それは夢も見ないような、深い眠りだった。
引き込まれた時と同じように、唐突に目醒めて、見えたのは白い手。
顔を横に傾けると、今日子が居て、放心したような様で遠くを見ている。
それは、綺麗な横顔だった。
無邪気なだけだった子供の頃とは全く違う。
こんな整った顔立ちをしていただろうか。
見つめていると、視線に気付いたのか、今日子が顔をこちらに向けた。
「葉月君、目、覚めた?おはよう」
こんなやわらかな笑顔も、珪は知らなくて、幼い時に別れてから今に辿り着くまでの時間の長さを改めて感じた。
珪が眠りから醒めたことを知って、今日子が手を芝生に下ろす。
途端に、木洩れ日がチカッと目に眩しい。
(ああ、そうか)
かざされていた手の理由を悟って、身体を起こした。
「よく寝てたね」
ぼんやりしていた頭がはっきりすると、不思議なくらい、気分がいい。
「おまえは、ずっと起きてたのか?」
「うん。なんか、ぼーっとしてた・・・ね!葉月君、コーヒー飲まない?」
急に明るく訊かれる。
「ああ。いいな、それ」
寝起きで、喉が渇いていた。
「じ、つ、は、ポットにコーヒーを淹れてきました!」
ポットを取り出し、楽しそうに見せる。
「ミルクとお砂糖もあるけど、どうする?」
「そのままでいい」
紙コップに半分ほど注ぐと、熱いから気を付けて、と渡してくれる。
一口飲んでみると、おいしくて、好みの味だった。
「うまいな」
「ほんと?よかった、気に入ってもらえて。わたし、コーヒー淹れるのは、わりに上手なんだよ。葉月君は好きな豆の種類とかある?」
「俺は・・・モカ」
訊かれるまま答えて、合間にゆっくりとコーヒーを飲む。
他人と会話するのも、一緒にいることも、苦手な筈なのに苦痛を感じない。
イヤじゃない。
湧き上がるこの奇妙な感覚は、
(楽しい、のか、俺)
言葉を、この悪くない気分に当て嵌めてみると、ぴたりと重なって胸に収まる。
(そうか・・・楽しいんだ)
「コーヒーのおかわりは?」
「ああ、いる」
コポコポと注がれるコーヒーと共に、楽しい気持ちが心を満たしていく。
「・・・気持ちいいな」
「もしかして、また眠くなっちゃった?」
悪戯っぽい笑顔をみせる。
「いや、そうだな。今は、眠くない」
熱いコーヒーを飲みながら、知らない表情を垣間見せる今日子と、もっとこうしていたかった。
「ただいまぁ」
夕方、家に帰ると、尽が待っていたようにリビングから飛び出して来た。
「姉ちゃん、お帰り!」
ニッコニコの、全開の笑顔。
(もしかして・・・バレた?)
また、あれこれしつこく訊かれたり、彼氏候補としてどうのと言われるかと思うと、もう一度理由を付けて出掛けたくなる。
「姉ちゃん、今日の夕飯、父さんが外に食べに行こうってさ!」
(あれ?)
「だから、姉ちゃんが帰ってくるの待ってたんだ」
なんだ、バレた訳じゃないんだ、と安心する。
「そっか。じゃあ、仕度しなきゃね」
「で、ここがその店。りんかい公園にあって、ロケーションもばっちりなんだぜ」
よほど楽しみなのか、手にガイド誌まで持っていて、それを広げて見せてくれる。
「俺、父さん達に姉ちゃん帰ってきたって、言ってくるからさ、呼ぶまでこの本見てなよ。他にも色々載ってて、面白いからさ」
楽しみというより、はっきりと浮かれている。
生意気に大人ぶっても、外食するだけでこんなに、はしゃぐなんて、やっぱりまだ小学生だとおかしくなる。
「じゃ、ゆっくり見てていいからね!」
押し付けられたガイド誌を持って階段を上りながら、今日子は、こみ上げる笑いをこらえた。
部屋に入って、机にガイド誌と籠バッグを置く。
バッグの中のポットは、すっかりカラになっていた。
「コーヒー、喜んでもらえてよかったな」
一緒に居た時間の、実は3分の2は寝ていた。
ポットのコーヒーを飲み干す間も、お喋りするのは自分だけで、時折、短い返事をしてくれる他は、聞いているだけだったけれど。
『今日、楽しかった』
別れ際、そう言ってくれた。
(また呼べよ、ってことは、また誘ってもいいってことだよね)
机の椅子を引いて掛け、ガイド誌を最初のページから開く。
「ずっと寝てたのに、楽しかったんだ」
気持ちよさそうだった寝顔を思い出して、クスッと微笑う。
(葉月君て、他にはどんなトコがあるのかな)
もっと一緒に時間を過ごしたら、知ることが出来るだろうか。
そんな風に、今日子が思いを巡らせている一方、階下の廊下では尽が不気味な含み笑いと共に、勝利宣言の如く右手を高々と突き上げていた。
(さっすが、俺の姉ちゃん!葉月が落ちるのも時間の問題だぜ)
昨日、姉ちゃんのことだから、またあれこれ買い込んで、重くてヒーヒー言ってるに違いないと迎えに行き、葉月と歩いてくるのを目撃した。
慌てて隠れ、やり過ごした。
その後を、尾行けた訳じゃない。
(邪魔しないように、離れてただけだぜ?)
盗み聞き、してた訳じゃない。
(耳に入ってくるんだからさ、しょうがないじゃん?)
本当のことを言われた姉ちゃんがむくれた時は焦ったけど、葉月は後悔したみたいに突っ立ってて、見た目じゃ分かんないけど、やっぱイイヤツだよな、って思う。
今日、帰ってきた時の姉ちゃんの声は、すごく明るかったから、きっと、葉月と楽しかったに違いない。
(あとは、イイカンジのデートスポットを姉ちゃんにガンガンけし掛けて、それから・・・)
明らかに何かを企んでいる目を光らせる。
競争率が激しく高いだろう葉月珪を相手に、のんびり待ちの姿勢で構える気など、尽には毛頭なかったのである。
- Fin -
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