観葉植物の陰になって、店の入り口からは見通せない。
その席は、もっぱら打合せなど、仕事に利用したいお客向けで、待ち合わせには不向き。
一人で入ってきた中学生の少年が、店内を見回した後、空いている窓際の席でも、カウンター席でもなく、その奥の席に着いた時、マスターは勉強でもしたいのかな、と考えた。
この年頃なら、普通はファーストフード店へ行くものだろうが、彼は、はば学の制服を着ていた。
アルカードには、はば学の生徒がよくやって来た。
背伸びをして格好をつけたい中等部の生徒も、3~4人で固まって、ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを、神妙に飲んでいたりする。
もっとも、その少年には大人ぶる必要性などなかった。
180近くありそうな長身と、バランスのとれたスタイル。いかにも女の子受けしそうな亜麻色の髪と緑の瞳。
綺麗な顔立ちをしているが、無表情なせいか、ひどく冷たい印象を受ける。
中等部の制服を着ている以上、十五より上の筈はないのだが、私服なら十八といっても通りそうだった。
大人しくオーダーしたモカを飲むだけで、参考書やノートを広げる様子もない。
彼のことが、何となく気に掛かりはしたが、続けて入ってきたお客の対応に忙しく、注意が逸れる。
一段落したところで、空いたテーブルの食器を下げてきた神崎に、小さく抑えた声で告げられた。
「奥、よくお休みです」
思わず目をやると、壁に凭れかかって瞼を閉じている。
(まさか、寝に来た?)
そういうお客も居ないではない。
しかしそれは、隣りの撮影所のスタッフが、食後に眠気を誘われて、うたた寝をするといった類いだ。
水を注ぎに行って様子を窺うと、特に気分が悪いという様子もなく、安眠している。
どうしたものかと思ったが、せっかく気持ち良さそうに寝ているのだからと、そのままにして戻ろうとした時、ドアベルが鳴って一人の快活そうな女性が入ってきた。
店内を見回し、人を探している。
「お待ち合わせですか?」
すかさず神崎が尋ねると、わずかに眉をひそめたまま、
「ええ、中学生、いえ、背の高いブレザーの制服を着た男の子が来なかったでしょうか」
「そのお客様でしたら、あちらの奥の席にいらっしゃいます」
どうも、と女性が足早にこちらへ来るのと入れ違いに、カウンター内へと戻ったが、
「珪・・・あんたはもう、起きなさい!どこでもスゥスゥ寝たらダメって、いつも言ってるでしょう」
叱る声は耳に入ってきた。
「マスター、我慢して下さい」
神崎に言われるまでもなく、奥歯を噛み締めて、笑いたいのを堪えている。
面白いコだなぁと、相反する容姿と共に、その少年はマスターの印象に残った。
次に彼を見たのは神崎だった。
注文を受けてデリバリーに行ったスタジオで、通り過ぎかけて二度見。そのまま凝視してしまった。
この前の居眠り中学生が女性陣に囲まれて、テキパキ、髪やら服やら直されている。
乏しい表情からは、逃げ出したいのを懸命に我慢しているのが見て取れる。
(何、やってるんだ)
モデルとして、撮影の為にメイクや衣装を整えているのだと、頭では認識していた。
けれど、壁に寄りかかって子供みたいに居眠りしていた中学生と、モデルという単語が、直に見ていても繋がらない。
馴染みのスタッフにそれとなく振ってみると、NGになったモデルの代役として、急遽、担当編集者が従弟の彼を引っ張ってきたのだと、嬉々として話してくれた。
「前から何度か見掛けて知ってたし、葉月君、ああ、彼、葉月君ていうんだけど、彼がやってくれるなら大歓迎だって、みんな盛り上がっちゃってね。もっとも、当の本人は戸惑ってるみたいだけど」
戸惑うどころか、神崎には早く帰りたがっているとしか思えない。
「対象がティーン向けじゃなかったら、神崎君に頼んでも良かったんだけどね。残念、残念」
「申し訳ありませんね、歳食いまして」
「いやいや、神崎君、童顔だから眼鏡外せばまだイケるって。っと、これ言うと怒るんだっけか」
分かってんなら、いい加減その脳みそに刷り込んどけ!と、お客相手では凄む訳にもいかない。
間もなく撮影が始まり、明るい照明の中に引き出された居眠り、もとい葉月少年は、眩しそうに顔をしかめている。
(嫌なら断れ)
従姉だという雑誌編集者は、店で葉月少年と待ち合わせていた、あの快活そうな女性で、撮影を見守る隙のない佇まいからも、対抗するのは中々に骨が折れそうな相手と見える。
とはいえ、首に縄を掛けて引っ張られた訳でもあるまいに、なぜ拒否出来なかったのか。
この件を報告した時の、マスターの反応もほぼ同じで、まず、
「えっ!」
と絶句。
「どうしてそんな事に・・・」
口ごもった後、いきさつを聞いて、
「ダメだなぁ、イヤならちゃんと断らないと」
慨嘆した。
アルカードの隣りに撮影所が出来て十年近く経つが、その間、マスターは勿論、高校生の頃からバイトに来ていた神崎も、沢山のプロのモデルを目にしてきた。
だから、葉月少年の容姿が周囲の注目を集めるだけでなく、十二分に商品価値のあるものとして認められるだろうことも判断出来た。
小言を言われても聞いているのか怪しい、まだ眠たそうなカオで、
『俺、コーヒーもう一杯頼もうかな。喉、渇いた。姉さんも頼みなよ』
呑気に勧めて従姉を脱力させていた少年が、居眠り三昧の平穏な日々に戻れるかどうか。
マスターと神崎の危惧は当たった。
次の月も、葉月少年のスチルは紙面を飾った。
今度は代役ではなく、葉月珪自身へのオファー。
あれから一度も店に来ることはなく、撮影現場に遭遇することもなかったが、スタッフの噂話から評判の高さは伺い知れる。
更にその次の月も掲載された葉月少年が、マスターと神崎の中で、お客さまではなく母校の頼りない後輩という位置付けに納まった頃。
『おーい、聞いて驚け。件の居眠り小僧の特集が、来月号で組まれるぞ』
もう一人の、はば学OBからの電話によって、その情報はもたらされたのである。
『ガキのくせになんだこの目は。おまえは世捨て人か』
アルカードのマスター、水橋の旧友にして、神崎からは、はば学生徒会長の大先輩。立花隼人の葉月に対する評価は、初めから一切、手心なしだった。
そのくせ、誌面で見る冷めた貌と、水橋や神崎の話から受ける印象とが一致しないのが引っ掛り、情報だけは集めていた。
特集記事が組まれると知り、そこまで人の言いなりに付き合う義理もないだろうから、さては、ようやく世間と向かい合う気を起こしたか、と思ったのだが、
(違うってか)
葉月は、奥のテーブルで入り口には背を向け、バッタリ突っ伏して寝ていた。
「しんどいんだねぇ、かわいそうに」
しみじみと旧友の水橋が呟けば、
「撮影はともかく、慣れないインタビューで疲れ果てたみたいですね」
神崎までが甘っちょろい同情を寄せる。
立花がアルカードへ来た時、葉月はもう、この状態だった。
コーヒー一杯飲み終えた今になっても、起きようとしない。
待ち時間を潰しにやってきたのだとしても、普通、中学生が喫茶店で熟睡するだろうか。
(相当なマイペースってことだけは、確かだな)
葉月を撮るカメラマン、森山仁は、立花も面識があり、その腕と感性を高く買っていた。
引く手あまたの森山が今回の仕事にひどく乗り気で、かなりの時間を割いているというからには、この寝ぼすけ少年には外見だけでなく、人を惹きつける何かがあるのだろう。
「水橋、ブレンドもう一杯頼む」
葉月が起きるのを、立花は待っていた。
誰の目も通すことなく、葉月珪を見てみたかった。
寝起きという、取り繕いようのないカオならば、より、素に近い部分を垣間見れるのではないか。
期待している立花の関心は、この時点ではまだ、好奇心がその殆んどを占めているだけだった。
ドアベルが勢いよく鳴り、慌しく男が入ってくる。
「葉月君は奥のテーブルです」
目的の分かっている神崎が問われる前に告げた。
「ああ、すいません」
軽く頭を下げながらも、せっかちに奥へ行く。
「葉月君、待たせたね、って・・・あーあ、」
ガリっと頭をかくと、亜麻色の髪の上へと身を屈める。
「葉月君、起きな。スタジオ戻るよ」
声を掛けたぐらいでは起きる気配がないのか、肩を軽く叩く。
そこでやっと、葉月は身体を起こした。
「すっかり待たせちゃったね。撮影始めるから行こう」
言いながら、男の身体はもう、戸口の方へ向き直っている。
葉月も伝票を掴む仕草をして席を立ち、こちらを向いた。
「ブッ、ゲホホッ」
咳き込むフリで、どうにか誤魔化した。
「会計お願いします」
「・・・・・・・・・・・・」
低い声でボソボソ言うのに、水橋も神崎も、返事が出来ないでいる。
「ああ、いいから葉月君。マスター、こっちにツケといて」
「すみません・・・ごちそうさまです」
そんなやりとりで二人が出て行くのを、立花は見ていなかった。
なぜなら、今度は立花がカウンターに突っ伏し、肩を震わせていたからだ。
「笑いすぎだ。立花」
これが笑わずにいられようか。
右の頬に、くっきりとファスナーの跡。
取り繕わないにも程がある。
袖の飾りに付いていたあれを、下敷きにしていたのだろうが、あんな跡が付くまで目を覚まさずにいるのが凄い。
面倒見のいい水橋と神埼が気に掛ける筈だ。中身がまるで外見に追いついていない。
(てことは、これからの成長次第で面白いことになる訳だよな)
笑いをおさめて、二杯目のコーヒーを取り上げる。
そんな葉月を、森山がこれからどう撮らえていくのか。
にわかに楽しみに思う立花は、もう興味本位とは別の視点で、葉月を捉え始めていた。
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