに年々、増えているようだった。
「どこから、こんなに集まってくるんだろうな」
元来、人ごみの苦手な珪は、憂鬱な表情で同意した。
もっとも、珪の憂いは人ごみのせいばかりではない。
あの後、いい雰囲気も、チャンスも、戻ることはなかった。
なぜか、塗った火傷の薬の講釈をさせられ、お吸い物を作ろうという今日子の手伝いをし、二人で早めの夕食を取ったら、もう出掛ける時間になってしまった。
花火なんてどうでもいい心境の珪は、今日子に急かされ浴衣に着替え、二人で居られた空間の扉を閉め、今、この混雑の中にいる。
「はば学の甲士園初出場効果もあったりして」
「かもな」
のんびり歩いている二人を追い越し、良い場所を確保しようと先を急ぐ人たちの会話に、その話題が洩れ聞こえてくる。
念願叶って手にした甲士園への切符は、珪の期待通り、はばたき市の話題をさらい、注目と関心の対象は塗り変えられた。おかげで、こうやって今日子と歩くことが出来るのだから、この人の多さにも我慢しようと珪は気を取り直した。
心配されていた雨は避けられ、風もなく、下がった気温のおかげで涼しいくらいの、いい、花火向きの夜だった。
「あっ、」
後ろから来た人と肩がぶつかり、よろけた今日子が珪の腕に縋った。
「ごめん」
すぐに今日子は離れた。
「手」
「手?」
火傷の跡のある左手を持ち上げる。
「そっちじゃなくて」
珪は返事を待たず、今日子の右手を取った。
「な、なんで?」
ひどく焦って、今日子は手を引っ込めようとしたが、勿論、珪が許す筈がない。
「人、多いだろ。危ないし。おまえ、迷子になりそうな気がする」
手を掴んだまま歩き出すと、
「迷子になんか、ならないもん」
子供のような口調で反論してきた。
「なる。おまえ、抜けてるから」
「そんなコトない。珪はすぐ、わたしのこと子供扱いするんだから」
珍しく機嫌を損ねた様子で、ぷいと横を向く。
小さな頃と同じその仕草に、一つの情景が呼び起こされた。
「もし、はぐれても、携帯があるんだから大丈夫でしょ」
「繋がらなかったら、どうするんだ。大体、俺、持ってきてないぞ」
「え?そうなの?」
「邪魔だろ」
「あ・・・そうだよね。浴衣にポケットないもんね」
「・・・・・・・とにかく、迷子になるなよ」
掴んだ手を、歩きやすいように握り直す。
「迷子になんて、なりません」
口ではまだ反抗していたが、つないだ手の指が折り返された。
「一度も?迷子になったこと、ゼッタイあるだろ?」
手をつないだだけなのに、急に人ごみが気にならなくなった。
「それは・・・子供の頃なら、あるけど」
「ほらな」
「だから、子供の頃って、言ってるでしょ。もう、ちゃんと聞いてよ」
「聞いてる。で?どうして迷子になったんだ?」
思い出した情景の中で、迷子になった二人の子供が、目的の公園に行き着けず、途方に暮れていた。
あの時、つないだ手を決して離そうとせず、
『だいじょうぶだよ。けいくん』
励ましていたのは、道を間違えた当の今日子だった。
「知らない」
「拗ねるなよ」
「だって、ほんとに知らないんだもの。覚えてないから」
「ああ・・・そうか」
小学校より前の、子供の頃のことを、どうしてか覚えていないと、珪はもうずいぶん前に今日子から聞いていた。
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に越した頃にね、一人で出掛けて、迷子になったんだって」
他人事のように続ける。
「お巡りさんが交番に連れて行ってくれて、お父さんとお母さんが慌てて迎えに行ったっていうけど、全然、覚えてないんだよね。ふつう、覚えてると思わない?そんなコトがあったら」
不思議そうに問われて、まあ、と曖昧に応じる。
子供の頃、一緒に遊んだ記憶も、約束のことも、どこかに落としてきたように今日子は忘れていた。
「おまえの一番古い記憶って、弟が生まれた時のことだったよな」
「うん。それだけは、ぼんやりとだけど、覚えてる」
「じゃあ、その次は?」
思い出して欲しいなら、珪が打ち明ければよかった。
けれど、何のことか分からないと、そんなことがあったの?と、他人事のような反応をされるかもしれないと思うと、珪は言い出せなかった。
「その次は・・・」
記憶の糸を辿る今日子の横顔を見守った。
「おむすび」
「・・・おむすび?」
「お弁当のおむすびを、ゆかちゃん、あ、小一の時のお友達なんだけど、ゆかちゃんのサンドウィッチと交換して仲良くなれたの。すごく嬉しかったの、覚えてる」
「そうか・・・」
期待のカラ振りもいいところだった。
小学校が改築中で、給食は二年生になってからだった、そういえば、給食の焼きそばが大好きで、初めて作ったごはんて、焼きそばだったような気がする。
思い出しては、くれているが、方向性が全くずれていた。
連想ゲームのように、初めてのごはん作りと、その後の失敗談を楽しそうに今日子は話す。
見た目と会話は恋人同士に見えていた二人は、見た目だけを残し、甘い空気もすっかり失って、会場へ辿り着いた。
賑やかに屋台が立ち並ぶ中を歩いていると、今日子はあちこちに気を取られて、珪から離れていこうとする。
ほんとに、はぐれてしまわないように、珪は今日子の手を、しっかりと握っていなければならなかった。
こういうところが子供なんだと言ってやっても、上の空で聞き流し、気にも留めないに違いない。
珪が告白に踏み切れない要因の一つに、男として、異性として、意識されていないのでは、という不安があった。
その不安は、こういう時、ほとんど確信へと変わる。
最初の花火が上がり、きらめく光が空を飾った時、
「わたし、今夜の花火、きっと一生忘れないって気がする」
独り言のように、今日子が呟いた。
「ああ。俺も忘れない」
手をつないで、こんなに近く寄り添っていても、今という時は、この花火のように一瞬のものだった。
この時を、永遠へとつなげていきたい。
強く願い、見上げた花火を、俺はいつまでも忘れることは出来ないだろう。
そう、珪は感じていた。
「珪のバカ」
今日子は浴衣を着替えもせず、クッションを抱いてベッドの上で丸くなっていた。
ずっと、家に着くまで、珪はつないだ手を離さなかった。
無理に離すのも変に意識しているみたいで、何でもない風を装っていたけれど、限界が近かった。
けれど門の前で、
『手、ずっと、つないだままだったな』
そう言って離されてた時、寂しかった。
『おかげで迷子にならなかったね』
間の抜けた返事を珪は笑ったけれど、ずっとこのまま手を離さずにいて欲しいと想う心を、見透かされるより、ましだった。
珪の手が、当たり前だけど自分より大きくて、握る力が強くて、男の人なんだと感じてドキドキした。
好きという想いを、あんなにもきっぱりと珪は拒絶したのに、どうしてこんなコトをするのだろう。
そむけた横顔の冷たさ。
向けられた背中の遠さ。
二人三脚の練習で感じた、自分を遠ざけようとする珪の意志を、今でも胸をえぐるような痛みと共に覚えている。
仲良しでいたいと願った言葉のとおり、珪が友達を続けてくれることを、うれしいと思っている。
でも、やさしくされたり、こんな風にドキドキさせられると、心の奥底の望みが封印を解こうとする。
「わたしは、覚悟が足りないんだ。きっと」
シャワーを浴びて着替えようと、のろのろと身体を起こす。
携帯が鳴り、見ると、珪からのメールだった。
面倒だと、メール嫌いな珪が珍しい。
何だろうと、開いて読み進めるうちに、今日子は頬を火傷の跡のように紅く染めた。
『今日は楽しかった。今、おまえが隣りにいないことを、不自然に感じてる。鈴の音が耳に残ってるんだ。花火よりも』
「珪のバカッ」
クッションを顔に押し当て、倒れ伏す。
チリンと鈴が鳴って、珪の挿した和飾りが抜け、ぽとんと、ベッドに落ちた。
- Fin -
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