□■わびさび亭■□GS

登場人物

高校1年生

高校2年生

高校3年生

卒業後

番外編

高校3年

いさよひ ― 十六夜― 7. 土曜日


なんて、無神経な空だろう。
快晴の空を見上げて、綾瀬美咲は思った。
こんな日は雨が降らないまでも、せめて曇るべきだ。
昨日、保健室で休んでいた今日子を、有沢と二人で送って行った。
何も聞けず、何も打ち明けられることはなかった。
困っていただけの昨日とは、比較にならない落ち込み様。原因を見つけたのだと、すぐわかった。
何も言わないのは、言えない理由があるから。
卒業しなければ、スタートラインに立つことすら出来ない恋をしている綾瀬。
迷っている時に道を示してくれた片想いの相手に、その成果を得てから想いを告げたいと、自分にしか分からないプライドを抱えている有沢。
二人には、無理に今日子の口を開かせるような真似は出来なかった。
そして今日子の落ち込みが移ってしまった二人は、体育祭当日の朝を、最も低いテンションで迎えていた。
「おーい、美咲ちゃん。あんたまで、そない元気なくして、どないするんや」
落ち込んでいる女の子をなぐさめるのは、あまり得手ではないらしい姫条が精一杯励ます。
「わかってる」
これでは、勝てる勝負にも負けてしまう。
落ち込んだ気分を無理矢理引き上げたのは、美咲が先だった。
「頼むで、ほんまに。なんや、葉月の方は、えらいすっきりした顔で復活したみたいやけど」
「寝が足りたんでしょう」
ピリピリとした空気をまとわせ、有沢が言い捨てる。
逃げよう。
危機を避ける本能で姫条は退散した。
「いいの?アレ」
有沢は、あまり葉月が好きではない。落ち込んだままの今日子の方がよほど気がかりで、一人だけ復活してしまった葉月に苛立ちが隠せないようだった。
「つける薬がアレしかないんだから、しょうがないでしょ」
アレ呼ばわりされている葉月は、今日は昨日までとはうって変わって、ずっと今日子を目で追っていた。
有沢ならずとも、何なの一体と腹が立つ。
「とにかく、アレは様子を見るとして、まずは体育祭よ!」
「わかったわ」
いつもクールな有沢が、熱く受け合う。
優勝以外有り得ない氷室学級の勝利への道は、ここにスタートした。
鈴鹿和馬、姫条まどか、葉月珪。
この3人が揃っているクラスは不公平だと非難ごうごうだった割に、蓋を開けてみると、意外なほどの接戦だった。
いくつかのアクシデントはあったものの、概ね、氷室の計算どおりに進んでいた。
大きな狂いは、午後の短距離走において生じた。ゴール後の接触で綾瀬が転倒し、負傷してしまったのだ。
大したことないと綾瀬は言い張ったが、最後の名物種目、二人三脚リレーが残っていた。
得点配分が高く、逆転可能ということで、各クラス、厳選した選手を投入してくる。
優勝に王手をかけている氷室学級にとって、落とす訳にはいかない種目だった。
「珪」
保健室から戻ってきた今日子が、姫条や守村と話している葉月の腕を引いた。
「ちょっと来て」
立ち位置から、一番先に思いつめた顔で今日子がやってくるのに気付いていた姫条が、行ったれや、と促す。
腕を引かれるまま、校舎の中に入る。
風がよく抜けていく昇降口のそこは涼しく、汗がスッと引いていった。
「どうだ、綾瀬は」
「一応はね、大丈夫。捻挫もしてなかったし。だけど、いつもと同じには走れないと思う。それでも美咲は出たいって。だから」
キリッと、視線を合わせる。
「選手交代はしない。珪、勝負はきっと、わたしたちにかかってくる。わたし、必ず珪について行くから、だから、本気でいって」
「・・・わかった。必ず、ついてこいよ」
黙って強く頷いた。そしてグラウンドに戻ろうとする今日子の腕を、珪が捉えた。
「帰りに時間、作ってほしい」
引き止めた手の強い力に、今日子は怯んだ様子を見せた。
「おまえに話したいことがある」
「・・・うん。わかった」
視線を合わさないまま、力を緩めた珪の手から、するりと抜け出る。そのまま、パタパタと走り出て行った。
保健室から戻ってきた綾瀬の足の包帯に、クラスメイト達は一様に慌てた。
サポーター代わりだから心配しないでと綾瀬はニコニコしていたが、姫条が隣りに立ち、ほんまのとこは?と、前を向いたまま尋ねると、笑顔のまま言った。
「ズキズキする」
「そやろな」
「ごめん。我を通して」
「ま、俺に付いてこれるのは美咲ちゃんくらいやしな」
「手加減しないでよ」
「エエんか?」
「当たり前」
「ほんまに負けずギライやな、ジブン」
「期待に応えたいの」
綾瀬の瞳は、ひたむきに担任教師へと注がれていた。やれやれと、姫条は心の中で嘆息した。
今日子ちゃんといい、美咲ちゃんといい、イイオンナは、すぐに持ってかれるなぁ、と嘆く。
目ざとい姫条は皆に心配かけないようにと、一人、保健室に向かった綾瀬の後を、担任教師が追っていくのを、ちゃーんと見ていたのだ。
「ほんなら、ま、勝利を我らがヒムロッチに捧げるとしましょうかね」
熱くなっているのは、綾瀬だけではなかった。
温和な守村も、クールな有沢も、顔つきが変わっている。クラスメイト達の応援にも熱が入り、応援団長よろしく、椅子の上に立ち上がっている鈴鹿和馬は、
“いっけぇっ!姫条!ぶちかませっ!!”
と声を限りに叫んでいる。
「アホか、あいつは。二人三脚で、何をぶちかませっちゅうねん」
ぼやく姫条にしても、この熱血青春ドラマはなんやねんと、一人ツッコミでもしなければ、上がったテンションの抑えがきかない。
スタートラインに立った時、そのゾクゾクするような高揚感に、ああ、なんちゅう単純な性格やと、自分を傍観しようとしてもムダだった。
“位置について”
「ほな、いくで、美咲ちゃん」
「まかせて」
“よーい”
パン!とスタートが切られた。
負傷を物ともしない綾瀬の走りに、クラスメイト達が沸いた。
二人三脚とは思えないスピードでトップをキープする。しかし、期待されていた引き離しは見られず、次の守村・有沢組にバトンが引き継がれた。おそらく、この二人には最高タイムの走りだったが、葉月・明日香組は3位でスタートした。
座り込んでしまった有沢を守村が介抱する。その二人の耳に、わあっという歓声が聞こえた。
「すごい・・・」
もはや二人三脚とは思えないスピードの葉月・明日香組の走りは、前の二組を追い越し、そのまま引き離していく。
一際、大きな歓声は氷室学級からで、冷静沈着な筈の担任教師までが何か叫んでいる。
二位以下をはるかに引き離してゴールのテープが切られた時、うねるような歓声と共に、氷室学級の優勝が決まった。



夕陽の射す坂道を、今日子は珪と歩いていた。
面目を施した三組は、クラスメイト達に、もみくちゃにされ、手荒い祝福は我に返った氷室の制止が入るまで続けられた。
「でもほんとに、優勝出来てよかった!氷室先生も、すっごく喜んでくれたね」
「ああ、そうだな」
沈黙が落ちるのを、今日子は恐れていた。
だから、ずっと体育祭の話をし続けていた。
『おまえに話したいことがある』
こわいくらい、真剣だった珪の声。
「でも、先生って、けっこう心配性だよね。美咲が大丈夫って言ってるのに、無理矢理、病院に引っ張ってったし」
珪の話を聞きたくなかった。
聞いてしまったら、もう仲良しの居場所には戻れない気がした。
「どうしたかな、美咲。ね、電話してみよっか」
一緒に帰ることを承知したくせに、この場から逃げ出すことばかり考えているのを見透かしたように、
「今日子」
珪の声が背中を打った。
呼びかけに気付かぬフリをする今日子を、珪は許さなかった。
「俺の方、見てくれないか」
少し離れたところで、ようやく足を止めたけれど、依頼には応じないまま、
「珪、ひとつだけ訊いていい?」
先を制するように言った。
「・・・なんだ?」
焦れたような空気を感じたけれど、かまわず続けた。
「珪は、わたしといて楽しい?」
ほんとうは、珪の顔を見て訊く筈だった問いかけ。
その勇気を集めることは、とうとう出来なかった。
「ずっと前に、珪、わたしに聞いたでしょう?俺といて楽しいのか、って」
言い方が悪くて、珪を怒らせてしまったことがあった。
気まずいまま別れて、家に帰って死ぬほど後悔して、明日、学校で謝ろう、そして、もう一度仲良しになってもらうんだと思っていたら、電話があった。
『ごめん、不機嫌で』
『俺、いつもあんなだから、だから、気にするな』
不器用な言葉以上に、声が伝えてくれる優しさがうれしくて、いっぺんに気持ちが晴れた。
もうずっと前から、こんなに珪を好きだったのに、どうして分からなかったのか。
珪を囲む円周の中から弾き出されるまで、そのことに気付けなかった。
「珪は?わたしといて、楽しい?」
ずっと、珪は黙っていた。
今日子はただ、答えを待った。
「・・・ああ。おまえといると、俺は楽しい」
やっと答えてくれた声は、変わらず優しかった。
「・・・ありがとう」
「別に、礼を言うようなことじゃないだろう」
「そんなことない・・・。そんなことないよ」
本当に、それ以外に伝えられる言葉を持たなかった。
一緒にいることを楽しいと、感じていてくれるなら、
「珪、わたしね」
想いを心の底に封じ込めよう。
「これからも、珪の仲良しでいたい」
望んでいるのは、たったひとつ。
「そうしても、いい?」
珪と一緒に居たい。
「あたりまえのこと、聞くな」
なんだか、珪は怒っているようだった。
「一人で走ってるみたいだった、って言われたろ?」
地面に磁石で張り付いてしまったような足を引き剥がす。
胸に抱えている鞄をぎゅっと抱いて、身体の向きを変える。
「息、合ってるんだ。俺たち」
夕陽が顔に当たって、まぶしくて珪の表情(かお)がよく見えない。
「・・・うん。ありがとう、珪」
今、自分はちゃんと笑えているだろうか。
想いを隠せてるだろうか。
「お、いたいた」
坂の上で、姫条の声がした。
「葉月君、明日香さん」
守村の呼びかける声も聞こえる。
手をかざして夕陽を遮ると、有沢も一緒なのが見えた。
「美咲ちゃんから電話や!」
「集まって、祝勝会やりましょうって」
姫条が、有沢の携帯を取り上げて振る。
「まだ、電話繋がってるで」
「待って!話したい!」
口実を得て、今日子は走り出し、額に髪が落ちかかって、その表情を窺うことの出来ない珪の横を駆け抜けた。
この時、ためらいもせず、自分の心から逃げたこと。
失うことの怖さに怯えて、珪と向き合わなかったこと。
その弱さを今日子が悔やむまでには、まだ長い時間を必要としていた。
 


- Fin -

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