「どうしよう・・・」
帰宅するなり、何かあったのかと問い詰めてくる尽から逃げ、鍵まで掛けた部屋の中でペタリと座り込み、今日子はクッションを抱きしめていた。
「もう、一緒に出掛けてくれないかも知れない」
口にしてみると、かも、ではなく、そうなるだろうという悲しい予感が高まる。
今日の葉月は待ち合わせ場所で顔を合わせた時から、あまり機嫌がよろしくない様子だった。
無口なのはいつも通りとしても、心ここにあらずというか、気のせいでなければ、何か考え込んでいるようでもあり、出来るだけ邪魔にならないよう、おとなしくしていた、つもりなのだが、
「出来てなかったんだよね、きっと」
おまけに、青と白の紫陽花が咲き乱れる景色に夢中になって、葉月がお腹を空かせていることに気付きもしなかった。
その食事でも外している。
アルカードのコーヒーの話題から連想して、不思議に思っていたモデルを始めたきっかけを尋ねてみたら、無造作に答えてくれた。
頼まれて断れなかったという展開は意外だったけれど、そんな状況でも“仕事”としている葉月をすごいと思った。
モデルという仕事が、どうも葉月はあまり好きではないようなのに、求められる結果をちゃんと出している。
両親も祖母も、亡くなった祖父も、好きじゃないことをやるには十倍のエネルギーが要ると言っていたし、自分でもそう思う。
十倍の力を使っている時と、普段、学校に居る時とで落差があるのは当然で、それだけ頑張っているんだと、思うまま口にしたら、そっぽを向かれてしまった。
その後は、話しかけても相槌の返るのがやっと。
あじさい苑に戻って、今度は逆のルートで回っているうち、なごんだような空気もあったのに、
「失敗しちゃった」
葉月が気になって、後ろを振り返ってばかりいたら、階段の所でけつまづいた。
咄嗟に踏みとどまり、危ないところだったと照れ笑いで振り向いたら、怖い顔の葉月がすぐ後ろに居た。
びっくりして、わっ、と声を上げてしまったら、ますます怖い顔になり、
『気を付けろ』
低音ボイスの注意が飛んできた。
足許に気を付けろとは、最初に回った時も言われていた。
それにも関わらずの失敗に、
「落ち着きが無いって、思われたのかな」
帰り道は、無口を通り越してのだんまり状態で、気分転換になるどころか、ただ疲れさせただけなのではと、不安が膨らんでいく。これに懲りて、もう一緒に出掛けてくれなくなるかも知れない。
そう思うと寂しくて堪らなくなり、抱きしめたクッションに、今日子は力なく額を押し当てた。
「姉ちゃん、傘持ってけよ!降ってないの、今だけだからな!」
「はいはい」
昨夜も今朝も、尽までもがご機嫌斜めだった。
そのくせ、ちっちゃな頃のようにまとわりついて、お節介なほど世話を焼いてくる。
もうほっといて欲しいと思いながら、早々に家を出た。
傘を持った手で、口許を押さえ、あくびを堪える。
ベッドに入ってからも、待ち合わせて会ってから別れるまでを思い返していたら、考え込んでしまい、よく眠れなかった。
もう一度チャンスをもらえたなら、今度はきっと、気を付けて、失敗しないようにすると思うけれど、その機会が巡ってくること自体、儚い希望と思える。
また、あくびが出そうになった。
寝不足のせいか、身体が重い。
ぼーっと歩いていたら、ぽつんと、雨粒が頬に落ちてきた。
パラパラと雨が降り始める。
尽の予報どおりになった。
ポンと、音を立ててピンクの傘を開く。
昨日は帰るまで、お天気が持ったのは救いだった。
続くあくびを押さえる為、傘の柄を肩に掛けた時、前方の、公園入り口に立つ、背の高い人影を見つけた。
傘に隠れて、明るい色の髪は見えなかったけれど、そうに違いないと確信していた。
恐いような、ドキドキする気持ちを抑えて近付いて行く。
その人が振り向いた。
「・・・おはよう、葉月君」
「おはよう」
低く響く声は、やわらかく感じた。
不機嫌な様子もない。
ほっとすると、自分がヘンな顔をしていないか、急に気になり出した。
『姉ちゃん・・・ひっでぇ顔』
人の顔を見るなりの、これが今朝の尽の第一声だった。
「紫陽花、ここにも咲いてるな」
葉月の言葉にその目線を追うと、入り口の脇に淡いピンクの紫陽花が幾つか咲いていた。
「ほんとだ」
この紫陽花を見て、葉月は立ち止まっていたんだと思う。
「毎日通ってるのに、気付かないもんだな」
「うん・・・そうだね」
目には映っていても、心では見逃してしまっている。
人の気持ちも、たぶん同じ。
(気付いていけたら・・・)
それが出来れば、葉月を不機嫌にしてしまうこともないのに。
「行くか」
「・・・うん」
並んで歩き出せば、傘を差している為、お互いの顔は見えなくなる。
学校へ着くまでに寝不足の顔が直って欲しいと、今日子は無茶な願いを掛けた。
「昨日、」
ドキンとした。
「帰ってから、コーヒー淹れてみた」
「うん」
カフェテラスのコーヒーは、よほど期待外れだったらしい。
帰りに飲み直した方が良かったんだろうか。
けれど、寄り道を言い出せるような雰囲気ではなかった。
「美味くなかった」
「そう、なんだ」
「けっこう、難しいんだな」
しみじみと言う葉月が気の毒になってきた。
「いつもはコーヒーメーカー使ってるの?」
「それかインスタント。飲めれば何でもいいから」
(・・・・・・葉月君、落差激しいね)
美味しいものが飲みたい時、要求するレベルは格段に跳ね上がるのだと思った。
「おまえ、すごいな」
「え?」
思わず傘を傾け、葉月を見上げていた。
「火曜日、アルカードに行くから」
前を向いたままの横顔は、いつものように、よく表情が分からない。
「おまえの淹れてくれるコーヒー、楽しみにしてる」
「・・・ありがとう、葉月君。美味しいの淹れられるように、頑張るね」
こちらを見てくれるでなく、その後に言葉も続かなかったけれど、望みに応えられると認めてもらえたのが嬉しかった。
(大丈夫。まだ、嫌われてない)
反射的に思って、眠れなかった一番の不安の理由に気付く。
「ね、葉月君、学校にも紫陽花咲いてたかな」
「・・・・・・わからない」
「わたし、昼休みに探しに行ってみようかな」
「・・・雨、止んだらにしろ」
「はーい」
空は暗く、雨が降っていても、ほっとした今日子の顔は寝不足にも関わらず、晴れやかになっていた。
(ダメだ。やっぱり見つからない)
もう一つ、伝えたい気持ちがあったのに。
『頑張ってて偉いね。すごいね、葉月君』
まっすぐな瞳から逃げてしまったのは、気恥ずかしかったから。
子供みたいに偉いねと言われたことが、どうしようもなく照れくさくて、いたたまれなかった。
(けど、イヤだった訳じゃないんだ)
胸の内が温まるようだった。
心が軽くなった。
それなのに落ち着かなくて、昨日からずっと、この感情を表わす言葉が見つけられない。 見つけて、伝えたいのに。
隣りを歩く今日子の顔は、ピンクの傘に隠れて見えない。
どうやったら、あのまっすぐな瞳をこちらに向けておくことが出来るんだろう。
課題は増えるばかりで、学校に辿り着くまでに解いてみせることは、とても出来そうになかった。
- Fin -
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