「汚ねぇ手、どけろ」
最初から、けんか腰だった。
「なんだ、てめえは?」
「珪 !?」
無言で珪は相手の腕を掴んだままの手に、ぎりっ、と力を込めた。
痛みに顔を歪めて、男が握っていた今日子の手を離す。
「あんたじゃ、役者が足りない。出直せよ」
なまじ、顔立ちが綺麗な分、珪が凄むと異様な迫力が出る。しかも、身長がある分、威圧感もあった。
「珪、」
「いいから」
今日子の呼びかけを、言い聞かせるように切り、
「さがってろ」
片方の手で、ぐいっと背中に庇う。
「な、なんだよ、てめえ!す、少し顔がいいからって、気取ってんなよな!」
男が様にならないタンカを切る。もっとも、既に腰がひけていた。
「気取ってんじゃねぇ・・・ケンカ売ってんだ。買えよ」
長身の珪に殺気だった目つきで見下されて、男は冗談ごとではない身の危険を感じた。
「けっ、やってらんねぇぜ」
まだ、珪に掴まれたままの腕を強引に振り払う。
「ちょっと、声掛けただけじゃねぇか」
くやしまぎれの捨て台詞を吐くが早いが、あっという間に人波に紛れるように逃げ去っていく。背中に取りすがっている今日子が、ほっと息をつくのがわかった。
「大丈夫か?」
「・・・うん」
「遅れて、悪かった」
さっきまでとは別人のような、やわらかな声で言う。
ううん、と、今日子は首を振った。
「わたしが、桜に見惚れてぼんやりしてたから・・・あ、」
珪のシャツを掴んだままなのに気付いて、手を離す。
「あの・・・ありがとね、珪」
別に離さなくてもいいのにな、と思いながら、珪は僅かにためらった後、今日子の肩をぽん、と叩いた。
「ほら、行こう。並木道。満開だぞ」
「・・・うん!」
気持ちを切り替えようとするかのように、明るく応える。
「おまえさ、今度から来るの、ゆっくりでいいから。俺が先に来て、待ってるようにする」
ナンパにキャッチセールス。珪が阻止しただけでも、この春休みの間に、これで3度目だった。
「えー、いいよ。だいじょうぶ!ちゃんと気を付けるから」
(気を付けるって、何をだよ)
「でも・・・わたしって、そんなに隙があるのかな」
どう思う?というように、隣りを歩く珪を見上げる。
黒目がちの大きな瞳に、近くで見ると思いの他、長い睫。透明感のある滑らかな肌と、濃いピンクの唇。それらから目を逸らすように前を向いて、珪は答えた。
「ぼんやりはしてるな」
ハァ、と今日子は肩を落とした。
「珪に言われるなんて、」
「どういう意味だ」
「そういう意味だもーん」
ふふ、っと微笑う今日子を傍らに感じながら、珪は苛立ちを隠すのに必死だった。
(何、やってるんだ、俺)
それがただのナンパであっても、他の男が今日子に触れただけで、カッとするほど焦がれていながら、いまだ、想いひとつ、告げられずにいる。
二度、告白に失敗していた。
一度目は、去年の初夏。
雨宿りしていた公園のあずまやで、自分は雨の雫を髪や頬に光らせたまま、濡れた珪の髪をハンカチで拭おうとする今日子の手を、気付いたら取っていた。
『珪?』
何も分かっていない無邪気な様に、心の準備もなく想いを口走りかけ、
『よう!姉ちゃん!』
途中で今日子の弟に邪魔された。
では、邪魔が入らなければ、ちゃんと伝えられたかというと、甚だ自信がなかった。
家に帰ってすぐ、心配して電話を掛けてきた今日子が、
『あのね、公園で言いかけてたことだけど、』
せっかく水を向けてくれたのに、
『たいした話じゃない。気にするな』
何でもないことのように流してしまった自分のヘタレ加減に、その後、しばらく落ち込んだ。
二度目は、今年の一月。
決意をもって、告白に望んだ。
ぐずぐずためらわないように時間制限を設けるべく、完成したばかりの臨海公園の大観覧車を告白の場所に選んだ。
港と海が見渡せる景色にはしゃぐ今日子に、シナリオどおり告白を始めようとした矢先、観覧車が止まった。
予定外のアクシデントに対応できるほど、珪に余裕はなかった。タイミングを逸してしまい、言葉が何も出てこない。
止まったまま一向に動く気配のない状態を怖がる今日子に、なぐさめるというカタチで口を開けるまで、三十分。
しかしそれも、さぁ本筋に入ろうというところで、ガッタン、と観覧車が動き出し、
『・・・おしまい。おまえ、もう元気だろ』
告白は頓挫した。
そうして、三度目のきっかけすら掴めないまま、今日に至っている。
「ああ、きれいね」
左右から、たおやかな腕を差し伸べるように交叉した桜の枝が、頭上に薄いピンク色の天蓋を作っている。桜の樹の合間を埋めるように植えられた雪柳が、こぼれんばかりに白い花をつけていた。レンギョウの花の黄色と緑の青葉が、白い景色の中で鮮やかに映え、宙を舞った花びらがレンガの歩道に散り落ち、また風に吹かれてクルクルと転がっていく。
「おまえ、ほんとに、桜、好きなんだな」
「珪だって、好きでしょ?去年、市内のお花見スポット、あちこち案内してくれたじゃない」
「あれは・・・」
(おまえが、喜んだから)
うれしそうに笑う顔が見たくて、もっと今日子と一緒にいたくて、桜を口実に何度も誘った。
(そうだ・・・、きっとあの時、言ってしまえばよかったんだ)
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