道の真ん中で、片手にスーパーのビニール袋と、紙袋を提げ、明日香今日子が空を見上げて立っていた。
(あいつ・・・・・)
例えば、ここが公園だというなら見過ごせた。
声も掛けず、通り過ぎることも出来た。
けれど、ここは住宅街の公道。車も通る道だった。
「明日香」
呼び掛けると、こちらに気付き、顔の前に翳していた右手を下ろして目を細めた。
「あ、葉月君。こんにちは」
呑気な挨拶に、仕事帰りの疲労が増す。
「おまえ、何やってるんだ。こんなとこで」
近付いて、距離を縮めた。
「空、見てたの。ほら、」
また右手をかざして空を見上げるのに、珪もつられる。
「夕陽と空が黄金色・・・・・」
落日の強い陽光を放つ黄金色の太陽。
その光に、空も雲も照り映えて眩しく、細めた目を、珪はすぐに今日子へと戻した。
「こんな空をね、前にどこかで見た気がするの。それがどうしても思い出せなくて」
「・・・・・写真、か、ポスターとか」
絵に描いたような夕陽だからと、安直な発想を口にしてみる。
「ううん。やっぱりこんな風に、すごく眩しかった。だから、直接自分の目でだと思う」
むずかしいカオになって、記憶の糸口を探すように空を見つめている。
「・・・シワ、寄ってる」
「そう、シワが、えっ!?」
慌てて顔を押さえ、こちらを見る。
「眉間に縦ジワ」
「ウソっ」
「ホント。それに、」
額に手を当て、もう消えているシワを隠す今日子から、提げている荷物を取り上げる。
「道の真ん中にいるな。危ないだろ」
先に立って歩き出しながら、端へ寄る。
「葉月君、」
すぐに追いかけてきたかと思うと、前に廻り込んで、とおせんぼするように両手を広げる。
「わたし、自分で持つから」
足を止めて、頭一つ分、背の低い今日子を見下ろす。
「家に、帰るんだろ?」
「うん。買い物全部済んだから」
「俺も帰る。だから・・・公園まで」
互いの家への別れ道となる小さな公園。そこまでの短い距離を頭の中で計ったのか、
「じゃあ、お願いします」
ぺこりと頭を下げる。
大げさだな、と珪は思った。
(たかが荷物を持つくらい・・・)
「けっこう重いでしょ?ごめんね」
初めはそれほどと思わなかったが、段々、手にズシリとくる。
何を買えば、こんなに重くなるのか。
「パンを買いに行っただけなんだけど、牛乳買い足しとこうと思ってスーパーに寄ったら、美味しそうな春キャベツがあって、」
その隣りのコーナーで、新玉ねぎ、瑞々しいにんじんと、次々引っ掛り、奥へ行って挽き肉、また戻って、じゃがいも。
「夕飯は絶対、ロールキャベツ、って決めて、あと、じゃがいものタルトにしたとこまでは良かったんだけど」
本来の目的の牛乳に、生クリームも追加してと、どんどんカートに入れていたら、
「予定外に買い過ぎて、こんなに重くなっちゃった。ちょっと失敗」
珪は、食べることに関心が無い。
だから、今日子の熱意はさっぱり理解出来なかったが、一つだけ、分かったことがある。
「おまえ、思いつきで動くだろ」
指摘すると、不自然に目を逸らす。
「・・・今日は、たまたまだもん」
「道の真ん中で、突っ立ってた」
「ちゃんと端歩いてたよ!・・・・・気付いたら、外れてたけど・・・」
「ふーん」
「・・・・・立ち止まってたの、ちょっとの間だけだもの」
抵抗を止めないあたり、まるで自覚がないという訳でもないらしい。
「そういえば葉月君、連休のご予定は?」
ニコッ、と笑顔を向けてくるが、ぎこちない上に、わざとらしいこと、この上ない。
話を逸らそうとしているのが、見え見えだった。
「連休もお仕事みたいな話、聞いたけど、お休みは貰えた?」
(なんだ、知ってたのか)
野球部のマネージャーになった今日子は忙しそうで、そのくせ楽しそうで、もうこっちには関心がないのかと思っていたのに。
「仕事は終わった。明日から休み」
ゴールデンウィークも後半戦の、今日はもう5月3日だが、それでも残りは三連休になる。
「え、じゃあ、もしかして今、お仕事の帰り?」
急に立ち止まって、大きな瞳で見上げてくる。
「ああ」
「ごめんっ」
また慌てて、荷物に手を伸ばしてきた。
「疲れてるのに、こんな重いの持たせて、ああっ、そうだよねっ、忙しいらしいって聞いてたのに。ほんとにごめんね!お疲れさま、お帰りなさい」
「・・・おまえ」
胸に、奇妙な感覚が湧き上がる。
「葉月君?」
腕を引いて、今日子から荷物を遠ざける。
「葉月君、わたし持つから、貸して?」
いいと言っても、聞かなさそうで、
「・・・ほら」
パン屋の、まだ軽い方の手提げ袋を渡した。
今日子は困ったカオで受け取り、俯いて、また顔を上げて行く先の公園の方を見やり、視線を戻すと見上げてくる。
たぶん、これ以上言うのはしつこいかな、とか、あと少しだけだから、お願いした方がいいのかなと、そんな風に考えている。
(俺でもわかる)
「行くぞ」
だから、先に歩き出す。
今日子は付いてくると分かっていたから。
「・・・そんなに、疲れてる訳じゃないんだ」
どう言えば、伝わるんだろう。
「スタジオの中にばかり居たから、気分転換」
少しも苦ではないことが。
「そっかぁ。じゃあね、どこかに気分転換しに行こうよ」
全然、伝わってない。
でも、その提案には心が動いた。
「緑が多いトコがいいよね。行くのに時間が掛からなくて、のんびり出来そうな・・・・・あ、森林公園は?あそこなら広いし、歩いて行けるから混雑も気にしなくていいし」
どうかな?と、やけに嬉しそうに訊いてくる。
(ほんとに変わらないな、おまえ)
『けいくん、あのね、今日はね』
お話の続きをするだけじゃなく、ちいさな今日子にせがまれて、色んなことをして遊んだ。
「別に行っても、構わない」
変わってしまったのは自分だけ。
心にあること一つ、伝えられない。
「ほんと?ありがとう。じゃあ、いつにする?」
「・・・明日がいい」
約束を待つ時間は好きじゃない。
何か予定を入れるなら、早くしてしまいたい身勝手さにも、今日子は笑顔で頷く。
そして、パン屋の手提げから白い紙包みを一つ取り出した。
「はい、これ。荷物持ってもらったお礼」
なんとなく、受け取ってしまう。
「ここのコロッケパン、美味しいんだよ」
得意そうに言うカオを見ていたら、奇妙な感覚は、もっと強くなった。
「これ食べて、夕飯はロールキャベツに、じゃがいものタルトか。おまえ、よく食うな」
考える間もなく、言葉が口からこぼれ出た。
「わたし一人で食べる訳じゃないもん!コロッケパンは尽と半分コするし、ちょうど出来立てだったから、つい買っちゃっただけで・・・・・」
即、反発してきたものの、結局、よく食うことに変わりはなく、行動は、やっぱりその場の思いつき。
否定するほど、指摘されたことを裏付ける結果になる。
「いっぱい家のことするからいいの!荷物貸して」
プンとむくれてしまう。
「だから公園まで、」
「もう着いてるよ」
いつの間に。
見回すと、確かに着いてしまっている。
手を出されて、渡すしかなくなる。
「明日の待ち合わせは何時?」
「時間は・・・」
考えて、午後の時間を指定する。
「じゃあ、公園入り口で待ってるね」
くるりと踵を返して、とっとと歩き出す。
遠ざかる背中に、言うべきことがある筈なのに、もう、何も言葉が出てこない。
探しても、言葉は見つからなくて、あきらめて、自分も家の方に足を向けた時だった。
「葉月君!」
夕陽を受けて眩しいのか、今日子は子供みたいに顔をしかめた。
「また、明日ねっ」
よく通る声で明日の約束を言うと、重い筈の荷物を両手にしながら、駆け出して行った。
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