少し寒くて目を覚ますと、掛け布団を剥いでしまっていた。
昼寝の時はそうでもないのに、ベッドで寝ていると、珪は枕を落とし、布団を蹴飛ばす。
ずり落ちかけている掛け布団を引き寄せ、もぞもぞ潜り込み包まる。
ウトウト眠りとの境をたゆたうのは、いつも気持ちがいい。
でも、今朝はそれだけじゃない気がして、心地良く感じる心を探ってみた。
(・・・ああ、そうか)
昨日、楽しかった。
芝生に座って、今日子のお喋りに耳を傾けながら、コーヒーを飲んだ。
聞いているばかりの自分にも、今日子は困った様子も見せず、黙っていても気を悪くしたりしない。
といって、一方的に喋っている訳ではなく、短い答えや少しの反応に、笑ったり、ムキになって反発したりする。
よくこんなに表情変わるなと眺めているのも、飽きなくて面白かった。
そんな風に感じた心を、
(伝えられた)
別れる間際になってしまったけれど、
『今日、楽しかった』
言葉にすることが出来た。
一拍、妙な間が空いたような気もするが、
『わたしも楽しかった』
そう言って笑ってくれたから、気持ちはちゃんと伝わったのだ。
ぬくぬくと、悪くない、楽しい気持ちに夢見心地で浸っていると、携帯が鳴った。
無視した。
この心地良さを、まだ手離したくない。
数コールで止んだ携帯が、再び鳴り出す。
長い。
今度は、一向に止まない。
諦めて、珪はベッドの中から手を伸ばし、サイドテーブルに在る携帯を掴んだ。
「はい」
『珪、あなた、まだ寝てたの?』
「洋子姉さん・・・」
やっぱり、と思った。
出ない携帯をいつまでも鳴らす人物など、極めて限られる。
『もう昼過ぎよ。いくらお休みだからって、そんなに寝てばっかりいると、終いにカビが生えるわよ』
従姉の小言は聞き流し、時計を見た珪は、無表情な顔の下で驚いていた。
掛け布団を引き寄せたのは、確か、平日、学校へ行く時間。
それが、もうすぐ13時になろうとしている。
ウトウトどころか、すっかり眠り込んでいたらしい。
『珪?聞いてる?まさか寝てるんじゃないでしょうね』
「何か用?」
電話の向こうで、従姉はムッとした様子だった。
『・・・あんたね』
まったくもう、とブツブツ言い掛けたが、気を取り直したように、本題に入った。
『今、起きたばっかりじゃ、ご飯、これからなんでしょ?出てらっしゃい、ご馳走してあげるから』
「いい。遠慮しとく」
『・・・間髪入れずに断ったわね』
「用件は何?」
警戒心を前面に押し出して問う。
ただ食事を奢ってくれるだけなら、携帯ではなく玄関のチャイムを鳴らし続け、さっさと車に押し込められている筈だ。
「あんたって、時々、妙に勘がいいから、やんなるわ」
確かに、勘は働く。
問題は、働くだけで、役に立っていないのだ。
「今度ね、人気モデルのお宝写真大公開って企画で、あんたの子供の頃の写真、載せることにしたから。いいわよね」
今回も然り。
事後承諾でも、確認を取るだけ、ましなのだろうか。
知らないうちに読者モデルとして引き摺り出され、一度切りの筈が回数を重ね、挙句、特集記事まで組まれて今に至るモデル葉月珪は、寝起きの顔を思いきり顰めた。
「俺、子供の頃の写真なんか持ってない」
『だいじょーぶ。わたしが持ってるから』
すごくイヤなことを、得意げに請け合う。
『お祖父ちゃんとこで遊んでた時のが、いっぱいあるのよ。ちっちゃい時のあんたってば、今みたいに無愛想じゃないしカメラ向けると照れ笑いなんかしちゃって、可愛かったんだから。とびっきりの選んであげたから、期待してて』
ここでイヤだと抵抗したところで、最後には押し切られる。
無駄な労力を使う気にもなれず、勝手にしてくれと投げ出しかけ、珪は気付いた。
「姉さん、その写真、雑誌に載るの?」
呆れたような空気が伝わってきた。
『珪、わたしの話、ちゃんと聞いてた?そうでなきゃ、一々確認なんかしないわよ』
「ダメだ!」
思わず、半身を起こしていた。
『やぁね、冗談よ。タダで人に見せる訳ないでしょ。勿体ない』
「そうじゃなくて、」
タダでなければ見せるのか、と問い詰める余裕はなかった。
「そんな写真、使わないでくれ」
『珪?』
子供の頃の、祖父の所に居た時の写真。
そんなものを今日子が見たら、
「やめてくれ、姉さん。お願いだ」
わかってしまう。
“いつか、おれ、お話のつづきしてやる”
あの約束をしたのが自分だと。
『珪、あんた今、お願い、って言った?』
「そうだよ姉さん。頼むから」
気付かれたくない。
こんなにも、昔と違ってしまった自分に。
『珪・・・』
滅多にないことに、洋子が沈黙する。
まさかもう、印刷に回っているのだろうか?
それなら、印刷所に乗り込んででも回収してやると、ベッドから降り立った珪の耳に、
『わかったわ!珪』
テンションの高い洋子の声が飛び込んできた。
『いつもイヤだの一点張りで、ろくなコミュニケーションも取れないあんたが、わたしに頼むなんて言うなんて・・・よかった!ちょっとは成長してるのね、珪!』
今すぐ、この電話をブチ切りたい。
『子供の頃の以外ならいいのね?それだと最近のになっちゃうけど、要はプライベートなカンジが出せればいい訳だから、ま、何かあるでしょ』
知ったこっちゃないし、どうだっていい。
『じゃあ、適当に見繕っとくわ。あ、ご飯食べに出てくる?』
「やめとく」
『可愛くないわねぇ、そういうトコ。ま、いいわ。一人でもちゃんと食べるのよ』
お節介な台詞を更に二言も三言も付け加え、ようやく切ってくれる。
たっぷり寝た筈なのに、この数分間で、珪は疲れ切ってしまった。
気持ちを察してくれることに掛けては両親以上の従姉のことを、珪は結構、好きだったが、世話焼きの方向性が大抵、どこかズレていて、時にひどく疲れさせられるのだ。
再び、手の中の携帯が鳴り、まだ何かあるのかと、
「はい」
ムスっとしたまま応じた。
『あ、あの、こんにちは。葉月君』
慌てて表示を確認すると、覚えた番号が並んでいた。
『葉月君?あのう、明日香今日子です』
「・・・おまえか」
我ながら、愛想のない声だった。
『その、急に電話なんかして、ごめんなさい』
今日子の焦りが、はっきりと伝わってくる。
だが、珪も焦っていた。
電話では、黙っている訳にはいかない。
「なんだ?」
『え、あの、えっと・・・』
早速、言葉の選択を間違えた。
語尾が弱々しく消えた気まずい空気に、ますます何を言えばいいのか分からなくなる。
『あのっ、葉月君っ』
上ずった声が、珪の鼓膜を打った。
『今度、臨海公園に行かない?』
早口な上に大きな声で言われた言葉を、頭が追いかけているうちに、今日子は喋り出した。
『昨日、夕飯を臨海公園の中にあるお店に食べに行ったら、すごく素敵で、あ、お店じゃなくて公園がね。でも、お店も美味しくて素敵だったよ。じゃなくて、ご飯の話じゃなくて、夜だったけど海からの風が気持ち良くて、昼間なら明るいから海もよく見えていいだろうなって、だから、』
一呼吸、間が空いた。
『一緒に、行きませんか?』
伺うように見上げてくる顔が、見える気がした。
「・・・別に、行っても構わない」
「ほんと?」
パッと、明るくなる表情も。
『じゃあ、葉月君が暇な時、教えて』
「明日」
一番近い、暇な日を言ってみた。
『明日?うん、わたしも大丈夫。そしたら、明日行くのでいい?』
「構わない」
待ち合わせの場所と、考えて、今度は午前の時間を指定した。
『じゃあ、明日ね』
笑顔になっている空気を伝えて、電話は切られた。
昨日、楽しかったから、
“また呼べよ”
と言ってみた。
本当に、ちゃんと気持ちが伝わっている。
着信の履歴を呼び出し、覚えた番号に、明日香今日子の名前を登録した。
今度から、ちゃんと確かめて電話に出よう。
そう、決めた。
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